31 小さな暴君
「すすめ、すすめ! ピスピス号!」
号令に合わせてキャッキャッと甲高い声が上がる。そして馬――四つん這いになった人間は「ピスピスではない……ピスティスだ」と不満げに呟き、のろのろと前進した。
楽しそうに手を振ってくるライラに、苦笑したアレクは手を振り返す。
(なかなか元に戻らないなー)
皇帝との面会から数日経ったが、ライラはまだ幼いままだ。公爵の記憶が正しいなら、もうすぐ入れ替わってもよさそうだが……そう考えていたアレクに「しょ、少年」と声がかけられる。
「そろそろ……限界だ……」
ピスティスが悲しそうな目でこちらを見ている。高い身体能力を持つピスティスだ、限界なのは絶対に体力ではない。彼の中の騎士としての矜持が、限界を迎えているのだろう。
(他にも不満があって、ストレス溜まってるだろうし)
初めて出会った時、ライラはアレクの名前を知らなかった。つまり、幼い頃に出会っていても名乗っていないはず――そう理解したアレクは、嫌がるピスティスにまだ「少年」と呼ばせている。
そろそろ気の毒なので、馬から解放するくらいはなんとかしてやろう。
「ライラ、もう馬から降りようぜ?」
「いやよ! ピスピス号でヒカリのはやさをこえるの!」
「そりゃ無理だ……じゃなくて、そんなの“はしたない”だろ」
アレクが諭すように言うと、ライラはピタリと動きを止める。
「はしたない?」
「ほら、優雅な淑女は光の速さで走らないだろ」
例えば、成長後のライラはいつもゆったりと動いている。アレクを扇で引っ叩く時は避けられないほど素早いので、優雅に見せるためにあえてやっているのだろう。
それを思い出しながら言うと、幼いライラは神妙な顔をして頷いた。
「そうね……ウマではしるなんてヤバンだわ」
「いや、そこまでは言ってないけどな」
幼いライラは「はしたない」という言葉を嫌う。高貴なる身分に相応しい振る舞いにこだわっていて、子供らしくはしゃいだかと思えばすぐに自分を律する。おかげで暴君としか言いようがない成長後のライラよりもずっと扱いやすい。
「もうウマなんてのらないわ!」
そう宣言したライラが飛び降りると、ピスティスはあからさまにホッとする。その嬉しそうな顔がおかくてアレクがこっそり笑っていると、服の袖口をライラが引いた。
「ねえ、いっしょにあそびなさいよ」
「いいけど……なにして遊びたいんだ?」
「もう、レディをエスコートできないの?」
頬を膨らませて、口をツンと尖らせたライラが睨みつけてくる。成長後の恐ろしさはなく、ただひたすら愛らしいだけだ。小さく笑ったアレクはしゃがんで目線を合わせる。
「じゃあ、おいかけっこは?」
「だめよ、ぜーんぜんだめ」
「なら、お人形ごっこしようか?」
「そんなの、こどもだましだわ」
いや、お前もまだまだ子供だろうが!
と、言いたいのを堪えてアレクは首を捻る。庶民の子供の遊びといえば、男の子はおいかけっこにかくれんぼ、女の子は人形でのごっこ遊びが定番だ。貴族の女の子はどんな遊びをするんだろうか。
答えを出せないアレクに、ライラはふうとため息を吐いて肩をすくめる。
「もう、だめねえ」
「ごめんって……ライラがしたいこと、教えてくれない?」
両手を合わせて頼んだアレクに、ライラは「しかたないわね」と腕を組む。
「そう……ダンスパーティがしたいわ!」
「ダンス、パーティ?」
理解が追いつかず言葉を繰り返すと、ライラは楽しそうに「うん!」と笑った。




