第073話:アレクの現場緊急出動命令
キュルルルルッ! ズザザザザッ!
メガ・ギガ・ドリル戦車の右側キャタピラが、スライムのポチが床一面に展開した超高粘着ゼリー液に突入した瞬間、異常なスリップ音を上げて激しく空転を始めた。
合成ゴムの弾性と魔力油が化学反応を起こし、鋼鉄の無限軌道がグリップ力を根底から失って滑り出す。
摩擦係数がゼロに近づいた床面の上で、50トンもの巨体が制御を失い、横滑りを起こして岩壁に激突した。
『ぬ、ぬおおっ!? なんだこの床の異常なぬめりは!? 進まんぞ! 全開だ、魔導出力を限界まで引き上げろ! スリップなどパワーでねじ伏せよ!!』
バルトロメウス元帥がコックピットに向かって金切り声を上げる。
戦車の排気ダクトから真っ赤なアフターバーナーの炎が吹き荒れ、魔導エンジンが焼き切れるような高音の悲鳴を上げ始めた。
だが、摩擦を失った車輪にいくらトルクをかけたところで、空回りの熱量が増大するだけである。
「今だ! 全工区、非常事態対処要領に移行! これより、不法占有重機解体・地盤緊急防護合同オペレーションを発動する!」
アレクが腰の拡声メガホンを口元に当て、一切の乱れのない凛とした声で全工区へ号令を下した。
粉塵と金属の悲鳴が渦巻く吹き抜け回廊の隅々にまで、その澄んだ指示が驚くほど明瞭に浸透していく。
「工程表第一段階、重機の物理的制動および固定化! バルガン親方、右キャタピラへ油圧削岩杭を打ち込め!」
「応よっ! 現場速度違反の罰金をくれてやるぜ!」
ドワーフのバルガンが、身の丈ほどもある大型魔導アンカーボルトを丸太のような太い両腕で構え、空転するキャタピラの第三転輪の隙間に深々と突き立てた。
そして巨大な整備用両口ハンマーを頭上高く振り上げる!
ドッガァァァァンッ!!
鼓膜を震わせる凄まじい打撃音とともに、太さ20センチのミスリル合金アンカーが、迷宮の基盤岩へと一気に1メートル以上も打ち込まれた。
ガチンッ! と鋼鉄の転輪がアンカーに噛み合い、右側のキャタピラが完全にロックされる。
『ぎゃあああっ!? 右舷操舵不能! 車体が勝手に右へ回転していきます!』
操縦兵の悲鳴が上がる。
片側の足をもがれた50トンの戦車は、自らの暴走的な駆動力によって独楽のようにその場でグルグルと旋回を始めた。
遠心力でバルトロメウス元帥の派手な軍帽が吹き飛び、情けない悲鳴を上げながらハッチの縁に必死にしがみついている。
「工程表第二段階、落盤防護ネットの緊急展張! シエル、ルシア、リリアナ!」
「「「はいっ!!」」」
三人の声が見事に揃った。
シエルがギルドの魔導展開シートの端を握って全力で走り、ルシアが魔王軍特製の軽量炭素繊維ワイヤーを反対側の岩壁の突起へ正確に投擲する。
そしてリリアナが、両手を胸の前で組み、清らかな祈りを捧げた。
「光の加護よ――構造材の分子間結合度を十倍に硬化させたまえ! 《聖女の結束力》!」
キィィィン……!
