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2.舞踏会の夜 2

舞踏会の夜だった。


人間の催す舞踏会とは違い、この城のそれは魔術的な要素が濃い。

絢爛豪華で眩く暗く、華やかでどこかそら恐ろしい。

純然たる見栄や付き合いではなくて、ただの悪ふざけみたいだと思った。

オーケストラの奔流は少し早めで、秘密めいている。


「アレックスは踊らないんですか?」

「私が?」


彼にとっては愉快な質問だったのか、小さく声を上げて笑われた。


(何ていうか、音楽も、特別なものも、美しいものも、全てが濃密な感じがする)


今日ばかりはユジィも素晴らしい仕立てのドレスを与えられている。

濡れ羽の艶がある暗い葡萄色のドレスは、

足元に落ち切るまでの完璧なドレープで、単色とは思えぬ程に華やかだ。

髪は複雑な結い上げを少し崩したようにしてあり、

純白の雪灯花と零れんばかりに花びらの詰まったラベンダー色の薔薇を飾っている。

貴金属の類を一切つけていないのは、それが階位や力を示すものだから。

逆に、それを示す必要のない総王であるアレックスも、漆黒の装いで貴金属は好まない。



(王様というよりも、祀り上げられた神様みたいだわ)


王座に腰かけたまま広間を見下ろしているアレックスのいる場所は、

重厚なカーテンで視界の一部を隠ししており、広間よりは一段階薄暗い。

広間の招待客達は話しかけにくるわけでもなく、

アレックスの視線の前を抜ける時だけ、恭しく腰を折る。



(エレノアのお披露目の最終夜)



広間の中心には、シュタイル伯にエスコートされたエレノアの姿がある。

意外なのは、この舞踏会の主催がアレックスであることだ。


(勿論、私がエレノアの守護者だったら、毎晩自慢お披露目会しちゃうだろうけど……)


「こういう催しが好きなんですか?あまり、そうは見えないけれど」

「暇潰しだよ。手持無沙汰に、オルゴールの螺子を巻くようなものだ」


彼の声は暗くはないし、彼の表情も苦しげではない。

でも、ユジィが会いに戻る筈だった人の悲しげな微笑が、その言葉で蘇る。


「……………あなたは、寂しくないの?」


「お前には、私が寂しく見えるのかい?」

「だって、線のこちら側には誰もいない。あなたの退屈は、そのせいだと思います」

「私と同じものが他にもいる必要はないだろう。

 ところで、お前はその距離を置いた話し方をやめないね」


時折不愉快そうにする話題をまた持ち出されて、気が遠くなる。


「努力はしているけど、あなたは王様だもの。

 こんな風に手元に置かれても、距離以上のものが近くないから、

 剥き出しの言葉では詰まってしまいます」


心の内側に入れてくれないものに、親しげに口を利くのは難しい。

遠くのホールで踊っている輪に入れないユジィが、あの曲の踊り方を知らないのと同じことだ。

ふわり、ふわりと、色とりどりのドレスが視界の端で翻る。



「触れることすら厭うくせに、お前の言葉は諦めが悪い。

 振り返った先の罪に怯えるかと思えば、素知らぬ顔で飄々としている」


言葉は辛辣だが、普通に不思議そうだったので、ユジィは表情に出ない程度に苦笑する。


「私は乗り換えの来訪者ですよ?その選択が既に身勝手なものでしょう。

 だから私は、その最初の身勝手さで取り残してきた人達の為に、鈍感になろうと決めているんです。

 幸い、元々の気質が素晴らしく大雑把なので、比較的無難にこなせています」


「詭弁だろう。罪の在り処に優劣をつけて、足らない者に割く心を切り捨てている。

 そうだね、確かに身勝手だ」


「優劣はつけますし、切り捨てもします。

 私は、特別に綺麗な心を持っているわけでも、特別な才能があるわけでもないんですから、

 自分の能力の限界を見極めなくては。

 ……ただ、私が理解している私の罪深さは、その選定機能に多大な偏りがあるのが残念ですが」



飾り気もない狡さに溢れた解説だが、綺麗事を言ってもどうせ見抜かれるので、とことん正直になった。

話しながら、ふと、違和感に気付いて、より明け透けに告白するという選択肢も取っている。


(………苛立ち?それとも、純粋に少し怒っているのかな?でも、あんなことで?)


