逃避行
街はふたたび騒然となった。賊が宮殿に侵入し、伯爵の命を狙ったと通達があり、大勢の衛兵が街を捜索している。普段はあまり来ることがないスラム街にも、かなりの数の衛兵がウロウロしており、貧民たちは皆自宅に戻って震えていた。
この賊というのはアーシェたちのことであり、衛兵はそのリーダーであるオーレンを主に捜索しているようだ。
ではオーレンたちは今、どこにいるのか? 彼らはまだアジトへは戻っていない。どころか、貴族たちの区域に潜伏していた。警護が厳しくなって、戻ることが難しくなった。
そのため、匿ってもらえる貴族のところに身を寄せていた。
「まったく、君の大胆さには恐れ入る――オーレンくん」
少々苦々しい顔でオーレンに声をかけたのは、オーレンたちレジスタンスに協力しているトレド氏だった。平民たちの区域に戻るのが難しいと判断したダリルが、すぐにトレドの屋敷に連れていったのだった。
「どうもありがとうございます、トレドさん。こうなってはあなたしか頼ることができなかった」
オーレンは沈鬱な表情を浮かべ、肩を落として言った。
「うむ……しかし、君たちは何をしたんだ? この騒ぎは尋常ではない」
トレドにはことの詳細は伝わっていない。トレドは街の有力者であるが、ロドネスには反抗的であるため、遠ざけられている状態だった。
ダリルが伯爵への直訴などについての詳しいことを説明すると、トレドはため息をついた。
「君の行動力は評価するが、それが成功するとは到底思えない。この事態は必然だ。そんなことがわからない君ではないだろう」
「ええ、しかし……それでも一縷の望みに賭けたかった。このままではいつまで経ってもロドネスの悪政に終止符を打てません。なんとかしたかった」
「オーレン、君は父上に劣らず有能な人物だ。この街の将来を担う力を持っていると信じている。しかし、父上の悪い癖――身の安全を顧みず行動に出てしまうところもそっくりだな。それはどうにかして治さなくてはならない。もっと自分の体を大事にしたまえ」
「ありがとうございます。しかし、私は行動しなくはなりません」
「命を落としたら元も子もない。もっとチャンスを待つんだ。きっと機会は訪れる」
トレドはオーレンのことを高く評価している。が、多くの若者に見られるように、無謀とも思えるような行動に出てしまうことを懸念していた。
「しかし……」
「相当な数の衛兵が街に出ている。下手をするとレジスタンスを壊滅させられる可能性すらあるんだぞ」
「はい……」
オーレンは少し気まずそうに返事をした。実際に、衛兵はこの騒動で、レジスタンスのメンバーを逮捕するために動いてた。まだオーレンたちは知らないが、すでに数人が逮捕されている。
「それに、ここにも捜査の手が伸びてくるのも時間の問題だろう。それまでに君たちはここを出なくてはならない」
トレド邸が捜索される場合、おそらく追い返すのは困難だ。伯爵の命令による捜査状を掲げて、屋敷中を探し回るのは目に見えていた。この屋敷も安全ではなかった。
「オーレンさん。どこかから街へ戻れそうな抜け道はないのですか?」
ノエルが言った。
「正直なところ、前にやってきた時の坑道くらいしかない。しかしあそこは厳重な警備がされていると聞く。できることといえば……賄賂しかないか」
トレドは使用人の一人を呼び、多額の金が入った袋を用意させた。
「正門の警備兵にこれを渡して、一定時間どこかに去ってもらっておく。その間に戻ってくれ」
正門から賄賂で出ると言うのは、とても大胆不敵なように感じる。しかし、正門は門自体が非常に強固であることもあり、警備は薄かった。
「なるほど――トレドさん、何から何まで申し訳ありません。恩にきます」
「恩義を感じてくれるなら、命を大事にしたまえ。そして、この街を導いてくれ」
トレドはそう言って窓の外を見た。普段は閑静なこの辺りも、衛兵が走り回っている姿が見られ、騒然としていた。
オーレンたちはトレドの屋敷を後にした。その後、トレド邸に大量の衛兵が押しかけてきた。
トレドの賄賂は効果抜群で、ノエルたちは難なく平民街に戻ることができた。あまりにも簡単に出られたので、拍子抜けしてしまった。
