第070話:第5巻完結:地鳴りとドリルの咆哮
翌朝、午前6時40分。
予定されていた合同朝礼まであと20分というその刻限、バベルの断層迷宮の地下宿舎エリアに、突如として大地を根底から揺るがす異常な地鳴りが轟き渡った。
ズズズズズ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
「……ッ!? 地震か!?」
「いや、揺れの周期が違う! 岩盤が外側から無理やり超高回転で削り取られている振動だ!」
宿舎の木造壁がきしみ、吊り下げられた魔導ランタンが激しく左右に揺れてガラスホヤがぶつかり合う。
非番だった現場の作業員たちが悲鳴を上げて跳ね起き、ヘルメットを慌てて抱え込みながら外の主通路へと雪崩れ出た。
すでに通路の中央には、完全な作業着姿にヘルメットの顎紐をきっちりと締め、水平器と青焼き図面を抱えたアレクが微動だにせず仁王立ちしていた。
その隣には、顔面を蒼白に染めながらも記録板を構えたシエルと、震える小さな羊角を両手で押さえたルシアが控えている。
「アレク先輩! 振動計測器の針が最大スケールを振り切れています! 震源は……天井、地上3キロ地点の直下です!」
「主任、これ……まさか昨日のエレノア様のお話にあった……!」
ルシアの絶望的な予感を肯定するかのように、大空洞の岩天井からパラパラと拳大の小石が降り注ぎ、次の瞬間――。
バギィィィィィィンッッッ!!!
ギガガガガガガガガガガガガッッッ!!!
鼓膜を破らんばかりの金属の絶叫と、数1000トンもの玄武岩が一瞬で粉砕される暴力的な破砕音が、吹き抜け回廊全体に凄まじい衝撃波となって吹き荒れた。
天井の岩盤が内部から炸裂し、白煙と粉塵の巨大な竜巻が巻き起こる。
そしてその濃密な煙のカーテンを突き破って姿を現したのは――現場の常識を根底から蹂躙する、悪夢のような鋼鉄の巨体だった。
先端に備えられた、直径10メートルを超える多段複合超硬質回転ドリル。
全身を重厚な魔導防弾鋼板で隙間なく覆い、太い無限軌道――キャタピラが迷宮の石畳を容赦なく噛み砕く、全長50メートルもの超大型掘削装甲車両。
――【メガ・ギガ・ドリル戦車】である。
「な、なんだあれはぁぁぁぁっ!?」
「天井から巨大な鉄の塊が降ってきたぞ!?」
現場にいた人間の冒険者たちと魔王軍のゴブリン工兵たちが、前代未聞の光景に肝を冷やし、我先にとパニックを起こして逃げ惑う。
ドリル戦車の先端が凄まじい回転数を上げると、迷宮の吹き抜け大回廊を支えていた古代の石造支持柱が1本、無残にも根元から薙ぎ倒され、大爆音とともに粉々に粉砕されて吹き飛んだ。
粉塵がもうもうと晴れ上がったドリル戦車の上部司令ハッチがバカンと跳ね上がり、派手な金色の勲章を胸元にジャラジャラと隙間なくつけた肥満体の軍人――ギルド連盟タカ派の首魁、バルトロメウス元帥が姿を現した。
その手には拡声用の特注魔導メガホンが握られている。
『ハッハッハッハッ! 見たか下層民ども! これぞ我が主導で極秘開発された、対迷宮最終決戦兵器【メガ・ギガ・ドリル戦車】の圧倒的威力だ! 軟弱な停戦協定など糞食らえだ! この戦車のパワーでバベルのメガダンジョンを天井から最深核までぶち抜き、魔王領へ直接雪崩れ込んで魔族どもを根絶やしにしてくれるわ!』
バルトロメウス元帥の傲慢極まる高笑いが、粉塵舞う迷宮の大空洞に響き渡る。
だが、その無謀極まる突入掘削は、迷宮のインフラにとって取り返しのつかない致命傷をもたらしていた。
「おい、見ろ! 天井に巨大な亀裂が走ってるぞ!」
「支持柱が折れたせいで、第13工区全体の荷重バランスが崩壊したんだ! 大規模落盤が起きるぞ!」
「逃げろ! 天井が落ちてくる! 押し潰されるぞ!」
巨大な鍾乳石や数100キロもの岩塊が、次々と頭上から雨のように降り注ぎ始める。
しかも、ドリルが切り裂いた岩壁の奥からは、高圧の緑色魔力蒸気がシューシューと激しい咆哮とともに噴出し始めていた。
昨日確認した超古代配管の側線バイパスが、戦車の無軌道な衝撃によって破断しかけているのだ。
「ひ、悲惨すぎる……! 無許可掘削の上に、基幹構造物の破壊……!」
シエルが青ざめて叫んだ。
ルシアも恐怖に震えながら後ずさる。
「主任、どうすれば……! あんな怪物、冒険者の剣や魔法でも太刀打ちできません!」
