28 なかなか傲慢ね
アレクの存在が見過ごされていたのは皇城で生まれなかったからだろう。
そう結論づけたライラは、アイリスを皇城から逃がすことに決めた。アイリス自身も逃げ出すことを考えていたようで、朝に兵士が交代する際に警備が緩むことを突き止めていた。
作戦の決行は、明日の明け方。
そう決めたライラはさっそく屋敷を出て、馬車を止めてある中庭まで戻る。ズンズンと近づいてくるライラを見て、待たせていた御者は一瞬呆けた後にカッと目を見開いた。
「あれぇ!? お嬢様、その格好はどうしたんですかい」
「黙りなさい、この間抜け。使用人をお嬢様と呼ぶなんて……機転を効かせられないの?」
厳しいライラの叱責に御者は「そんなぁ」と身を縮める。情けない御者をフンと鼻で笑い、腕組みをして顎を上げる。
「今日はこのまま城から出なさい」
「おっ、やっと解放してくれるんですかい!」
「違うわよ。明日の日の出までに、裏門に馬車をつけておきなさい」
「つまり、おじょ……えーと、使用人さんは城に残るってことで?」
「当たり前でしょう、この城の使用人なのだから」
「こんな偉そうな使用人、いないと思うけどな……」
文句を言う御者の脛を蹴りつけて黙らせ、ライラは「とっとと行きなさい!」と馬車を見送る。自らは次の目的地に向かうべく、スカートを翻しながら踵を返した。
行ったり来たりしている間に、もうすっかり夕暮れになった。
さすがのライラも疲労を感じたが、洗濯場に置いてきた衣装を回収しにいく。逃げ出す際には貴族とわかる格好をしていた方が、兵士と対峙した場合も威圧し易いからだ。
(……ん? あれは)
日が落ちて暗く影になった洗濯場の井戸に、小さな人影が見える。ライラが近づいていくと、相手も気づいたようで顔を上げた。薄暗い闇の中で、赤い目がキラリと光る。
「皇子殿下、まだここにいらしたの?」
「……ひっ! こ、来ないで!」
悲鳴のような声を上げられて、ライラの足が止まる。よく見れば皇子の小さな身体は震えていて、まるでライラに怯えているようだった。
(昼間はあんな人好きする様子だったのに、一体なんなの?)
化け物でも見たような反応をされて、不快になったライラはムッと口を曲げる。しかし拒否されてまで近づきたい理由もない。ただ、伝言だけは伝えてやろうと口を開く。
「アイリスが『お気になさらないように』と言っていたわよ」
「……そう」
暗く沈んだ声で、皇子は呟くように返事をした。あんなに必死に伝えたがっていたくせに、ライラに伝言させた上にこの態度とは度し難い。
「まったく礼儀がなってないわね!」
こちらを見もしない皇子に捨て台詞を吐いて、ライラは用事を済ませに行った。
そして衣装を持って外に出た時にはもう、井戸の影に皇子の姿はなかった。
「皇子殿下のご様子がおかしかった?」
衣装の着替えを手伝わせながらさきほどの話をすると、アイリスは眉間にしわを寄せた。
「もしかしたら……皇后陛下と、なにかあったのかも知れません」
先帝の皇后――ライラにとって叔母にあたる人物だが、幼くして母が亡くなっていたので面識はない。本人も病でまもなく亡くなるはずで、人となりを知る機会はこれまでなかった。
「当代の皇后はどんな人物なの?」
アイリスは「わたしが口にするのもおこがましいことですが……」と目を伏せる。
「私が知る限りでは、交友関係などは少なく、いつも孤高でいらっしゃいました」
「まあ……社交もこなせないなんて、皇后として失格でなくて?」
「他国から若くして嫁いで来られたので、国内での地盤には乏しく……」
皇帝は海の向こうの女王国の血を引いていたはず……つまり、皇后はそこの王女だ。皇太子妃として嫁いできたはずなので、まだ若く社交も拙かったのは予想できる。ライラはふむと顎に手を当てた。
「それで皇帝の関心も薄いとなると、皇子の教育には必死になるでしょうね」
「皇子殿下からは『母上は僕に厳しい』といつも聞かされていました」
尊重されない皇后が権威を取り戻すことができるとしたら、それは次代の皇帝の母となることくらいだ。それが優秀な後継者であればあるほど、皇后の名声も高まるだろうが……
「厳しく育てた割には、随分と甘ったれた皇子だったけれど」
さきほどの無礼な態度を思い出したライラが眉を寄せると、アイリスは小さく笑った。
「皇子殿下があれだけ愛らしいのは、たくさん愛されて育っているからでしょう。洗濯場にお越しになるのも、お目こぼしされていますし……皇后陛下はとても愛情深い方なのだと思いますよ」
その後に「だからこそ申し訳ない」とアイリスは小さく呟いた。それを聞いたライラはフンと鼻を鳴らし、手にした扇をアイリスに差し向ける。
「おまえ、なかなか傲慢ね。一国の皇后を憐れむだなんて」
「そんなつもりは……」
「おまえは皇帝に選ばれたかも知れないけれど、選んだわけではない。そんな立場の人間が高貴なる皇后の心情を慮るなんて、傲慢と言うほかないと思うけれど?」
選ばれただけの立場のくせに、罪悪感を覚えるだなんて。ライラからしたら自意識過剰にもほどがある考えだ。
そんなライラの意図を読み取れたのか、そうでないのか――一瞬呆けた後、アイリスは「……そうですね」と苦く笑った。




