第068話:人間側ギルドの異変:謎の巨大予算
地下13階、第一冷凍機室の薄暗い通路に、カツン、カツンと硬質なヒールの音が規則正しく響いていた。
岩壁に反射するその足音に、現場の冷えた空気が微かに揺らぐ。
現れたのは、体のラインを強調する黒のタイトスカートに艶やかな紫のコートを羽織った妖艶な美女――王都冒険者ギルド副ギルドマスター、エレノア・フォックスであった。
手には、ギルド本部の最高機密印――赤漆の封蝋が施された分厚い帳簿と、青焼きの大型図面がしっかりと握られていた。
「エ、エレノア副ギルドマスター!? なぜこのような迷宮の深部にまで自らお越しに……!?」
シエルが目を丸くし、慌てて背筋を伸ばして直立不動の敬礼をした。
エレノアは細い顎を上げ、煙管のような細身の魔導ペンを紫色のマニキュアが塗られた指先で弄びながら、艶然と微笑んだ。
「王都の本部から緊急の特使便を飛ばして、今しがた国境の転移門に着いたのよ。現場の可愛い部下たちが、魔王軍のタカ派の企みで丸焦げにされては困るものねえ。……それに、もっとタチの悪い『身内の毒』も見つかったし」
エレノアは冷徹な眼差しを向けると、持っていた帳簿をアレクの前の資材木箱の上へ放り出した。
バサリ、と重々しい音を立てて開いた帳簿には、莫大な桁数の数字が整然と並んでいた。
アレクがヘッドライトの光を当て、視線を落とす。
「……ギルド連盟の特別軍事予算枠か。総額、8億ゴールド……? 名目は『国境メガダンジョン安定化支援費』だが、資材の発注明細が異常だな」
アレクは即座に数字の違和感を拾い上げた。
「高張力鋼板500トン、超大型魔導油圧シリンダー32基、硬質ミスリル掘削ビット頭部16基……。これは迷宮の修繕資材ではない。明らかに――」
「ええ。超大型の『対要塞破砕掘削機』……通称、ギガント・ドリル戦車を建造するための資材よ」
エレノアが細い溜息とともに告げた。
「ぎ、ギガント・ドリル戦車……!? ギルドがそんな軍事兵器を作っているのですか!?」
シエルの声が驚愕で裏返った。
エレノアは冷ややかな笑みを浮かべ、首を振る。
「ギルド全体ではないわ。連盟理事会の中に巣食うタカ派の首魁――バルトロメウス元帥の派閥よ。あの脳筋軍国主義のタヌキ親父、停戦協定で武功を立てられなくなったのがよほど不満だったと見えるわね。『魔王軍が休戦中に力を蓄えている。先手を打ってバベルの迷宮を上から掘り崩し、魔王城の地下へ直接軍勢を雪崩れ込ませるべきだ』と主張して、議会を無視して秘密裏に特別予算を流用していたのよ」
「上から掘り崩す……!?」
ルシアが真っ青になって両角を押さえた。
「そ、そんなことをしたら、迷宮の地盤構造が完全に狂って、地下水脈と魔力ラインが全部断裂してしまいます! 魔王城どころか、地上の国境都市ごと地下に飲み込まれますよ!?」
「その通りだ」
アレクの声が底冷えするように低くなった。
「バベルの断層迷宮は、古代の魔力流体パイプラインが縦横無尽に張り巡らされた巨大な圧力容器だ。それを地上から巨大ドリルで力任せに掘削するなど、信管が露出した爆薬の山をハンマーで叩き割るようなものだ。……人間側の元帥も、魔王軍のオーガ将軍と同じく、インフラへの敬意が一片も欠如している」
「まったく、呆れた話よねえ」
エレノアが妖しい瞳をすっと細める。
「魔王軍の主戦派は、地下20階から魔力配管を直結させて王都を焼き払おうとし、人間側の主戦派は、地上から巨大ドリルで迷宮を破壊して魔王領を押し潰そうとしている。……東西のバカどもが、揃いも揃って同じメガダンジョンを舞台に、最悪の違法解体レースを始めているわけ」
「双方の被害想定規模は?」
アレクが淡々と手帳を開いた。
「ギルド財務部の試算によれば、もし双方が兵器を起動させた場合――迷宮全体の崩壊に伴う周辺都市の壊滅的被害、および古代配管の魔力暴走による地殻変動。推定損害賠償額は、人間側と魔族側を合わせて――最低でも、8500億ゴールド」
