26 おまえの息子の味方よ
幼き日の皇帝である皇子は、道を外れて建物の裏を進んでいく。
後ろを追ってたどり着いたのは、白いリネンがはためく洗濯場だった。奥にある井戸の周りに女たちが集まって、世間話に興じている。皇子は迷わずそこに駆け寄った。
「みんな、こんにちは!」
「あら、坊ちゃん。いらっしゃい」
女たちはまるで市井の少年に出会ったかのように皇子への挨拶を返す。まさか相手が誰かわからないはずはないので、知らぬふりをして接しているのだろう。お互い慣れた様子で笑い合っている。
「あのね、お願いがあるんだ。この人に仕着せを貸してくれない?」
皇子が振り返った先にいるライラを見て、女たちはヒッと息を飲んだ。それも当然だろう、見るからに貴族がこんな使用人しかいないバックヤードに入り込んでいるのだから。
「すぐ返すから。ね、いいでしょ?」
「……まあ、坊ちゃんが言うなら」
女たちはライラのことを気にしながらも、皇子のかわいらしいお願いに頷いた。
(女たらしは皇族の血なのかしら……)
洗濯場の女たちを手玉に取る皇子と、愛人を森の屋敷に隠して囲う皇帝。過去に来てこんなものを見る羽目になってしまい、ライラはアレクの将来にも少しばかり不安を覚えた。
そんなことを考えている間に着替えが終わり、待っている皇子の元へ行く。
「うーん、使用人に見えないことも……ないかも」
皇子は悩ましげに首を傾げて、女たちは「頭巾で髪も隠せばなんとか」と言ってライラの髪を三角巾でまとめる。やはりライラの高貴さはどんな服装でも隠すことができないらしい。
「美しさとは罪深いものね」
「そういうことにしておいて……とにかく、それで屋敷に入れるよ!」
皇子の思いついた“いいこと”とは、使用人に変装して屋敷に潜入する作戦だった。当然ながら皇子には無理なので、ライラが代わりに変装したというわけだ。これで潜入はできるが……その前に確認しなければならないことがある。
「それで、皇子殿下はなにが目的なのかしら?」
皇子は決して親切心で言い出したわけではないだろう。その目的を果たしてやらないと借りになってしまう。たとえ過去のことだろうと、未来の皇帝に借りをつくるのはごめんだ。
皇子は迷うように目を伏せた後、意を決したように言った。
「……彼女に伝えて欲しいことがあるんだ」
皇子に教えられた道なき道を辿り、森の中の小さな屋敷にたどり着く。
リネンの入った籠を抱えて歩くのは思ったより厄介で、手は痛いし息は上がっている。人生で初めての苦労にライラは苛立ち、腹いせに入口を守る近衛兵を睨みつけた。
「リネンの交換よ、さっさと通しなさい」
まったく使用人らしくない横柄な態度のライラに、近衛兵は眉をしかめた。しかし身に着けている制服と籠に入ったリネンを見て、渋々と言った様子で「入れ」と扉を開ける。
屋敷の中はひっそりとして、静けさに包まれていた。
最低限の使用人もいないのではないか……そう感じる人気のなさで、森の中にあるせいか薄暗いのも手伝って少し不気味だ。どの部屋の扉も閉ざされており、試しに開けてみても家具には布がかけられている。
(皇城の中だというのに……まるで隠れ家ね)
自分だけが楽しむのを許された宝物。誰の手にも触れないように、見つからないように隠しておきたい――そんな意図が伝わってくるようで、ライラはおぞましさに身震いをした。
その時ふと、前方に開け放たれた扉から光が漏れているのに気づく。
扉の中を覗くと部屋にサンルームがあり、木々の間から木漏れ日が差し込んでいた。その木漏れ日の下に一人、女が立っている。女はゆっくりと振り返り、そして微笑んだ。
「あら? どなたかしら」
優しげな面差しはアレクとまるで似ていない。むしろ穏やかに微笑む様子は因縁の相手である“あの女”と似て見える。嫌な気持ちにさせられたライラは、顎を上げて威圧的に言う。
「皇子殿下から伝言よ。『僕のせいでごめん』ですって」
易々と謝るなと再度言ったのに、皇子はこの言葉を撤回しなかった。それだけの決心が込められた言葉なのだろう……聞いた女の目は光を失い、その視線は地に落ちた。
「皇子殿下には『お気になさらないように』と、お伝えください」
ライラを伝書鳩に使おうだなんて、なんて生意気な女だろうか。こういう恐れを知らぬところはアレクとそっくりかも知れない――そう考えたライラは、急に違和感を覚える。
(ここにはアレクがいない……?)
静まり返った屋敷に子供の声など聞こえない。見回してみても部屋にはベッドとドレッサーがあるだけで、子供など影も形も見当たらなかった。
「おまえ、子供がいるのではないの?」
ライラが尋ねると、女はハッと顔を上げて腹を手で押さえた。
「子供、だなんて……一体、なんのことだか」
女は誤魔化そうと視線を泳がせたが、その表情を見てライラにはわかった。
(なるほど、まだ生まれていなかったのね)
女は身ごもったこと自体を隠している。バレてしまえば命を奪われるか、それとも自由を奪われるか。子供もろとも大事に隠されて、一生ここで過ごすことになるかも知れないと悟っているのだろう。
「もう安心なさい」
「……え?」
突然の言葉に首を傾げた女に、ライラはまっすぐに指を差し向ける。
「わたくしはおまえの……おまえの息子の、味方よ」