リリアナの聖なる光がワイヤーネットに注ぎ込まれた瞬間、網の強度が鋼鉄を遥かに超える超高張力防護ネットへと変貌した。
頭上から落下してくる数十個の鍾乳石の破片が、ネットにトランポリンのようにボヨンと受け止められ、エドワードが組んだ避難階段にいる人々の上には小石一つ落ちてこない。
「受け止めました! 落石防護ネット、全域展張完了!」
シエルが顔を紅潮させて叫ぶ。
「避難民の誘導路、上空クリアです! 全員、安全歩道へ収容中!」
ルシアも誇らしげに角をピクピクと揺らした。
「見事だ。……そして工程表第三段階、主兵装の強制無力化だ」
アレクの冷徹な視線が、猛烈な火花を散らしながら旋回し続ける巨大ドリル刃へと向けられた。
直径10メートル、アダマンタイトの回転刃。
岩盤を紙のように削り取るあの怪物を止めない限り、迷宮の地盤崩壊を食い止めることはできない。
「おい、アレク! あんな超高速で回ってるドリル、どうやって止める気だ!?」
高所の避難階段の手すりから身を乗り出し、エドワードが叫んだ。
「聖剣で叩き斬ろうとしたって、刃が弾かれてこっちの腕がへし折れるぞ! オレの筋力でも正面から受け止めるのは無理だ!」
「武力で対抗しようとするからそうなる。現場の物理現象を理解しろ」
アレクは背負っていた背嚢から、銀色の特殊な長柄高圧ポンプと、真っ白な二液混合の粉末缶を取り出した。
それは、アレクが自ら調合した『超速乾性アルカリ性ケミカル・グラウト材』――特殊補修セメントである。
「どんなに巨大な重機だろうと、回転運動を支えているのは『ベアリング』と『ギアボックス』の噛み合わせだ。回転体に、硬化時間5秒の超微粒子モルタルを高圧圧入したらどうなると思う?」
「……え?」
エドワードが目を丸くした。
「ギアの隙間にセメントが入り込み、瞬時に完全硬化する。――摩擦係数が無限大になり、物理的にロックされる」
アレクは左官ゴテの柄をカチリと握り直した。
「原状回復士の必殺工法――《神速左官・高圧薬液注入》だ」
「ピキュッ!」
ポチがアレクの肩に飛び乗り、高圧ポンプのシリンダーに自らの加圧触手を接続した。
スライムの体液によって瞬時に気密性が保たれ、注入圧力計の針がレッドゾーンの手前まで跳ね上がる。
「アレク先輩、注入ノズルの照準、ドリルの主軸受の隙間に合致しました!」
シエルが距離測定器を覗き込みながら叫ぶ。
「風向、前方からの排気風速秒速4メートル! ノズル仰角十五度で直撃します!」
「了解した。……バルトロメウス元帥。素人が重機を振り回した代償、その身で味わえ」
アレクは右手のトリガーを絞り込んだ。
シュゴオオオオッ!!
高圧ホースから噴射された乳白色の特殊速乾セメントが、閃光のような弾丸となって、猛回転する巨大ドリルの中心軸へと真っ直ぐに吸い込まれていった。
ギギギギギギッ……!!
けたたましい異音が回廊に響き渡る。
超高熱を発していた回転軸にセメントが触れた瞬間、水分が一瞬で沸騰蒸発し、超硬質化反応が爆発的に促進された。
数万回転の猛スピードで噛み合っていた歯車とベアリングの球体の間に、硬度モース硬度九の特殊モルタルがガチガチに結晶化して食い込んでいく。
『な、なんだ!? ドリルの回転速度が落ちているぞ!? 白煙が上がっている!』
コックピットから操縦兵の悲鳴が上がる。
ギガガガガッ……ガキンッッッ!!!
信じがたい轟音とともに、直径10メートルの超巨大ドリルが、岩盤に先端を突き刺した状態でピタリと停止した。
急激な物理的ロックによって発生した莫大な逆トルクが、ドリル戦車本体のメインドライブシャフトを飴細工のようにへし折る。
ドゴォォォンッ! と車体後部で魔導エンジンが猛烈な白煙を吐き出し、完全にエンストを起こして沈黙した。
静寂。
耳を劈くようだった地鳴りと粉塵の嵐が、嘘のように引いていく。
残されたのは、ただ呆然と煙を吐き出す鋼鉄の巨体と、コックピットのハッチから目を白黒させて転がり落ちてきたバルトロメウス元帥の姿だけだった。
「……と、止まった……?」
高所の避難階段の上で、エドワードが口をあんぐりと開けた。
「あんな化け物みたいなドリルを……セメント一発で止めやがったぞ、あの男……!」
階段に避難していた数100人の冒険者たち、魔族の職人たちから、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
「すげえええええっ!」
「現場監督が戦車を仕留めたぞ!」
だが、拍手を浴びるアレクの表情は、どこまでも冷静沈着だった。
アレクは左官ゴテをホルスターに収め、赤ペンを胸ポケットから取り出すと、転がり落ちて尻餅をついているバルトロメウス元帥の目の前へ、静かに歩み寄った。
「……さて。バルトロメウス元帥」
アレクの見下ろす双眸に、絶対零度の現場指導官の光が宿る。
「現場の安全基準を無視した違法運転、無許可掘削、ならびに基幹構造物破壊罪。――見積書の作成に入らせていただく」
暴走重機の無力化と、これから始まる恐怖の原状回復代金請求。
現場の秩序を乱した愚か者に、最高の鉄槌が下されようとしていた。