「は、はちせんごひゃくおく……!?」
シエルが泡を吹いてその場に倒れそうになった。
王都ギルドの年間総予算の数十倍に匹敵する、国家がいくつ滅びても弁済不可能な天文学的数字である。
「払えるわけがないな」
アレクは微塵も動揺せず、シャープペンシルの芯をカチリと出した。
「そんな不毛な損害賠償請求書を処理する事務コストなど、現場の無駄以外の何物でもない。……施工前に両方の違法工事を物理的に差し止め、全資材を押収。原状回復させた上で、双方の主戦派に正規の違法解体ペナルティを全額請求する」
「うふふ、頼もしいわねえアレク。財務部としても、回収不能な焦げ付き債権なんて死んでも抱えたくないの。あなたに現場の全権委任状を出すわ」
エレノアが紫の唇を吊り上げ、ギルド本部の黄金印が押された羊皮紙を差し出した。
「人間側のギガント・ドリル戦車は、現在地上3キロの国境軍事要塞の地下ドックで最終組み立て中よ。そして魔王軍の魔導熱線砲は、地下20階の古代炉心区画。……同時に二つの違法現場を止めなければ、どちらかが暴発するわ」
「地上と地下最深部か。挟撃の形だな」
アレクが顎に手を当てて思考を巡らせる。
「だが、我々には決定的なアドバンテージがある」
「アドバンテージ、ですか?」
ルシアがおずおずと尋ねた。
「情報と技術だ。魔王軍の営繕部を握るルシアと、ギルドの財務と現場を握る我々が組んでいる。さらに、ドワーフのバルガン親方が率いる熟練の工兵団がいる。……奴らは迷宮をただの障害物や兵器の燃料としか見ていないが、我々は迷宮の配管図面と構造力学を完全に把握している」
「確かに……! 迷宮の抜け道やダクトを使えば、軍隊の哨戒線を完全に迂回して重要施設に潜入できます!」
ルシアの顔にパッと希望の光が差した。
「よし。ただちに合同安全協議会の臨時幹部会を招集する。これより、人間側および魔王軍双方の違法兵器解体・原状回復作戦を立案する」
アレクはヘルメットの鍔を押し上げ、通路の奥へ向かって鋭く声を張り上げた。
「――おいエドワード! いつまで資材置き場で油を売っている、集合だ!」
遠くの資材置き場から、「油売ってねえよ! 真面目にパイプの錆落とししてんだよ!」と不満げな怒鳴り声が返ってきた。
安全帯を腰に巻き、両手にワイヤーブラシを持った元勇者エドワードが、肩を怒らせて小走りでやってくる。
「なんだよアレク! オレは今、時給800ゴールドから1000ゴールドに昇給した『主任鳶補佐』としてのプロフェッショナルな自覚に目覚めて、パイプの1本1本をピカピカに磨き上げてたところなんだぞ! 邪魔すんな!」
「感心だな。そのプロの足場鳶としての技術を、次の特務現場で存分に発揮してもらう」
「……は? 特務現場?」
エドワードが怪訝そうに目を瞬かせる。
アレクは平然と、青焼きの図面をエドワードの鼻先に突きつけた。
「地上要塞の地下ドックに建造中の巨大掘削兵器、および地下20階の魔導熱線砲の不法占用現場への強行潜入・仮設足場架設作業だ。敵の重装警備兵が巡回する外壁と天井の隙間に、音を立てずに親綱を渡し、本足場を組み上げて突入ルートを確保する」
「……は、はいぃぃぃぃっ!?」
エドワードの絶叫が地下通路に木霊した。
「敵の警備の頭の上で足場を組めだぁ!? 見つかったら蜂の巣じゃねえか! なんでオレがそんな命がけの隠密鳶職をやらなきゃいけねえんだよ!?」
「特別危険手当として、一現場につき危険手当金1万ゴールドを支給する。全額お前の借金元本から控除だ」
「やります!! 主任鳶補佐エドワード、命に代えても最高の足場を架設してみせます!!」
またしても借金返済の魅力に即落ちしたエドワードに、シエルとルシアが揃って深い溜息をついた。
足元ではスライムのポチが、エレノアの高級ヒールにじゃれつきながら、「ピキュッ!」と頼もしく現場出撃の鬨の声を上げていた。
大陸全土を揺るがす二大軍閥の暴走を前にして、現場の男たちの戦いが、静かにその熱量を高め始めていた。




