7 正しき居場所
木立を抜けて水の庭園に入ると、大きな池が春の日差しを浴びてキラキラ輝く。その池の縁を彩る額縁のように白い東屋が並んでいる。そのうち一つの前で、皇帝は立ち止まる。
「こちらへ」
三人で丸いテーブルを囲むと音もなく給仕が現れ、瞬く間にティータイムの準備が進む。アレクはカップに手をつけるでもなく給仕の動きを目で追っていて、皇帝の目はアレクをずっと追っている。いい反応だ。
「……菓子はきらいか?」
迷うような皇帝の問いかけに、アレクは首を振った。それでも菓子に手をつけず、皇帝を見つめ返す。暗殺のリスクがあるから何も口にするなと伝えたのを、忘れていないらしい。
「君の母は、誰なんだ?」
「……」
意を決したような皇帝の問いかけに、アレクはまた答えない。
普段はうるさいくらい口を出してくるというのに、一体なぜ? ライラも首を傾げていると、アレクがこちらを見つめてくる。いくらライラが傾国の美しさと言えど、今はライラを見ている場合ではない。
「どうしたというの?」
見下ろしながら低い声で問うと、アレクは涼しい顔で言った。
「先ほど『口を閉じていろ』と言われたので」
「……っ」
「臨機応変という言葉を、おまえは知らないの!?」という罵倒が口から飛び出しそうになったが、なんとか飲み込む。
いや、アレクにそれがわからないはずがない。これはライラへの強烈な意趣返しだ。小憎たらしさを通り越した忌々しい所業に、手に持った扇がミシミシと音を立てる。
「君も、そんな顔をするんだな」
その声に目線を上げると、皇帝が呆気にとられた顔でライラを見ていた。ライラはハッと我に返り、素早く扇を開いて口元を隠す。なんてことだ、表情管理が疎かだった。
「お恥ずかしいところをお見せしましたわ」
目を伏せて言いながら、アレクに与えたい折檻を指折り数える。こんな失態、あの女にワインを浴びせかけたら笑い返された時くらいしか覚えがない。アレクも許せないが、なにより間抜けな自分を許せない。
そんなライラの怒りを読み取ったのか、皇帝は苦みをにじませながら笑う。
「いや。そんな関係が築けていれば、あるいは……」
思わせぶりな言葉に、ライラの思考が止まる。
それは……無様に感情を晒していたら、あの女ではなくライラを皇后に選んだとでも言うことなのか。ライラは貴族として、将来の皇后として、完璧に振る舞う至高の令嬢だったというのに。
扇の裏で思わず唇を噛み締めた時、アレクの声が沈黙を破った。
「母さんは、この城の洗濯係だったと聞いています」
そうだ、今は過去の感傷なんかに囚われるべき時ではない。大義のためにここに来ているのだ。それを察して話を本筋に戻したことは、純粋に評価できる。これなら折檻は見送ってやってもいいかも知れない。
ライラがパチンッと扇を閉じる音に紛れて、皇帝が消えそうな声で呟く。
「……やはり、そうか」
その言葉にライラは眉を動かしたが、皇帝は気づきもせずにアレクに問う。
「それだけが証拠、というわけではないだろう?」
アレクは言葉もなく頷き、目の前に置かれていた茶菓子を一つ手に取った。それをパキッと真ん中で二つに割り、その欠片を両手の上に並べる。
皇帝は興味をそそられたのか、少し身を乗り出す。
それに気を取られたほんの一瞬で、アレクの手にある茶菓子は再び一つになっていた。瞬きをする間もない。まさに奇跡としか言いようのない力に、皇帝も息を飲んだ。
しばらくの沈黙が続いた後、皇帝が詰めていた息を吐く。
「この子が“正しき居場所”に戻れるよう、力を尽くすと約束しよう」
立ち上がりながら「追って沙汰をする」と言い残した皇帝は、そのまま去っていった。
「……これで、ご期待通りですかね?」
小憎たらしいアレクの皮肉を聞き流してやり、ライラは「フフッ」と声を上げて笑う。
「ええ、上々よ」