しかしここはここで、衛兵がウヨウヨしている。ダリルにとっては庭みたいな街なので、衛兵がいない場所をうまく通ってアジトまで戻ることにしたが、とりあえず近いロゼッタの宿へ向かった。
ノエルはその途中、アーシェはどうしているだろうかと思った。捕まったりなどということはないだろうが、その行方を心配した。
ロゼッタの宿までやってくると、建物に入る前に、レジスタンスの青年が飛び出してきた。慌てた様子で、顔は青ざめている。
「お、おい。どうしてってんだ?」
ダリルは青年に声をかけた。
「あっ、ダリル……いいか、落ち着いて聞いてくれ――ア、アルマが逮捕された! それにトマス爺さんも」
「なんだって!」
ダリルは驚き叫んだ。そばにいたノエルやオーレンも驚きを隠せない。
「どうしてアルマが!」
ダリルは青年に掴みかかるような勢いで叫んだ。
「わ、わからん。そもそもアルマたちだけじゃないんだ。俺たちとその関係者が次々に逮捕されている。兄貴は俺を庇って……うぅ」
青年は、崩れ落ちるように膝をついて泣いた。
「そ、そんな……」
ダリルの顔はみるみるうちに青ざめていく。
そんな時、ロゼッタが宿から飛び出してきた。
「アンタたち、早く入りな! 衛兵どもがやってくるよ!」
大慌てで宿に駆け込むダリルたち。ロゼッタはそのまま彼らを奥に通し、ロゼッタの住居部屋の一つに押し込んだ。
「ダリル、アンタは知ってるでしょ! 奥の隠し戸、そこから逃げるんだ! もうこの辺も危ない!」
ロゼッタは叫ぶ。ロゼッタはレジスタンスの関係者ではないが、目をつけられているようで、宿にいてもいずれ衛兵たちの捜査を受けてしまう。ここも安全な場所ではなかった。
「す、すまん。ロゼッタ……」
「いいから、早く逃げて! きっと、この街を……トーランを平和な街に戻してちょうだい!」
ロゼッタが言ったすぐ後、向こうから「ここに賊が入ったと通報があった! 主人は出てくるんだ!」という声が聞こえた。もう衛兵が押しかけてきたようだ。
なんとかレジスタンスのアジトまでやってくるも、ここも衛兵に押し入られており、立ち入ることはできなかった。
「……みんな」
オーレンは苦渋に満ちた表情でつぶやいた。他の仲間たちはどうしているだろうか、オーレンは心配になった。アルマたち、直接エジスタンスとは関係ない人々まで逮捕されているという事態は、かなり異常なことだ。あらためて、自身の行動が軽率だったと痛感した。
そんな様子を見たノエルが声をかけた。
「オーレン。うなだれている場合じゃないぞ。君はどうにかこの危機を乗り越えなくてはならない。そのために今何をするべきか考えるんだ」
「え、ええ……そうです。これを乗り越えなくては」
オーレンは顔を上げ、気を引き締めてどうするべきか考えた。
「あの伯爵たちに好きなようにはさせない。オーブのことはともかく、僕は君たちの活動に全面的に協力する」
「ありがとうございます。しかしどうして……」
「ウィスラー伯爵には、人のものではない邪悪な気配を感じる。これは見過ごすことができない。これは君たちが街の平和を取り戻すというのとは別の話だけども、結果的に君たちに協力するのが最善であると判断した」
ノエルはオーレンに手を差し伸べた。オーレンもその手を握って握手する。
「なあ。隠し部屋へ行ってみてはどうだ?」
ダリルが言った。
「隠し部屋?」
ノエルが言った。
「ああ、あのアジトは目をつけられてもおかしくねえ。だから、さらに別の場所にも基地を作ってあるんだ」
彼らレジスタンスは、衛兵の目を欺く目的で、以前から数カ所の隠し基地を作っていた。わかりやすいものから、中心人物のみしか知らない、巧妙に隠されてある場所までさまざまだった。実はロゼッタの宿もその一つである。
「……まあ、普段使ってないから、あまり環境のいい場所ではないんだが……」
「なんでもいいさ。とりあえず危機から逃れられるなら、そこに行った方がいい」
ノエルが言った。
「では――こっちです」
オーレンは監視の目がないことを確認して、二人と共に隠し部屋へ向かった。




