邪悪なるもの
ウィスラー伯爵は、その鋭い視線でオーレンを見ている。
「どうなのかね?」
オーレンは無言だ。オーレンはゴーレムをアーシェとノエルが破壊したことは知ってるが、ダリル同様、正直に話せばまずいことになりかねなかった。
オーレンは言うべきか迷った。
「君たちには……あの魔法人形を圧倒できるような力はないだろう。別の人間だな。それは誰かね?」
「そ、それは……」
オーレンが口を開こうとした瞬間、突如ノエルが部屋に飛び込んできた。
「オーレン、逃げるんだ!」
ノエルは叫ぶなり、オーレンの前に立ち、伯爵に向かって身構えた。
「ノエルさん!」
「いいから逃げろ! この男は伯爵ではない!」
「えっ? それは——」
オーレンは下がりつつ驚きの声をあげた。
「――ククク、どうやらゴーレムを破壊した張本人が出てきた様だな」
ウィスラー伯爵はゆっくりと椅子から立ち上がると、不気味な笑みを見せながら、ノエルを睨んだ。
「ちょっとノエル、あの爺さんなんなのよ!」
アーシェも遅れて部屋に飛び込んでくる。
「アーシェ、君もあの邪悪な気を感じるだろう! あんな禍々しい邪気を出すのはそうそういない!」
ノエルの表情は険しい。伯爵にただならぬ邪気を感じているようである。
「な……なあ、ノエル! 伯爵じゃねえってどう言うことなんだ?」
物陰に体を隠していたダリルが言った。
「あれは人間ではない。とてつもなく邪悪な存在だ」
「ほう、君は我が正体を知っているのかね? 何者だ?」
「何者でもいいだろう。言うならば邪悪を駆除する者だ!」
「ほほう……まさか、王宮騎士団の白騎士か? こんなところまでやってきてご苦労なことだな。しかしたった二人でどうするつもりかね。それとも外に仲間でも待機しておるのかね」
「だとしたらどうだ。逃げられないぞ!」
「フハハ――嘘だな。むしろ君らが逃れられんぞ。この儂がたった一人で待っているとでも思ったかね」
ウィスラー伯爵の目が赤く怪しく光る。その姿は確かに伯爵ではあるが、人間とは到底思えなかった。
「あっ、外に……!」
オーレンが言うと、皆窓の外を見た。そこには数多くの人影があった。無人だったと思われていたが、いつの間にか多くの衛兵によって屋敷を囲まれていた。
「ノエル、これまずいよ。とりあえず逃げよう」
アーシェが言った。それはノエルにも理解できた。目の前の邪悪なる存在だけでなく、数多くの衛兵も同時に相手をしようとなると、どう考えても無謀である。
「……ああ、残念だがそうするしかない。ダリルとオーレンを逃さなくては」
「そう簡単に逃すと思っているかね?」
ウィスラー伯爵は体から禍々しい気を噴出させ始めた。これはオーレンやダリルにもわかるくらいの凄まじいもので、二人は恐怖で硬直している。
「アーシェ、殿を頼む! 僕は二人を逃す!」
「任された! 行くわよ!」
アーシェは剣を抜くと、ウィスラーに向かって飛びかかる。ウィスラーも剣を抜き、その斬撃を受け止めた。
アーシェとウィスラーが鍔迫り合いをやっている間に、ノエルは呪文を唱え始める。
「風の精霊よ、我が命に従え――!」
ノエルの体が光り輝き始める。
「オーレン、ダリル! 僕に捕まれ!」
オーレンとダリルは慌ててノエルに駆け寄り、それぞれ捕まった。ノエルの掛け声と同時に、三人の体は光の中へ消えていった。そして光が収まった後、三人の姿はなかった。
「無事、逃げられたようね」
アーシェは安心したような表情で言った。
「チッ、逃したか……しかし、貴様はどうやってここから逃れるつもりだっ!」
ウィスラーの剣撃がアーシェを襲う。しかし、アーシェの軽々とした身のこなしで、それを回避した。
「私は只者じゃありませんから――美少女剣士に不可能はないのよ!」
アーシェは剣を真上に掲げ、気を高め始めた。
「どうするつもりだ!」
「こうするつもり! どりゃぁぁぁ!」
アーシェは剣先から気を噴出させ、そのまま天井を直撃し頭上に大きな穴を開けた。穴からは青空が見える。
「貴様、何者だ。それほどの力を持っているとは……」
ウィスラーは驚く。闘気だけで屋根をぶち抜くには凄まじい力が必要で、それだけのものならば世に名を轟かせているはずだ。が、ウィスラーはアーシェを知らない。
「じゃあね」
アーシェはさらに気を高めると、そのまま飛び跳ね、天井を抜けて屋根に立つと、そこから屋根伝いに城壁に飛び移って逃げ去っていった。
その様子を眺めて苦い顔をするウィスラー伯爵。そこへ衛兵の大挙してやってきた。
「伯爵殿下、お怪我は!」
「大丈夫だ。それより、賊どもが逃げたぞ。追え」
「はっ!」
衛兵たちはまたすぐ屋敷を出ていく。静かになった部屋に一人佇むウィスラー。
「もうよい、出よ」
ウィスラーがそう言うと、目の前に突如、人の姿に似た、しかし人とは明らかに違う者が姿を現した。肌の色は紫であり体型も異様で、伝説に伝わる悪魔の様であった。
「危険な者が現れた。ロドネスに逮捕を命じろ」
「はは」
悪魔の様な男は返事をすると、だんだんと人間らしい姿に変わっていき、最終的に人間とまったく変わらない姿に変化した。その容姿は、ウィスラーに近従する側近の姿だった。そして、その姿のまま部屋を出ていった。
アーシェたちの侵入によって、官庁区域は大変な騒動になっていた。そこらじゅうに衛兵が警備で徘徊し、物々しい状態だ。
官舎内で、ロドネスはライオネルを呼んだ。
「……お、お呼びでしょうか……」
ボロボロの見た目に曇った表情。とてもあの傲岸不遜なライオネルとは思えない様子である。
「なんだその顔は。お前がだらしないから、賊に逃げられたではないかっ!」
ロドネスは激昂し、ライオネルに怒鳴った。
「も、申し訳ございません……」
「まったく役立たずが。まあいい、これから街へ行って賊を逮捕しろ。衛兵を使って炙り出せ」
「し、しかし……やつらは人間じゃありません。信じられない強さです……」
あのライオネルがこの弱気はなんだ、とロドネスは怒りと共に驚きを隠せない。
「なっ……つ、強くても弱点があるだろうが! そうだ、例えば人質だ。奴らの家族を探せ。捕らえて誘き出すのだ」
「は、はは……」
ライオネルが立ち上がり、部屋を出ようとした時、ロドネスが声をかけた。
「待て、ライオネル」
「は?」
「お前、奴らが人間じゃないとか言っていたな」
「はは……」
弱々しい返事だ。何があったらここまで気落ちするのだろうか、ロドネスには信じられなかった。しかし、そんなことはどうでもいい。
「お前も人間を捨てるか? ならばあんな連中、相手にもならんほどの力を手に入れられるぞ」
ロドネスはそう言って、机の引き出しから、光り輝く球を取り出した。これは発見されたオーブだった。
「な、なんと……」
「人の欲望を叶えるオーブ。これさえあれば恐れるものはない。お前もこのオーブで世界を支配する力を与えてやろう」
ニヤリと邪悪な笑みを浮かべるロドネス。オーブの光に照らされたロドネスの背後には大きな影ができていた。その影はとてもロドネスの姿とは似ても似つかない、怪物の影だった。




