8 女の戦場
キラキラとした水面の輝きは、ライラの先行きを祝福しているようだ。
それに微笑みを返して、池を囲む石畳にゆったりと足を進める。
その足が進む先に気づいたのか、隣を歩いていたアレクがライラを見上げた。
「帰り道、そっちじゃないだろ?」
この大庭園はライラの庭も当然。アレクもライラが道を間違えたとは思っていないはずだ。その顔が「まさか」と歪んでいるので、意趣返しを込めて満面の笑みを浮かべる。
「帰るなんて、ひとことも言ってなくてよ」
「まだなんかあんのかよ……」
勘弁してくれとでも言いたげな様子に、ライラはフンと鼻を鳴らす。皇帝とのやり取りは成功が大前提だ。わざわざライラ自らが足を運んだのだ、これだけの成果では生ぬるい。
ライラは迷いなく進み、まもなく現れた横道に足を踏み入れる。
漂ってくる、濃厚な花の香り。
それに混じって、かすかに甘い香りがする。目にしなくても分かる。今年も春を喜ぶ色とりどりの茶菓子と令嬢たちのドレスが、この場所――花の庭園を彩っているのだろう。
「いいこと? ここでは一切の口出しを許さないわ」
表情を消し、低い声で言い渡すと、アレクが小さく息を飲む。
それから大人しく頷くのを見て、ライラは満足して小さく微笑んだ。
「ここから先は、女の戦場よ」
会場に入るや否や、ライラに気づいた者が目を見開く。そこからさざ波のように沈黙が広がり、会場は緊張感に包まれた。ライラは周囲を見回し、小さく首を傾げる。
「あら? あまり盛り上がっていないようね」
批判的なざわめきが会場に広がったが、それを公けに言おうとするものはいない。相も変わらず、群れるしか能のない凡庸な令嬢たち。その奥で、当の主催者――皇后はいつも通り微笑んでいた。
「お越しにならないかと思いましたわ」
皇后の盾になるように、一人の令嬢が視界に割り込んでくる。地方の大領主、侯爵家の令嬢だ。あれだけライラの周りをうろついておきながら、すっかり皇后に鞍替えしたらしい。
「まあ、まさか。せっかくのご招待ですもの」
皇后への怒りはまったく匂わせず、華やかに笑ってやる。
そのまま「ただ……」と眉尻を下げ、悩ましげにため息を吐いた。
「すでにティータイムを楽しんでしまいましたの」
対面した令嬢が「信じられない」とばかりに目を見開き、次に睨みつけてくる。
「皇后陛下に対して、なんて失礼を……!」
「わたくし、より“高貴な方”からお誘いをいただいたものだから」
この帝国は、絶対的な階級社会だ。
国母たる皇后よりも高貴な身分なんて、この帝国には一つしか存在しない。
会場が、今までになくざわついた。
同時に、探るような視線がライラを上から下まで舐めまわす。
謹慎を言い渡されていたはずの令嬢が、なぜ復帰直後に皇帝と密会できたのか。その理由を探そうとすれば、自然と目に入るはずだ。
「……そちらの、方は?」
それは、誰の問いかけだったのか。ライラは待っていた言葉に満面の笑みを浮かべる。
「我が公爵家でお預かりしている、さる貴公子ですの」
ライラが手で指し示すと、アレクは一歩前に出て軽く礼をした。その優雅な挨拶に「まあ」と感嘆――あるいは動揺のため息が、そこかしこから聞こえる。
艶のある黒い髪と赤い目。あまりにも、皇帝に似た少年。
その印象を焼き付けられたら、今日はもう十分だ。こんな茶番などに用はない。ライラは「これで失礼しますわね」と呆気なく踵を返し、アレクを引き連れて会場を立ち去る。
去り際に、チラと会場の奥に目を向ける。
皇后の視線はアレクを追い……その顔は、微笑みを忘れた無表情だった。
(そうよ! そういう顔が、見たかったの)
まだ、たった一撃に過ぎない。しかしライラは確かに今、反撃の狼煙を上げた。




