第085話:師弟再会:10年の空白を埋める左官ゴテ
地下50階、赤熱する巨大基幹ポンプの天辺。
吹き抜ける熱風と噴き出す過熱魔力蒸気のただ中、アレクはエドワードの組んだ梯子足場を一気に駆け上がり、主給油バルブの前に到達した。
目の前には、10年ぶりに目にする師匠の姿。
かつて王都で幼いアレクに左官ゴテの持ち方と水平器の読み方、そして「直すことは人間の文化だ」という職人の誇りを厳しく叩き込んだ男――ガント。
その顔は煤と油にまみれ、着古した作業服はボロボロに擦り切れていたが、爛々と輝く野獣のような瞳と、丸太のように太い腕は、10年前の記憶のままだった。
「親父さん……!」
「おう、アレク。随分と面構えが現場監督らしくなったじゃねえか」
ガントは全身の筋肉をミシミシと軋ませ、直径2メートルの巨大な真鍮バルブハンドルを両手で必死に押さえつけながら、ニッと不敵に笑った。
「10年前、王都の迷宮で『お前にはまだ早え』って言って一人で出て行っちまったが……まさか、こんな大陸の最深底まで追っかけてくるとはな」
「当たり前です。施工の途中で現場を放り出す職人がどこにいますか」
アレクは工具袋から、使い込まれた左官ゴテと、大型トルクレンチを抜き放った。
「親父さん、この基幹ポンプの状況は」
「最悪だ」
ガントの表情が一瞬で引き締まる。
「このポンプはな、大陸中のダンジョンを結ぶ魔力冷却ラインの『総元締め』だ。1000年、人間と魔族の上層部が談合マッチポンプで迷宮を乱掘しやがったせいで、配管内部の油圧バランスがズタズタになってた。そこへ今日、上層でドリル戦車の無謀な掘削と、炉心の暴走が起きやがった」
「その結果、ウォーターハンマーが起きたんですね」
「そうだ。逃げ場を失った高圧魔力の衝撃波が、この最深底のポンプに全部跳ね返ってきやがった。主軸受の冷却油配管が破断して、油圧がゼロに落ちかけてる。俺がこの手動バイパスバルブを力任せに押さえて、かろうじてピストンの完全焼き付きを食い止めてるが……俺の魔力も握力も、あと10分が限界だった」
「10分あれば10分です」
アレクは足場の向こうへ向かって鋭く号令を下した。
「バルガン親方! ルシア! 冷却油の予備タンクを荷揚げしろ! シエルは破断した配管の寸法を計測!」
「「「了解!!」」」
地上から持ち込んだ超低温不凍オイルの大型タンクが、エドワードの足場ウインチによって軽々と最上段へと引き上げられた。
シエルがレーザーメジャーを照射し、記録板を構えて叫ぶ。
「主軸受給油パイプ、口径150ミリ! フランジ部分でボルトが4本破断、パッキンが吹き飛んでいます!」
「よし。フランジの緊急補修と、高圧耐熱パッキンの瞬時成型を行う」
アレクが左官ゴテを構えると、足元からポチが「ピキュッ!」と飛び出してきた。
ポチの体液と、超速乾グラウト材が左官ゴテの上で絶妙にブレンドされる。
「親父さん。あの技、覚えていますか」
「……へっ! 忘れるわけがねえだろ。俺とお前で編み出した、原状回復士の秘伝工法だ!」
二人の男が、同時に左官ゴテを構え直した。
ガントが左手でバルブを保持したまま、右手のゴテを振るう。
アレクが左手でフランジの隙間をノギスで固定し、右手のゴテを走らせる。
「「――《神速左官・二重高圧シール成型》!!」」
カカカカカッ!!