逃げ惑う人々。
崩落する天井の岩塊。
粉塵の中で狂ったように回転を続け、迷宮を破壊し尽くそうとする巨大ドリル。
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、ただ一人――まったく動じることなく、粉塵を払って静かに前進する男がいた。
コツ、コツ、と安全靴の足音を響かせ、アレクが歩み出る。
その左手には真鍮製のノギスと5メートルメジャー。
右手には、真っ赤な現場用クリップボード。
被った黄色いヘルメットの鍔をクイと押し上げると、アレクの冷徹極まる双眸が、暴走するドリル戦車を射抜いた。
「おい、そこの不審大型車両」
アレクの声は、拡声器など使わずとも、現場の芯に突き刺さるような威厳をもって響き渡った。
『あんだとぉ!? 貴様、誰に向かって口を利いておる! 儂はギルド連盟の元帥、バルトロメウスぞ!』
ハッチから身を乗り出した元帥が顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
アレクは平然とクリップボードに挟んだ羊皮紙をめくり、ペンを走らせた。
「身分など現場には関係ない。――道路運送車両管理法第3条違反、および迷宮原状回復規約第百十二条『無許可掘削工事の禁止』に抵触。さらに事前地盤調査の未実施、支持柱損壊による構造安全基準違反、特定騒音規制値八十五デシベルの超過。……十対ゼロでお前の過失だ」
『な、なんだとぉぉぉっ!?』
「警告する。ただちに回転刃を停止し、エンジンを切れ。さもなくば――現場監督官の職権に基づき、不法工作物として強制代執行の上、解体撤去する」
静かに、しかし絶対的な宣告。
逃げ惑っていた職人たちや冒険者たちが、その言葉に息を呑んで立ち止まった。
数10メートルの鋼鉄の怪物を前にして、たった一人の現場監督が、ペンとメジャーだけで真っ向から立ち塞がっているのだ。
『ガハハハハ! 笑わせるな現場のネズミ風情が! 我がドリル戦車を解体だと? できるものならやってみろ! 全速前進、邪魔な障害物ごと轢き潰せ!!』
ギガガガガッ!
再び轟音とともに巨大ドリルが猛烈な火花を散らして回転を上げ、戦車の巨体がアレクめがけて突進を開始した。
大空洞の岩盤が悲鳴を上げ、破滅の足音が迫る。
だが、アレクの瞳には、一切の恐怖も動揺もなかった。
アレクは腰のメガホンを手に取ると、背後に控える仲間たちへ向けて、迷いのない号令を下した。
「――全工区、非常事態警報発令! 現場安全協議会、特別出動だ! 現場を舐めた素人戦車に、原状回復士の施工手順を叩き込んでやる!」
その声に応えるように、背後からドワーフのバルガンが巨大な整備用両口ハンマーを肩に担ぎ上げて駆け寄ってきた。
「がっはっは! 面白いじゃねえか! 現場監督の許しも得ずに重機を乗り回すクソ素人に、ドワーフ流の鉄拳教育をお見舞いしてやるぜ!」
さらに、若草の風のレオ、ミュウ、ノアの三人が、腰から黄色い誘導灯を抜き放って点灯させた。
「アレクさん、避難誘導路の確保は任せてください! 作業員も避難民も、誰一人として落石には当たらせません!」
「避難動線確保、マニュアル第一手順スタートです!」
そして――。
金属パイプを2本担ぎ、二丁掛け安全帯をカチャリと鳴らしたエドワードが、獰猛な笑みを浮かべてアレクの右斜め前に躍り出た。
「おい、バルトロメウスのタヌキ親父! オレは今日から時給1000ゴールドの『主任鳶補佐』だ! オレの目の前でテメエの勝手なドリルを回して、せっかく組んだ足場を1本でも傷つけてみろ……オレの二丁掛けフックで、そのふざけたドリルの回転軸を根こそぎ絡め取ってぶち折ってやるからな!!」
元勇者の覚醒した気迫に、周囲の空気がビリビリと震える。
足元ではスライムのポチが、ヘルメットの頭頂部を赤色回転灯モードに変形させ、真っ赤な警告光を回転させながら「ピキュウウウウッ!」と勇ましいサイレン音を鳴り響かせていた。
大陸全土の平和と迷宮の安全を脅かす、前代未聞の暴走重機。
だが、迎え撃つのは軍隊ではない。
規格外の技術と誇りを持った、原状回復士たちによる『現場総力戦』である。
こうして、バベルの断層迷宮を揺るがす最大の危機――暴走ドリル戦車との全面対決が、ここに幕を開けたのであった。