老獪で感情を見せないアレックスが、ほんの微かに生きた感情を覗かせた気がしたのだ。

見かけだけの従順さではなく、

心を差し出して寄り添わないことに、こんな言葉の斬り合いをさせるくらいに苛立つなんて。


(…………まったくもう。剥き出しのあなたは、どれだけ我儘なのだろう)


少し興味を惹かれて本音を切り売りまでしたのだが、

ずる賢い人外者はすぐに自分の防壁を立て直してしまう。

締め出されてから、少しだけ、あからさまに覗き込み過ぎたことを後悔する。

本当に見せたくないものをうっかりにでも見てしまったときには、

アレックスは躊躇いもせずにユジィを殺すだろう。



「さてと、そろそろ諸侯達に仕事をしてもらおうかな」


しばらくの間、ユジィをからかったり、広間を観察したりしていたアレックスは、

夜も充分に更けた頃合いで立ち上がると、王座の後方に扉を錬成し開いた。

伴われたユジィが初めて見る広間で、

夜の雷雨の事象石を天井に、床には煙水晶を敷き詰めた円形の広大な空間だった。

どこか神殿に似ている。


「ここは?」

「夜会の晩に使う伝承の間だ。言うなれば、諸侯が自分の領地に戻る前の続きの部屋。

 転移に向いた移動用の待合室だよ」

「あっ、ノア!」


そんな夜空の床の上に、真っ白な生き物が丸まって眠っていた。

ユジィの声にぴんと翼を広げて飛び起きると、寝ぼけた瞳で大好きな飼い主を探す。

ややあってユジィを見付けると、きゅうと鳴いて駆け寄ってきた。

アレックスの存在を意に介さずに足元をぐるぐる回る無邪気さに、ユジィは破顔して抱き上げる。


「抱いていてもいいですか?踏まれちゃったら可哀想だから」

「餌の後に窓から捨てた筈だったけど、ここに落ちたか」

「……今、ものすごく聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたんですが」


 剣呑な眼差しになりかけたユジィだったが、背後に靴音を聞いて不満を収める。



「王、今宵は一番乗りですね?おや、石炭ちゃんも一緒か」


氷色の髪を翻して、銀色にも見える青灰色の盛装のラスティアが人懐っこい顔で笑う。

中性的で貴公子然としているが、五柱の中では第二階位の実力者だ。

その後方に無言で参じたのは、純白の装束のスヴェイン。

ラスティアの衣装の華やかさに比べると、どこか軍服めいて見える。

この城ではアレックスに次いで美しい第一階位の人外者だが、一度も笑う顔を見たことがない。

最も無慈悲な一柱なのだと、聞いたことがあった。



「あー、我が君!辺境拍の処置でお話があるって言ったのに、来てくれませんでしたね」


ぱたぱたと駆け寄ってきたロードは、濃碧の天鵞絨の衣装。

膝までのパンツにガーターでソックスを留めている様子が、何ともあざとい可愛らしさだ。


「そうだったかな。この後でいいだろうか」

「勿論です!その代り、僕の城に来て下さいね?紅珊瑚の森をお見せします!」


「よくやるよ全く。この前まで、南陽蝶の森だったんじゃないの?」


ロードと仲がいいというフリードリヒが呆れ顔で手を広げた。

彼の衣装は、髪色と同じオリーブブラウン。

角度によって茜色の色彩の光沢を帯びていて、この中で唯一ケープのないすっきりとした装いだ。


「壊すのが趣味のフリードリヒに言われたくないけどなぁ」

「僕は身綺麗にしていたいんだよ。君は気が多いんだって」

「はは、私達の気質は永遠に変わらないからね。各々の趣味でいいんじゃないかな?」

「ラスティアの趣味は捻くれてるよね。僕が思うに、結構内面も屈折してるんじゃない?」

「ロード、君にだけは言われたくないよ?」


 彼らなりにわいわいしながら、円卓の席についてゆく。



(シュタイル伯は…………?)