二つのコテ先から放たれた超高粘度の特殊耐熱シール材が、閃光のような軌跡を描いて破断したフランジの隙間へと吸い込まれていった。
寸分の隙間もなく、ミクロン単位の凹凸を埋め尽くす完璧な充填。
アレクとガントの呼吸は、10年の空白など微塵も感じさせないほど、完璧に調和していた。
「バルガン親方、インパクトレンチでボルト締め! 対角線順に均等トルクで締め上げろ!」
「がっはっは! 任せときな! ドワーフのトルク管理を舐めんなよ!」
ガガガガッ! とミスリルボルトが強固に噛み合い、新しいパッキンが強固に圧着される。
「給油バルブ、開放! オイル圧送スタート!」
ルシアが真鍮レバーを力いっぱい倒した。
ドクン……ドクン……!
冷たい作動油が、悲鳴を上げていたメインベアリングへと勢いよく注ぎ込まれていく。
シュー……コオオオオッ……。
真っ赤に焼けていたポンプ本体の温度が、一気に安全圏の青白い光へと落ち着いていった。
ガタガタと激しく暴れていた巨大ピストンの振動が、規則正しく滑らかな低音のハミングへと変化していく。
「油圧……規定値の12メガパスカルに復元!」
シエルが歓喜の声を上げた。
「ウォーターハンマーの圧力波、全系統で減衰を確認! 大陸全土の迷宮配管の連鎖破裂、完全に回避されました!!」
「……止まったな」
ガントがバルブから手を離し、肩の力を抜いて足場の上にドサリと座り込んだ。
アレクもヘルメットの鍔を押し上げ、深く息を吐き出した。
「お見事だ、アレク。……立派な現場監督になったな」
ガントが煤だらけの顔を綻ばせ、アレクの肩をポンと叩いた。
「親父さんの教え通り、手抜き工事は一切していませんから」
アレクが静かに微笑み返す。
「がっはっは! ガントの親方、久しぶりだな!」
バルガン親方が足場を登ってきて、ガントと太い握手を交わした。
「10年間音沙汰なしでどこでくたばってたかと思えば、こんな穴の底で一人で配管押さえてやがったとはな!」
「バルガンか! 相変わらずうるせえドワーフだな。だが、お前らがいなきゃ本当に大陸ごと消し飛んでたぜ」
職人たちの温かい笑い声が、巨大なポンプ室に響き渡る。
だが――安堵の息を漏らす現場の職人たちの前で、基幹ポンプの背後にある『超巨大な岩壁』が、突如として不気味な金色の光を放ち始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……!
壁面に刻まれていた古代文字が、目も眩むような閃光を放ちながら一斉に点滅を始めたのだ。
シエルが眼鏡を押し上げ、その文字を凝視して息を呑んだ。
「こ、これは……ポンプの正常化によって起動した……古代システムの自動自己診断メッセージです!」
「何て書いてある、シエル!」
アレクが鋭く問う。
シエルが震える声で読み上げたその内容は、現場にいた全員の背筋を凍りつかせるに10分なものだった。
「――【警告:世界環境維持システム、耐用年数(1000年)超過】」
「……な、耐用年数超過……!?」
エドワードが息を呑んだ。
「――【基幹魔力循環ポンプ中枢、完全停止シークエンス起動まで……残り30日】」
静寂。
ウォーターハンマーという目先の危機を乗り越えた職人たちの前に突きつけられたのは、人間や魔族の誰のせいでもない――『世界の設計寿命そのものの限界』という、あまりにも巨大な現実だった。
「30日……だと……?」
ガントが眉根を寄せ、低く唸った。
「俺が10年間、一人で配管を叩きながら薄々感づいちゃいたが……本当に来ちまったか。この星の迷宮インフラの、寿命って奴がよ」
タイムリミットは、あと30日。
それを過ぎれば、世界中の魔力が完全に枯渇し、大地は干上がり、あらゆる生命が死滅する。
だが――絶望に沈む仲間たちの中で、アレクだけは静かにバインダーを開き、赤ペンを走らせていた。
「アレク……お前、こんな絶望的な警告を見て、何を書いてんだよ!?」
エドワードが叫ぶ。
アレクは平然と顔を上げた。
「何を書いているかだと? ――全大陸規模オーバーホール工事の『工程表』に決まっているだろう」
世界を救うための、史上最大の突貫工事。
原状回復士の戦いは、ここからが本当の本番だった。




