第075話:断層の緊急グラウチング大補修
暴走ドリル戦車が沈黙し、バルトロメウス元帥がギルド警備兵によって留置場へと連行された直後のことである。
現場に漂い始めていた安堵と疲労の空気は、アレクの鋭い一喝によって一瞬にして吹き飛ばされた。
「――全員、気を緩めるな! 重機を止めただけで、地盤の崩壊リスクが消え去ったわけではないぞ!」
アレクが掲げた高精度水平レーザー測定器の赤い光筋線が、十三階の大吹き抜け回廊の玄武岩の床をスッと走った。
三脚に固定されたレーザーのデジタル数値表示器が、ピピピピとけたたましい警告音を回廊に鳴り響かせ続ける。
「地盤の不等沈下、最大計測値120ミリ。許容限度の三倍を超過している。ドリル戦車が急旋回した衝撃と自重により、迷宮の主断層破砕帯に幅30センチ、深さ10メートル以上の縦亀裂が貫通してしまった。このまま放置すれば、上層十二階の荷重を支えきれず、今後3時間以内にメガダンジョン中央部が大規模な地盤陥没を起こす」
「さ、3時間……!?」
シエルが記録板を胸に抱きしめて息を呑んだ。
ルシアも青ざめた顔で駆け寄る。
「主任、どうすれば……! こんな巨大な断層の亀裂、通常のモルタルを上から流し込むような表面補修では全く間に合いません!」
「『超高圧グラウチング工法』を実施する」
アレクは即座に施工図面を資材木箱の上に広げ、鉛筆で削孔位置を次々とプロットしていった。
「迷宮の岩盤深部に向けて、3メートル間隔で斜め四十五度の注入孔を削孔する。そこに二液混合の超高強度特殊セメントミルクを高圧注入し、岩盤の内部に走る無数の微細なクラックというクラックを網の目のように結晶化させて一体化させる。――地盤そのものを、一つの巨大で強固な人工岩塊へと作り変えるんだ」
「おうよ! ドワーフの掘削隊の出番だな!」
バルガン親方が、巨大な油圧削岩機を丸太のような両腕で担ぎ上げて吼えた。
「おい、野郎ども! 削岩ビットをダイヤモンド鋼に換装しろ! 注入孔を30本、1時間で掘り抜くぞ!!」
「「「うおおおおっ!!」」」
ドワーフの屈強な職人たちが一斉に削岩機を構え、耳を劈く轟音とともに岩盤へとドリルを突き立てていく。
飛び散る火花と岩粉。男たちの熱気が、冷え切っていた地下回廊を一瞬で熱狂の現場へと変えていく。
「エドワード! お前は注入プラントの仮設足場を組め!」
アレクの鋭い指示が飛ぶ。
「高圧ホースの重量は1本30キロだ。圧送時の脈動でホースが暴れ、足場が共振しないよう、交差筋交いを二倍に補強した幅広のステージを架設しろ!」
「任せとけってんだ! 主任鳶補佐エドワード様の手にかかれば、揺れ止めアンカー打ち込み済みの高剛性ステージなんざ朝飯前だ!」
エドワードが腰の二丁掛けフックをガチリと鳴らし、単管パイプを縦横無尽に組み立てていく。
パイプを空中で回し、直交クランプをラチェットで締め上げるその手際の良さは、午前中よりもさらに洗練され、もはや歴戦の足場鳶職人そのものの風格を漂わせていた。
「シエルは材料の配合比率の管理! 水セメント比は45パーセント、急結剤の添加量は二・5パーセントで厳密に計量しろ!」
「はいっ! 誤差ゼロコンマ1パーセント以内で完璧に配合します!」
シエルが計量器を真剣な目で見つめ、魔導攪拌羽根をフル回転させて滑らかなセメントミルクを練り上げていく。
「ルシア、お前は注入圧力計の監視だ! 圧力が3メガパスカルを超えたら即座にバイパス弁を開け! 岩盤が内圧に耐えきれずに破裂するぞ!」
「了解です、主任! 圧力計の指針、1秒たりとも見逃しません!」
ルシアが真剣な眼差しで、緊急開放バルブのハンドルに両手を添えた。
現場のすべての歯車が、驚異的な精度で噛み合っていた。
人間も、ドワーフも、魔族も、元勇者も関係ない。
ただ一つの目的――『このメガダンジョンを元通りに直して帰る』という原状回復士の理念の下に、完全な一致団結が生まれていたのだ。
「ピキュウウウッ!」
スライムのポチが、削孔された注入孔の奥深くへとゼリー状の身体を滑り込ませた。
岩盤の内部にある目に見えない微細なクラックを探査し、超速乾セメントが余計な空洞へ漏れ出さないよう、自らの身体を超弾力パッキン――止水プラグとして孔の奥に密着させる。
「削孔完了! 全30本、深さ5メートルまで完全に貫通したぞ!」
バルガンの力強い叫び声が響く。
「注入開始! ポンプ圧送スタート!」
アレクが高圧ポンプの主レバーを力強く倒した。
ドクン、ドクン、ドクン……!
