第083話:大地を揺るがす不吉なサイレン
深夜2時30分。
バベルの断層迷宮の現場宿舎が、深い眠りと静寂に包まれていた時間帯のことである。
昼間の激闘と夜の祝賀会を終え、誰もが心地よい疲労の中で泥のように眠りについていた。
だが――その静寂は、唐突に、そして暴力的に引き裂かれた。
ドォォォォォォン……ッッッ!!!
地震ではない。局所的な落盤でもない。
それは、地球の核――マントルよりもさらに深い地殻の深淵から直接突き上げてくるような、超巨大な金属の共鳴音だった。
耳で聞く音ではなく、内臓と骨が直接ビリビリと暴力的に振動させられる低周波の重低音。
木造の宿舎の梁がきしみ、机の上に置かれていた陶器のコップやガラス瓶が一斉に共振して粉々に砕け散った。
「……ッ!? な、なんだ!?」
エドワードが真新しい二本線ヘルメットを引っ掴んでベッドから跳ね起きた。
「敵襲か!? またどっかのタヌキ親父が戦車で突っ込んできたのか!?」
宿舎のドアが勢いよく蹴り開けられ、すでに完全な作業着姿のアレクが飛び込んできた。
ヘルメットの顎紐をきつく締め、手には赤色警告灯を激しく明滅させた魔導計測器を握りしめている。
「起きろエドワード! 道具袋と安全帯を持て! 緊急事態だ!」
「ア、アレク!? 一体何が起きてんだ!?」
「迷宮の全域で、かつてない超高圧の『魔力サージ』と異常振動が観測された。震源は十三階や二十階どころではない……迷宮の最深底、地下50階以下の基幹岩盤層だ!」
外の広場へ駆け出すと、そこはすでに非常灯の赤い光と、大混乱の怒号に包まれていた。
バルガン親方がパンツ一丁にヘルメット姿で巨大ハンマーを握りしめて飛び出してきており、ルシアとシエルも作業着を乱れさせながら青ざめた顔で駆け寄ってくる。
ファン、ファン、ファン、ファン――ッッッ!!
迷宮の岩壁に設置されていた古代の警告用魔導ベルが、1000年の沈黙を破って狂ったようにサイレンを鳴り響かせていた。
壁面の亀裂という亀裂から、青白い高圧の魔力蒸気がシューシューと激しい咆哮とともに噴き出し、床の石畳が熱湯のように触れないほどの熱気を帯び始めている。
「主任! 圧力計の針が全部最大スケールを振り切れています!」
ルシアが悲鳴を上げた。
「迷宮の主配管だけじゃありません! 周囲の岩盤そのものが、逃げ場を失った巨大な魔力流体を溜め込んで風船みたいに膨張しています!」
「シエル、ギルド本部との魔導通信は繋がるか!?」
アレクが鋭く叫ぶ。
「つ、通信網が……混線してパンク寸前です!」
シエルが受信機を耳に当て、顔面を蒼白にして叫び返した。
「王都の『嘆きの迷宮』! 帝国の『水晶迷宮』! さらに魔王領の『紅蓮迷宮』……大陸中に点在するすべてのメガダンジョンから、一斉に最高警戒レベルの緊急救難信号――SOSが発信されています!!」
「……何だと!?」
バルガン親方が目を剥いた。
「大陸中のダンジョンが全部同時にだぁ!? どういうことだ、一体何が起きてやがる!!」
「連鎖共振だ」
アレクの声音が、凍りつくように冷たくなった。
「10年前のガントのメモにあった通りだ。……1000年の間、東西の上層部が談合マッチポンプで迷宮を破壊し続けた結果、地下の魔力循環インフラ全体の油圧バランスが限界を迎えていた。そこへ今日、ドリル戦車の無謀な掘削と、古代炉心の過熱暴走という二重の衝撃が加わった」
アレクは地面に膝をつき、手のひらを石畳に当てた。
ドクン……ドクン……ドクン……!
