第097話:地下75階:魔力暴風雨と風洞バイパス削孔
幅80メートルの大峡谷に架設された奇跡のカンチレバートラス橋を渡りきった東西合同原状回復隊は、さらに地底の奥深く、地下75階『巨風の排気回廊』へと進軍していた。
だが、その回廊の巨大なアーチゲートをくぐり抜けた瞬間――。
ゴオオオオオオオオオッ!!
鼓膜を破らんばかりの凄まじい風切り音とともに、白濁した熱風の暴風雨が真正面から津波のように吹き荒れた。
「ぐわああっ!? か、体が吹き飛ばされる……!」
「足場パイプを抱えて踏ん張れ! 飛ばされたら岩壁に激突してミンチだぞ!」
屈強なオークの戦士たちすら足を取られてよろめき、前列の騎士たちが大盾を構えて膝をついた。
風速計の針は、驚愕の『秒速42メートル』を指して小刻みに震えていた。
地上で言えば、猛烈な大型台風の直撃を密閉空間で真正面から受け止めているような状態である。
しかも、吹き荒れる風はただの空気ではない。
地下100階の始祖コアから排出された、摂氏50度を超える高熱の魔力蒸気と、パチパチと青白い火花を散らす3万ボルトの高電圧静電気の嵐であった。
「現地気象および流体データを報告します!」
シエルが風防シールドを手で押さえ、風圧で喉に息を詰まらせながら叫んだ。
「風速実測毎秒42メートル、最大瞬間風速は毎秒55メートルに達します! 大気中魔力電位差は3万ボルト! この暴風雨の中では、作業員の前進速度は通常の10分の一に低下し、資材トロッコは風圧抵抗で脱線転覆の危機に瀕します! さらに、静電気放電による感電事故の危険度が極大です!」
「風洞効果(ベンチュリ効果)による局所超強風地帯だな」
現場総監督アレク・ユグレットは、作業着の裾を暴風にはためかせながら、回廊の断面形状を測量器で走査した。
「この回廊は、幅30メートルから奥へ進むにつれて幅10メートルへと急激に絞り込まれている。ノズルの先をつまんだホースと同じだ。断面積の縮小によって流速が三倍に加速されている。力づくの気合で正面から突っ切ることは物理的に不可能だ」
「風を止める魔法の防壁を張るか!?」
エドワードがヘルメットを両手で押さえながら叫んだ。
「魔導士全員でバリアを張って、風を押し返しながら進めばどうだ!?」
「却下だ」
アレクは即座に首を横に振った。
「正面から風を堰き止めれば、背圧が急上昇し、地下100階の始祖コアの排気系統が詰まる。その結果、コアの内部温度が臨界点を超えて熱暴走を起こし、世界滅亡のカウントダウンが一気に早まるだけだ。風は止めてはならん。逃がさねばならん」
「風を逃がす……!? こんな密閉された地下の風洞で、どこへ逃がすってんだよ!?」
エドワードが目を剥いた。
「風洞の側壁だ。流体力学の定石――『逆流ベンチュリ・バイパス削孔工法』を用いる」
アレクは傍らで悠然と煙管をくわえている師匠ガントへと視線を送った。
「ガント師匠。側壁の裏側にあるはずの、古代の排気バイパス空洞の座標は覚えているか?」
「がっはっは! あったりまえよ!」
ガントが豪快に笑い、煤けた親指を左側の玄武岩の側壁へと突き立てた。
「この回廊の左壁の奥15メートルにはな、1000年前の設計者が掘った予備の『減圧チャンバー(膨張室)』が眠ってやがる! そこに風穴をぶち開けて風をバイパスへ引き込み、圧力差を相殺してやるのさ!」
「なるほど……! 側壁にバイパス穴を開けて風を迂回させ、メイン通路の風速を一気に落とす設計ですね!」
シエルが目を輝かせた。
「その通りだ。工法は三段階」
アレクが的確に指示を飛ばした。
「第一工程、エドワード鳶部隊による『防風整流スクリーン足場』の先行展開。風圧を段階的に減衰させながら削孔ポイントを確保しろ。第二工程、バルガン率いるドワーフ部隊の『大型削岩コアドリルによる連続バイパス孔削孔』。第三工程、ポチの『静電気吸収・接地ジェルの散布』だ」
「ピキュッ!」
アレクの肩の上で、ポチが電気を通さない絶縁防護服のように体をプルンと青白く光らせた。
ポチは通路の床面に特殊な親水性導電ジェルをシート状に展開し、空気中の3万ボルトの静電気を一瞬で岩盤のアースへと逃がして感電リスクをゼロにした。
「よし、風消し鳶大隊、突撃だ!」
エドワードがチタンラチェットを抜き放った。
「足場パイプに防風メッシュシートを張りながら前進しろ! 風を全部受けるな、シートの網目から微風にして受け流すんだ!」
カン! カン! ガガガガッ!
