第080話:エレノアの制裁:タカ派元帥への全額求償
バベルの断層迷宮の地上本部、冒険者ギルド連盟と魔王軍の合同大会議室。
普段は外交儀礼や形ばかりの冷え切った停戦交渉が行われるこの大理石造りの厳粛な部屋の中央に、今や惨めな敗残兵のように並ばされた二人の巨頭がいた。
一人は、豪華絢爛な軍服の金糸の胸章をもぎ取られ、麻縄で椅子に縛り付けられた人間側のバルトロメウス元帥。
もう一人は、漆黒のフルプレートアーマーの肩当てをへし折られ、ドワーフ特製の鍛造魔導手錠を両手首に嵌められた魔王軍のボルドゴフ将軍である。
東西の軍事タカ派を代表する傲慢な好戦派の頂点が、揃って冷たい床を見つめ、滝のような脂汗を流していた。
そしてその二人の前に、カツン、カツンと優雅で冷酷なヒール音を響かせながら歩み寄るのは、紫のタイトスーツに身を包んだエレノア副ギルドマスター。
その隣には、黄色い安全ヘルメットを被り直したアレク、複写式調書を抱えたシエルとルシア、そして腰に二丁掛け安全帯を巻いたエドワードが腕を組んで控えていた。
「……さて。お二人さん」
エレノアは艶やかな笑みを浮かべ、手に持った二枚の分厚い羊皮紙の束を、パサリと大理石の机の上に放り出した。
表面には、赤漆の特大スタンプで太々と捺された【原状回復工事費用求償請求書】の文字が踊っている。
「ひ、請求書だと……!? 儂はギルド連盟の最高元帥ぞ! たかが一介の副ギルドマスター風情が、この儂に対して金を請求するなど言語道断だ! 無礼千万であるぞ!」
バルトロメウス元帥が血相を変えて唾を飛ばしながら喚き立てる。
ボルドゴフ将軍も牙を剥き出しにして、手錠をガチャガチャと鳴らしながら唸り声を上げた。
「魔王軍の猛将たるこの儂に、人間どもの請求書など通用すると思うな! 軍法会議にかけられる筋合いなど微塵もないわ!」
「あらあら、相変わらずお耳が遠いようねえ」
エレノアは細い煙管をくゆらせ、紫の唇の端をサディスティックに吊り上げた。
「軍法会議? そんなお手盛りの身内裁判へ送るわけがないでしょう。あなたたちを裁くのは軍法ではなく――『迷宮原状回復規約』と『国際民事損害賠償法』よ。……シエル、ルシア。お二人へ、請求明細を丁寧に読み上げて差し上げなさい」
「「はいっ!!」」
二人の美少女が息を合わせて一歩前へ出た。
「まず、人間側バルトロメウス元帥に対する損害求償明細です!」
シエルが背筋をピンと伸ばし、凛とした通る声で読み上げる。
「無許可掘削による地下13階耐震支持柱の全損、および地盤沈下対策超高圧グラウチング注入工事費、全三十工区! さらに仮設避難階段架設費、落石防護ネット展張資材費、避難民への休業補償金! 加えて、ギルド特別軍事予算の不正流用8億ゴールドの即時返還金! ……諸経費および違法解体ペナルティ金を含め、総額、**【11億5000万ゴールド】**です!」
「じ、じゅういちおくごせんまん……!?」
バルトロメウス元帥の顔面から急速に血の気が引き、土気色へと変わっていく。
「続いて、魔王軍ボルドゴフ将軍に対する損害求償明細です!」
ルシアが小さな羊角をピンと立て、誇らしげに胸を張る。
「古代炉心一次冷却系統の不法閉鎖による過熱炉心緊急復旧工事費! 高圧直結導管切断撤去費用、および不凍冷却ジェル消費実費! さらに営繕部所属技術兵に対する不当労働強要慰謝料! 加えて無許可工作物【煉獄の咆哮】の強制代執行解体費! ……総額、**【9億8000万ゴールド】**です!」
「く、九億……!? 儂の軍団の3年分の全軍備予算を遥かに超えておるわ!!」
ボルドゴフ将軍が目を剥いて椅子ごとガタガタと震えた。
「二人合わせて、21億3000万ゴールドね」
エレノアが極上の冷徹な笑みを浮かべ、机を紫のマニキュアが塗られた指先でトントンと叩いた。