足りない一柱を思ったときだった、


「アグライア公!」


弾むような可憐な声が上がり、場の空気が清浄になる。


「やあ、エレノア。楽しめたかい?」


純白のドレスを翻して入ってきたのは、頬を上気させたエレノアだった。

舞踏会のお披露目を終えたばかりだからか、僅かに上がった呼気が一滴の悩ましさを得ている。


(すごい、同性の私ですら持ち帰りたいぐらいに可愛い!)


嗜好品の彼女は、豪奢なアクアマリンの首飾りをつけ、

髪飾りは初夏を司るグランべリアの特産品でもある、グラン結晶石。

淡い黄緑の石の中で、朝露の結晶が揺らいでいる。


「エレノア、足元に気を付けたまえ」


その後ろから姿を現したシュタイルは、鮮やかな青の盛装。

この中で言えば、ラスティアの衣装に少し似ている華美なデザインだ。


「下りて来て下さったら良かったのに」

「私は、ああいう場には降りないんだよ。興を削いでしまうからね」

「でも、今晩はわたくしのお披露目だったのです」


そこでユジィの姿に気付いたのか、エレノアが嬉しそうに顔を綻ばせた。

盛装のエレノアを近くで見る好機に、ユジィはこっそり幸せを噛み締めた。


「ユジィ!あなたもドレス姿なのね、何て綺麗なの。その色もあなたにぴったりですわ」


 笑顔のエレノアとは対照的に、くすくすと、ロードが意地悪く笑う。


「エレノア、無自覚にも程があるよ」

「少なくとも、嗜好品が石炭に言う言葉じゃないね」

「ロード!フリードリヒ!何てことを仰るの?!」


可愛らしく柳眉を吊り上げて起こったエレノアに、

ユジィは仲裁に入りたいところをぐっと堪えて、当たり障りのない顔をした。


(エレノアのことだから、彼女なりの本当の感想を言ってくれただけだと思うのに)