脈打つ高圧ホースを通じて、乳白色の補強グラウトが岩盤の深部へと勢いよく圧入されていく。
岩盤の軋む不気味な音が、徐々に小さくなっていく。
地下の亀裂を完全に満たしたセメントが、瞬く間に硬化熱を発しながら強固に結合していくのが、足の裏の感触を通じてリアルタイムで伝わってきた。
「注入圧、規定値の二・8メガパスカルで安定! クラックからの漏出、ゼロ!」
ルシアが声を張り上げる。
「沈下測定レーザー、完全に停止しました! 地盤の歪み、ゼロに復元!」
シエルが歓喜の声を上げた。
そして――最後の1本への注入が完了したその瞬間、現場にいた全員が、その場にへたり込むように安堵の息を吐き出した。
作業開始から、実に2時間40分。
崩壊寸前だった地下13階の主断層は、完璧なグラウチング補修によって、事故前よりも遥かに頑丈な耐震基盤へと生まれ変わったのである。
「……ふう。原状回復完了だ」
アレクがヘルメットを脱ぎ、作業着の袖で額の汗を拭った。
時計の針は、正午を少し回ったところだった。
「やった……! 本当に、地盤沈下を止めちゃいましたよ……!」
シエルが手帳を抱きしめ、涙ぐみながら笑った。
「主任、すごいです! 私たち、迷宮を救ったんですね!」
ルシアが飛び跳ねて喜び、エドワードも組んだばかりの足場の上で大きく伸びをした。
「へっ、これだけ働いたんだ。日当に特別グラウト手当も上乗せしてもらわなきゃ割に合わねえぞ、アレク!」
「ああ、正当な労働には正当な対価を払う。エレノア副ギルドマスターに伝票を回しておこう」
「っしゃあ! これで今月の返済額がまた一歩進んだぜ!」
現場に温かい笑い声が満ちる。
だが――アレクの視線は、再びあの瓦礫の奥へと静かに戻っていた。
地盤の完全な安定化によって、二次崩落の危険なく安全に掘り出せるようになった『超古代のオリハルコン製金庫』。
1000年の秘密を閉じ込めたその頑丈な箱が、瓦礫の山から黄金の輝きを放っている。
「バルガン親方、エドワード。すまないが、あの金庫の周りの瓦礫を慎重に撤去してくれ。衝撃を与えずに、手作業で掻き出すんだ」
「おう、任せときな! ドワーフの石工の腕の見せ所だぜ」
「オレも手伝うぜ。足場材をテコに使えば、重い岩も簡単に持ち上がるからな」
バルガンとエドワードが息の合った連携で瓦礫をどかし、ついに金庫の全体像が露わになった。
幅一・5メートル、高さ1メートル。
正面には、初代冒険者ギルド連盟総帥の『交差する黄金の剣』の紋章と、初代魔王の『双頭の黒竜』の紋章が、仲睦まじく肩を並べるように精密に彫り込まれていた。
「……本当に、ギルドと魔王軍の二つの紋章が並んでいますね」
ルシアがおずおずと触れ、息を呑む。
「魔王軍の歴史の授業では、初代魔王様は人間を憎み、血で血を洗う戦いを繰り広げたと教わってきました。……でも、この金庫の細工は、まるで手を取り合って一つの宝を守っているようです」
「歴史の教科書が真実を語っているとは限らない。現場に残された『物証』だけが、嘘偽りのない過去を語るんだ」
アレクは金庫の前にしゃがみ込み、工具袋から魔導インパクトレンチを手に取った。
ポチが「ピキュッ」と鳴き、解錠アシストの姿勢を取る。
1000年の沈黙を破り、禁断の金庫の扉を開ける時が、ついに訪れたのである。