大地の底から、巨大な心臓が破裂寸前で脈打つような恐ろしい拍動が伝わってくる。
「流体力学でいう『ウォーターハンマー現象』――水撃作用だ。高速で循環していた莫大な魔力流体が、急激なバルブ閉鎖や炉心の過熱によって行き場を失い、音速を超える圧力波となって配管内を跳ね回っている。配管のエルボ(曲がり角)や継ぎ目に、通常の何千倍もの破壊的な衝撃荷重がかかっているんだ。このまま衝撃波が配管網を反射し続ければ、今後24時間以内に――大陸地下の全配管が連鎖破裂する」
「れ、連鎖破裂……!?」
エドワードが息を詰まらせた。
「破裂したら……どうなるんだよ……!?」
「世界中の迷宮が同時に大噴火を起こし、地表が丸ごと陥没する。王都も魔王領も関係ない。――大陸規模のインフラ大崩壊だ」
アレクの宣告に、その場にいた全員の息が止まった。
局所的な落盤や兵器の暴走などとは次元が違う。
世界そのものの物理的な基盤が、今まさに崩壊しようとしているのだ。
そこへ、紫のコートを羽織ったエレノア副ギルドマスターが、通信魔導水晶を片手に青ざめた顔で駆け込んできた。
「アレク! ギルド連盟最高理事会と、魔王城最高評議会から、超法規的な『全権委任状』が緊急発令されたわ! 双方の上層部が完全にパニックに陥って、あなたに大陸全土の迷宮インフラ原状回復の全指揮権を丸投げしてきたのよ!」
「全指揮権か。……受けて立つ」
アレクは迷いなく頷いた。
「談合で甘い汁を吸っていた連中の尻拭いだが、現場のインフラを見捨てる技術者は原状回復士を名乗る資格はない」
「ピキュウウウッ!」
スライムのポチがアレクの足元で、かつてないほど激しく赤色発光しながら跳ね回った。
そして広場の奥、地下深くへと通じる超古代配管の露出部を指差した。
見ると――深緑色の巨大配管の表面に、1000年の埃を吹き飛ばして、鮮血のような赤い古代魔法文字が次々と浮かび上がっていた。
『――主幹冷却圧臨界超過。基幹ポンプ停止まで、残り23時間59分』。
タイムリミットが刻まれた配管の前で、アレクがヘルメットの顎紐を強く締め直した。
世界を救うための、真の原状回復の戦いが、今ここに幕を開けたのである。
「全員、ただちに突貫工事の準備にかかれ!」
アレクが全員を見渡して力強く号令を下した。
「泣き言を言っている暇はない。残り24時間で、大陸最深底の基幹ポンプ室へ突入し、油圧を復旧してウォーターハンマーを鎮圧する! これより、世界最大規模の原状回復工事を開始する!」
「おうよ! 世界の終わりを止める突貫工事だ、ドワーフの血が沸騰するぜ!」
バルガン親方が叫び、エドワードも腰のチタンラチェットレンチを抜き放って高く掲げた。
「任せろ! オレが最深底の地下50階まで、1本も揺れねえ最高強度の昇降足場を光速で渡してやる! 足場架設主任技術者の腕前、世界中に見せつけてやるぜ!」
「私も、あらゆる古代配管図面と流体計算を展開し、最適な圧力解放ルートをナビゲートします!」
シエルが手帳を開き、ペンを走らせる。
「魔王軍営繕部の全バイパス資材と高圧バルブを投入します! 主任、どこまでもついていきます!」
ルシアも真紅の瞳に炎を灯して胸を張る。
「光の加護よ、すべての配管と仲間の命を守りたまえ……!」
リリアナの祈りの光が、現場全員の作業着を温かく包み込んだ。
タイムリミットは24時間。
人類と魔族の未来を懸けた、原状回復士たちによる史上最大の突貫工事が、今まさに始動した。
「ピキュウウウッ!」
ポチがヘルメットの頭頂部を輝かしい緑色の安全誘導灯モードに変形させ、先頭に立って地下深部への急勾配な坑道へと駆け出した。
その後ろに、工具袋と単管パイプを担いだエドワード、削岩機を抱えたバルガン、図面を抱えたシエルとルシア、そして赤ペンを握りしめたアレクが続く。
「――安全第一、工期厳守。これより、全大陸迷宮インフラ原状回復工事を開始する!」
アレクの声が、轟音揺れる暗闇の坑道へと高らかに響き渡った。