比較もなく、ただユジィのドレス姿を綺麗だと思ってくれたことは、

この場にいる誰に褒められるより心に沁みる。

何しろこの環境下では当然のこと、ユジィの好意順位付け、現在一位のエレノアなのだ。


「エレノア、君にあげるよ」


アレックスがひらりと返したケープの影から魔法のように取り出したのは、

部屋にあったオパール色の花束だった。

一度驚いて固まってから、エレノアの唇が幸せそうなカーブを描く。

それは、どんな宝石よりも彼女を輝かせる微笑みだった。



「…………わたくしに、これを?」


「これでも、今夜はお祝いだからね」

「………………有難うございます」


両手で受け取った花束の香りを嗅ぎ、エレノアはまた微笑む。

顔を上げて周囲を見回した彼女に向けられるのは、どれも温もりのある眼差しだ。

花束を大事そうに抱き締めた彼女は、どこまでも曇りなく愛らしい。

りん、と花先が触れ合い涼しげに鳴った。


「この花を見てみたいと言ったことを、覚えていて下さったんですね」


ユジィがそちらを見ていたのは、感激するエレノアが可愛いからだった。

日々のストレスの緩和剤として、全力で脳内に可憐な映像を焼き付けていただけ。


「羨ましい?」


舐めるような声に邪魔されて、おのれと内心顔をしかめつつ視線を向ける。

円卓に頬杖をついて、フリードリヒが意地悪く微笑んでいた。

許されるなら、その額をはたきたい。


「エレノアが全力で可愛いです」


無難に本心を言った筈だが、フリードリヒは鼻で笑う。



「さてと、今夜の来賓の中に、綻びはあったかな?」


ラスティアが鋭敏に話題を変えてくれたが、

ユジィの感情を慮ったのではなく、同僚の寄り道にうんざりしたらしい。

彼がユジィに話しかけるのは、アレックスに挨拶をする際のおまけみたいなものだ。

あくまでも愛玩動物の感覚なのだろう。


「綻びであれば、西のアルタールにその気配が。

 リアナフレスカの影響が残る地ですから、土地のアールが緩むのは当然のことだろう」

「スヴェイン、そなたにも感じられたか」


掴み所のない同僚の声にシュタイルが頷き、エレノアが心配そうな顔になる。


「リアナフレスカでの反乱の後ですし、シュタイル様のご負担にならなければいいのですが。

 アグライア公、どうにかなりませんの?」

「土地の采配は、領地を治める者の責任だ。彼が自分で手を打つだろう」



(…………リアナフレスカが、…………反乱したことになっている?)



胸の奥が記憶の底の炎の色に、ざわりと声を上げる。

顔色を悟られたのか、フリードリヒはこの機会を逃さなかった。


「そう言えば、ユジィはリアナフレスカの来訪者だったよね?」

「…………ええ」

「君をリベルフィリアに連れてきたのは、シュタイルの部下だったっけ」

「ディーズだ。あの混乱に立ち会った彼を、西の抑えに当ててあったのだが」

「シュタイル、彼には荷が重いんじゃないの?

 あの土地にはアールが潤沢な場がとても多い。

 人間も、過分な資質と知識を得ると、ろくでもないことを企むからねぇ」


髪の毛を指先で弄りながら、ロードが冷やかな声を弾ませる。


「問題があるようであれば、私が出るしかないだろう」


ロードの意味深い微笑みを軽く受け止めて、シュタイルはゆったりと頷いた。

そっとその腕に手を乗せたエレノアに笑い掛け、優しい守護者の顔で笑う。


(そっか。繊細なエレノアの為に、彼らは言葉を選んでいるんだ)


そのことは新鮮な驚きだった。


(もしや、好意を向ける者には、意外に小心者だったりもするのだろうか)


密かに感心しているユジィの膝の上で、

ノアが構ってと言わんばかりに鼻先でユジィの手を持ち上げようとじたばたしている。

視線を落とした先で見上げる眼差しと目が合って、小さな悪戯者に唇の端だけで微笑みかけた。


「石炭に雑草の獣か、滑稽な組み合わせだと思わないか?」

「よりにもよって、あんな醜いものを、我が君の視界に入れるなんて」


ここでも見逃さずに拾い上げるフリードリヒに、

ロードが初めて上辺だけではない苛立ちをユジィの膝の上に向ける。


「私の石炭は、それがお気に入りでね」


苦笑したアレックスの声には、何の温度もない。


(庇護も、優しさも、隣人程度の知り合いに向ける気遣いも何も)



その声に、嫌な予感がした。



「寂しいことだ」


わざとらしい微笑みには、悪意が見え隠れする。


「王よりも、その生き物の方が大事なんじゃないのかい?

 生意気にもアグライア公の庇護より、そのチビが大事なのか」


アレックスが振った旗を見逃さなかったフリードリヒの言葉にも、毒がしたたる。

今この瞬間だからこそ、アレックスの庇護という言葉程に、空々しい響きはないだろう。



(わざとだ)



その孤独の息苦しさに、自分にだって心を傾けるものがあるのだと言ってやりたかった。


(わざと私を檀上に上げて、みんなの噛んで遊ぶ玩具にしようとしている。

 偽物のアレックスなんてどうでもいいって、彼等を震わせるぐらいの言葉で語れたらいいのに!)



「石炭如きが、一人前に玩具を持つなんて、不遜だとは思わないの?」

「アレックスの許可は取ってあります」


言ってしまってから、はっとした。


(言葉選びを間違えた!)


取り戻そうにも、その声はもう取り戻せない。


(それとも、まさか私は、無自覚にそれを自慢したかったの?)


花は貰えなかったけれど、ノアを飼う許しは得ている。

無意識のどこかで、その許容に自分も少し特別だと思い上がっていた?


(アレックスが引き摺り出そうとしたのは、そういうこと?)


ユジィ本人が、その怖さを自覚したことまでを見透かした目で、アレックスが笑った。


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