エドワード率いる鳶職人たちが、風速42メートルの猛烈な向かい風の中を、蜘蛛のように壁に張り付きながら単管パイプを組み上げていく。
防風ネットが一段組まれるごとに、風の直撃がフッと和らぎ、後続部隊が踏み込める安全地帯が広がっていく。
「削孔ポイント到達! ドワーフ重機削岩隊、ドリル起動!」
バルガン親方の咆哮とともに、キャタピラ付きの巨大コアドリルマシン4基が側壁に食らいついた。
ズガガガガガガガッ!!
直径1・5メートルの巨大ダイヤモンドビットが、厚さ15メートルの玄武岩の壁を猛烈な勢いで穿孔していく。
摩擦熱で火花が散り、岩粉が舞い上がるのを、ポチが高圧ジェルを吹き付けて瞬時に冷却・吸塵していく。
冷却されたドリルは刃こぼれ一つ起こさず、毎分30センチのペースで岩盤を掘り進んでいく。
そして――着工から3時間後。
ドコォォォォンッ!!
側壁の奥にある古代減圧チャンバーへと、1本目の貫通孔が突き抜けた!
続いて2本目、3本目、4本目……計12本のバイパス大口径孔が、側壁に一斉に開口した!
ズオオオオオオオオッ……!!
気圧の法則に従い、メイン通路を吹き荒れていた高圧の魔力熱風が、新設されたバイパス孔へと凄まじい勢いで吸い込まれていった。
メイン回廊の風圧が、みるみるうちに減衰していく。
ピピッ!
シエルの持つ風速計から、澄んだ電子音が鳴り響いた。
「風速……毎秒42メートルから、毎秒6メートルへ急降下! そよ風レベルに鎮静化しました! 大気中魔力電位もゼロボルトへ復帰!」
あれほど荒れ狂っていた暴風雨が、嘘のように穏やかな心地よい微風へと変わっていた。
視界を遮っていた蒸気の霧が晴れ渡り、地下75階の巨大回廊の奥底まで、一直線のレールと安全通路が完全に貫通したのだ。
「「「やったあぁぁぁぁぁっ!!!!」」」
吹き飛ばされそうになりながら耐えていた10万人の職人たちから、歓喜の咆哮が沸き起こった!
「ふうーっ……! 指1本、爪の先一つ動かねえ……」
「風圧と戦いながらのアンカー打ちは、ドラゴンと素手で殴り合うよりスタミナを消費するぜ……」
だが、過酷な削岩と強風下の足場組みを終えた作業員たちは、全身を汗と煤と岩粉にまみれさせ、極限の疲労によって泥のように床や資材置き場のスノコの上に倒れ込んでいた。
時刻は深夜23時。
体温は奪われ、胃袋は空っぽ。
極限の空腹と疲労という『現場最悪の魔物』が、10万人の部隊を呑み込もうとしていた――その時である。
パチパチパチ……ジュウウウウッ!
暗闇の奥に設営された仮設テントから、暴力的なまでに食欲を刺激する、えも言われぬ至福の出汁と醤油の香りが、真っ白な湯気とともに漂ってきた。
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