第081話:エドワードの昇格:日当1200ゴールドへ
大会議室での戦後処理と請求書の発行が一段落し、夕刻の橙色の光が国境宿舎の広場を温かく照らし出していた。
迷宮の地下深くでの過酷な突貫工事を終えた現場は、久しぶりの穏やかな静けさを取り戻している。
広場の中央には、ドワーフのバルガン親方、若草の風のレオたち、シエル、ルシア、リリアナ、そして泥と油に塗れた作業着姿の職人たちが車座になって集まっていた。
焚き火のパチパチとはぜる音と、大鍋で煮込まれる現場飯のシチューの香ばしい匂いが漂っている。
その輪の少し外れた場所で、エドワードは一人、パイプ椅子に腰掛けて自らの両の手のひらを見つめていた。
手のひらには、単管パイプを担ぎ、クランプを締め上げたことでできた無数の豆が潰れ、硬い角質となって皮膚を覆っている。
全身の筋肉は悲鳴を上げていたが、不思議と心の奥底は澄み切っていた。
かつて聖剣を振るっていた頃の、常に何かに追われ、虚勢を張り続けていた息苦しさはどこにもない。
自分が組んだ足場が、確かに仲間を支え、避難民の命を救ったという手応え。
「おい、エドワード。前へ出ろ」
アレクが現場手帳を片手に、静かな、しかし通る声で促した。
エドワードはビクッと背筋を跳ね上がらせ、腰の二丁掛け安全帯のフックをカチャカチャと硬質な金属音を鳴らしながら、恐る恐る前に進み出た。
「な、なんだよアレク……。オレ、なんか重大な施工ミスでもやらかしたか……? パイプの直交クランプの締め付けトルク、規定通り三十五ニュートン・メートルで全部均等に締めたぞ! ボルトの舐めもねえし、親綱の二丁掛け移動も一回たりともフックを外してねえ!」
また何か理不尽な減給や、天文学的なペナルティ罰金を食らうのではないかと、元勇者は青ざめた顔で身構えている。
これまで勇者として王都で「破壊神」「敷金泥棒」「現場の疫病神」と罵られ続けてきたトラウマが、骨の髄まで染み付いて離れないのだ。
だが、アレクの瞳は冷酷な借金取り立て屋のものではなかった。
アレクは足元に置かれていた真新しい木箱から、ピカピカに磨かれた『黄色い安全ヘルメット』を一つ取り出した。
そのヘルメットの正面には、誇り高き緑色の十字安全マーク。
そして両側面には――黒い二本線のビニールテープが、寸分の狂いもなく水平に、美しく貼られていた。
「エドワード。お前が被っている現在のヘルメットは【見習い作業員】用の無地のものだ。……だが、今日のお前の働きは、見習いの枠を遥かに超えていた」
「……え?」
エドワードが目を丸くして立ち尽くす。
「十三階での天井崩落時における、落下防止防護棚の瞬時架設。避難民数100人を救出した仮設避難階段『ドックステップ工法』の迅速かつ狂いのない施工。そして地下20階における、オーガ重装親衛隊の突進を完全に受け流した仮設バリケードの構築。……いずれも、構造力学の基本を完璧に遵守し、何より『作業員と避難民の命を絶対に守る』という安全第一の理念を体現していた」
アレクは一歩近づき、エドワードの古いヘルメットの顎紐をゆっくりと解いた。
そして、両側面に二本線の入った真新しいヘルメットを、エドワードの頭の上へ恭しく被せ、顎紐のバックルをカチリと締め直した。
「二本線テープは、現場における【一人前の足場鳶職人】の証だ。本日付で、お前を『主任鳶補佐』から、正式な『足場架設主任技術者』に昇格させる」
「……あ、足場架設……主任技術者……?」
エドワードの声が小刻みに震えた。
「それに伴い、現場賃金規定第12条に基づき、お前の基本時給を1000ゴールドから**【1200ゴールド】**に改定する。さらに、本日の超危険作業手当として3万ゴールドを特別支給。全額お前の借金元本から控除する」
