25 幼き日の皇帝
「そこの馬車、止まれ! 所属を示してもらおうか」
皇城の門に立つ兵は紋章のないその馬車を見咎め、御者に声をかけた。
「お、お忍びで……さる高貴な方への、お目通りでして……」
御者はいかにも慣れていない様子で、どうにも怪しい。睨みつけると唾を飲み込む御者に「なにか証明になるものは?」と聞けば、動揺した様子で馬車の中を見る。
御者の視線の先を辿ると、そこには世にも美しい令嬢がいた。
染み一つない白い肌、銀糸のような滑らかな髪、そして素晴らしく整った顔立ち。門兵の視線に気づいたのか、扇を開いてわずかに目を細める。その仕草の、なんと優雅なこと。
(明らかに貴族だな……下手に刺激すると面倒になるか)
社交シーズンの今、皇城の大庭園が貴族に開放されている。それをいいことに、大庭園を密会に使う貴族もいるのだ。その相手が大物なら、通さなかった門兵の首が危なくなる。
「……庭園までなら問題ないだろう」
どのみち城に入るには正式な招待がいるし、入口を近衛兵が守っているから大丈夫なはずだ。そう判断した門兵が道を開けてやると、御者は詰めていた息を大きく吐いた。
「こんなのいくつ命があっても足りやせんって……」
馬車の脇でしゃがみ込んだ御者が、憐れっぽい声を上げている。それを無視して軽やかに馬車から舞い降りたライラは、スカートを軽く払ってから御者に扇を差し向ける。
「わたくしが戻るまで、ここで待機なさい」
「えぇ……もう帰りましょうよ」
「もし逃げたら、おまえの命はそこまでよ」
御者の「そんなぁ」という嘆きを背に受けながら、ライラは勝手知ったる皇城の大庭園に足を踏み入れた。目指すは森の庭園――そこにかつてあったと伯爵未亡人が言った、先帝の恋人が住まう屋敷だ。
恐らくそこに住んでいる先帝の恋人こそが、アレクの母なのだろう。
皇帝を待ち伏せするためにアレクと歩いた道を、今度は一人で歩く。そして曲がり角に差し掛かったその時、小さな影がライラの前に飛び込んできた。
「え? うわっ!」
「なっ……なんなのよ!」
ぶつかりそうなくらいの距離で急停止した無礼者に、ライラは扇を突きつける。皇城の大庭園で無様に走っているなど、許されることではない。まして、子供がいるなんて……
(……子供、ですって?)
もう一度、よく目の前の子供を見る。黒い艶のある髪に、赤い目をした少年。その幼い面差しはアレクにも似ているが、年頃を考えれば正体は別人だとわかる――幼き日の皇帝だ。
「ごめんね、このあたりは人がいないから大丈夫かと思って」
上目づかいで見上げてくる皇子に、ライラは眉をしかめて扇を差し向ける。
「皇城の将来の主たるもの、易々と謝ってはなりません!」
そもそも皇室所有の庭なのだから、皇族がどう過ごそうと勝手だ。こんなことで貴い者が頭を下げるなど、皇室の教育はまったくなっていない。憤るライラに皇子は目を瞬かせた。
「君、なんだか母上みたいなこと言うね」
「まあ、うら若きレディに対して失礼ですこと」
「あっ! ごめん……って、言っちゃダメなんだっけ」
同じ失敗を繰り返して小さく笑う姿は、どうにも幼く見える。この頃は7歳くらいだと考えると、年齢不相応とまでは言わないが……ライラの記憶とはだいぶ異なっている。
(あの花畑で出会った時、こんなに幼かったかしら?)
恋は盲目というが、過去の記憶はかなり美化されていたようだ。復讐を決意したその日から恋心には決別していたが、それでも美しい思い出にしておきたかったのに。
心底がっかりしたライラが半目で見つめていると、皇子は首を傾げる。
「ところで、君はなんでここにいるの?」
「森の庭園にある屋敷に住まう方にお会いしに来ましたの」
こんな子供相手に腹芸をしてもしかたないので、はっきりと用件を伝える。すると皇子はパッと目を輝かせた。
「君、アイリスの知り合いなの?」
「ええ、まあ」
アイリスなんて名に心当たりはないが、ライラは適当に話を合わせる。恐らくはアレクの母の名前――やはり皇帝はアレクの母のことを知っていたのだ。
「せっかく来たのに残念だけど、あの屋敷には入れないよ」
「皇子殿下が入れぬ場所など、この大庭園にございますの?」
「うん……あそこは、父上しか入れてもらえないから……」
言いながら皇子は思うところがあるように目を伏せる。幼いながらも父たる皇帝が女を囲うのがどういうことなのか、察してはいるのだろう。
ともかく皇帝しか入れないのであれば、侵入方法を考えなくてはならない。
思索を巡らせはじめたライラを、皇子もまた考え込むようにじっと見つめる。そして「ねえ」とライラのドレスの裾を引き、キラキラとした目で言った。
「僕、いいこと思いついた!」