「安心なさい。すでに王都のギルド中央銀行と、魔王城の財務総局へ同時に『全資産凍結および強制代執行差し押さえ令状』を執行済みよ。お二人の私財、王都と魔界の一等地の別荘、隠し口座、そして今後30年に支払われる予定だった軍事年金は、すべてこの原状回復工事の支払口座へ自動引き落としされるわ♡」
「あ、あああ……儂の財産が……王都の豪邸が……老後の軍事年金がぁぁぁ……!!」
「儂の軍資金が……儂の築いた名誉と蓄えがぁぁぁ……!!」
二人のタカ派巨頭が、揃って頭を抱えて机に突っ伏し、情けない涙と鼻水を流しながら激しく号泣した。
その光景を遠くから眺めていたエドワードが、腕を組みながら深く頷いた。
「……すげえ。オレの1億2000万ゴールドの借金が、急に小銭に見えてきたぜ」
「ふふ、エドワード様。他人の天文学的な借金を見て安心していては、ご自身の返済が進みませんよ」
リリアナがクスクスと笑いながら横から毒を吐く。
「うぐっ……! 分かってるよ! オレは真面目に足場組んで自力で返すんだよ!」
「だが、これで終わりではない」
アレクが前に進み出た。
その手には、あのオリハルコン金庫から回収された『秘密協定書』の原本が握られていた。
「この1000年前の談合協定書は、ただちに国際合同監査委員会へ提出し、公表する。――人間と魔族の戦争が、一部の上層部による談合マッチポンプであった事実を、すべての民衆と冒険者に白日の下に晒す」
「ひ、それを公表されたら、儂ら主戦派の存在意義が……!」
バルトロメウス元帥が震える声で叫ぶ。
「最初から存在意義などなかったんだ」
アレクは冷徹に言い放った。
「現場を壊して予算を貪る時代は終わった。これからは、壊れたインフラを正しく直し、維持管理する者だけが生き残る時代だ」
アレクの言葉に、部屋にいたドワーフのバルガン親方も、若草の風のレオたちも、力強く頷いた。
1000年にわたる欺瞞の歴史が、現場監督官の手によって完全に終止符を打たれた瞬間だった。
「ピキュッ!」
スライムのポチがトコトコと机の上へ飛び乗ると、体内に蓄えていた真っ赤な羊皮紙の札――『強制代執行・全財産差し押さえ済』と書かれた朱塗りの封印札を、バルトロメウス元帥の額とボルドゴフ将軍の額にペタリと一枚ずつ貼り付けた。
二人のタカ派巨頭は、もはや反論する気力すら残っておらず、額に赤紙を貼られたまま白目を剥いて脱力した。
「さあ、警備兵! この二人を地下の特別労働更生区画へ連行しなさい!」
エレノアが優雅に手を振ると、屈強な衛兵たちが二人を引きずって退場させていった。
「がっはっは! 胸がすくとはこのことだな!」
バルガン親方が太い腹を叩いて笑い声を上げた。
「おいアレク、シエルちゃん、ルシアちゃん! 今日は現場の大勝利だ! 今夜は宿舎の酒場で、ドワーフ自慢のエール樽を全部開けて前祝の宴会と行こうじゃねえか!」
「賛成です! 私も今夜は腕によりをかけて、特製の現場飯おつまみを作ります!」
ルシアが目を輝かせると、シエルも「負けません、私もギルド仕込みの特製パイを焼きます!」と胸を張る。
二大軍閥の崩壊とともに、バベルの断層迷宮には、真の平和と復興の光が差し込もうとしていた。
だが――現場の労をねぎらう宴の前に、元勇者エドワードにとっての『もう一つの重要な査定』が待ち受けていた。
「おい、エドワード」
アレクが手帳をめくりながら呼び止める。
「お前の本日の施工実績――落下防止防護棚の瞬時架設、避難階段ドックステップ工法の施工、および親衛隊制圧における仮設バリケード架設の評価が出た。……査定結果を伝えるぞ」
「え、査定……!? オレの査定か!?」
エドワードが息を呑んで立ち止まった。
足場職人として覚醒した元勇者への正当な評価が、今まさに下されようとしていた。