「じ、時給1200ゴールド……!? 一人前の……足場鳶職人……!?」
エドワードはその場に釘付けになったように立ち尽くした。
頭の上に載せられた真新しいヘルメットの重み。
それは、かつて国王から授けられた黄金の冠よりも、どんな伝説の聖剣の輝きよりも、ずっしりと温かく、誇らしかった。
今まで、世界を救うために聖剣を振るっても、誰も自分の本当の泥臭い努力など見てくれなかった。
勝てば「勇者だから勝って当然だ」と持て囃され、負ければ罵倒され、建造物を壊せば厄介者扱いされた。
だが、今は違う。
自分の流した汗、手のひらにできた無数の固い豆、擦り切れた安全帯……そのすべてを、現場監督であるアレクが、寸分の狂いもなく正当に評価してくれたのだ。
「……う、うっ……」
エドワードの大きな瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
「うわああああんっ! オレ……オレ、認められたのかよ……! 一人前の職人として、認めてもらえたのかよぉぉぉっ!!」
子供のように両腕で顔を覆って号泣する元勇者に、広場にいた全員から、割れんばかりの拍手と温かい歓声が沸き起こった。
「がっはっは! おめでとうよ、エドワード!」
バルガン親方が丸太のような太い手でエドワードの背中をバシバシと力強く叩く。
「お前の組んだ足場は最高だったぜ! ドワーフの石工が太鼓判を押してやる!」
「エドワードさん、本当にかっこよかったです!」
若草の風のレオとミュウ、ノアが満面の笑みで親指を立てる。
「おめでとうございます、エドワード様」
リリアナも聖女の優しい微笑みを浮かべ、そっと白いハンカチを差し出した。
「あなたの組んだ足場が、本当に多くの人々の命を救いました。今のあなたは、誰よりも立派な『現場の勇者』です」
「リリアナぁぁぁっ! オレ、頑張るよ! 残りの借金1億ゴールドも、この腕で足場組みまくって絶対完済してやるからなァァァッ!!」
エドワードが涙と鼻水を流しながら叫ぶ姿に、シエルも手帳で目元を拭いながら微笑んだ。
「……アレク先輩。エドワード様、本当に立派な職人さんになられましたね」
「ああ。あいつの体幹と空間把握能力は本物だ。これで難関工区の高所作業も、安心して任せられる」
アレクも珍しく、ヘルメットの鍔の下で微かに口元を緩めていた。
「おい、エドワード。昇格に伴い、この道具も支給する」
アレクが腰から取り出したのは、真新しいチタン合金製の特注ラチェットレンチだった。
軽さと強度を極限まで両立し、グリップ部分には滑り止めのローレット加工が施されている。
「こ、これは……チタンラチェット!? ギルドの高級工具カタログで、銀貨百枚もするって載ってた憧れのやつじゃねえか!」
「主任技術者には、それに相応しい精度の工具が必要だ。ボルトの締め付けトルクはお前の感覚ではなく、このレンチのラチェット爪の噛み合いで測れ。道具を愛する者が、現場に愛される」
「アレク……! 大事にするよ! 一生大事にして、命がけで使い倒してやる!!」
エドワードは新品のチタンレンチを胸に抱きしめ、またしてもボロボロと感涙を流した。
かつて聖剣を無造作に地面に放り投げていた傲慢な男が、今や1本の作業工具を神仏のように大切に抱きしめている。
「ピキュッ!」
スライムのポチがエドワードの足元に駆け寄り、体の一部を小さな花束の形に変形させてプレゼントした。
泣き笑いしながら花束を受け取るエドワード。
かつて迷宮を破壊し尽くした光の勇者は、今や迷宮を支え、守る『現場の守護神』として、確固たる一歩を踏み出したのである。
そして――この祝賀の熱気冷めやらぬ中、魔王軍側からも『極めて喜ばしい公式辞令』が届けられようとしていた。




