第067話:魔王軍側の異変:軍事タカ派の暗躍
地下13階、薄暗い第一冷凍機室の奥深く。
超古代配管の継手フランジに残された無残な工具痕を見つめたまま、ルシアは唇を強く噛み締め、小刻みに肩を震わせていた。
その双眸には、いつもの天真爛漫な様子はなく、深い後悔と重圧が影を落としている。
「ルシア。この傷に心当たりがあるのか」
アレクの静かで揺るぎない問いかけに、ルシアは耐えかねたようにその場にヘルメットを抱えて膝をついた。
「……はい、主任。申し訳ありません……! 隠していたわけではないんです。ただ……あまりにも愚かで恐ろしくて、現場の皆様にどうお伝えすべきか迷っていて……!」
「落ち着け。事実を時系列順に、正確に報告しろ。現場における情報の隠蔽と報告の遅延は、二次災害を引き起こす最大の温床だ」
「は、はい……!」
ルシアは深呼吸を繰り返し、震える指先で額の汗を拭った。
両脇に生えた小さな羊角が、緊張でピンと強張っている。
「実は……魔王軍の中枢にいる『軍事タカ派』――主戦派の将軍たちが、最近この国境迷宮の地下深部で、勝手な軍事作戦を進めているんです」
「軍事タカ派?」
シエルが訝しげに眉をひそめ、記録用の羊皮紙を取り出した。
「魔王軍は今、人間側との全面戦争を避けて停戦協定を結び、国境迷宮の共同管理を行っているはずですよね? それなのに、なぜ主戦派がそのような動きを?」
「停戦そのものを『屈辱的な敗北』だと叫ぶ連中がいるんです……!」
ルシアの瞳に、悔しさと怒りの涙が滲んだ。
「主戦派の筆頭である猛将ボルドゴフ将軍……あの凶暴なオーガの将軍が、停戦派の穏健幹部たちを力でねじ伏せ、軍備拡張を強行しようとしています。そしてあろうことか、このメガダンジョンの深部を流れる超高圧の魔力配管に目をつけたんです!」
「魔力配管に目をつける……? 具体的には何をしようとしている」
アレクの眼光が、現場検証の時と同じ鋭利な光を宿す。
「その……ボルドゴフ将軍は、『迷宮の地下に流れる無尽蔵の超古代魔力を直接抜き取り、新開発の超巨大魔導熱線砲【煉獄の咆哮】のエネルギー源に直結させれば、人間側の王都を一撃で焦土にできる』と主張して……勝手な工事を始めたんです!」
「…………正気か」
アレクの口から、氷点下の冷気よりも冷徹で、低い呟きが漏れた。
普段はどんな理不尽な破損現場を見ても眉一つ動かさないアレクが、はっきりと軽蔑の色を滲ませていた。
「素人がインフラ配管に直接兵器を直結させただと……? 減圧弁もバイパス安全機構も噛ませずに、古代配管の高圧流体を抜き取ろうとしているのか?」
「は、はい……! 私たち営繕部の技術官たちが『絶対にやめろ、圧力バランスが崩れて大爆発を起こす』『基幹構造に手を加えれば大陸全体が崩壊する』と必死に諫めたのですが、ボルドゴフ将軍は聞く耳を持ちませんでした……。『技術屋の臆病風に付き合っていられるか! 魔力など太いパイプを無理やりぶち込んで引っ張れば済む話だ!』と一蹴して……反対したベテラン技官たちを全員、前線の危険な穴掘り部隊に左遷してしまったんです!」
「無知の極みだな」
アレクは腕を組み、冷徹に吐き捨てた。
「高圧蒸気や圧縮魔力の配管は、ミリ単位の圧力計算と流速の均一化によってかろうじて安定を保っている。そこに素人が勝手にバルブを増設して直管で抜き取れば、配管内部で激しいキャビテーション――気泡崩壊衝撃が発生する。圧力が臨界を超えれば、逆流した魔力サージが魔導砲の炉心だけでなく、配管網全体を伝わって大陸地下を粉砕するぞ。原状回復どころか、完全な自爆行為だ」
「ピキュ……ッ!」
ポチが恐怖で身体を震わせ、トゲトゲのウニのように警戒形態をとった。
「ルシア。その無許可改造が行われている現場はどこだ」
「地下20階……さらにその下にある、『古代炉心制御区画』と呼ばれる最深部です。ボルドゴフ将軍の私兵部隊が完全武装で封鎖していて、私たち営繕部はおろか、魔王直属の監察官すら立ち入りを禁じられています。……この十三階の傷も、深部からの魔力吸い上げ配管を無理やりこちらへバイパスしようとして、兵士たちが力任せにバルブをレンチでこじ開けようとした痕跡です」
「なるほどな。ガントのメモにあった『基幹ポンプの油圧低下』の原因の一つはこれか」
アレクは納得したように頷いた。
「深部で勝手に魔力を抜き取られ、流体の循環サイクルがショートサーキットを起こしている。だからメインポンプに負荷がかかり、全体の循環圧力が急落しているんだ。放置すれば、早晩メインポンプが焼き付きを起こして全系統が停止する」
「なんて身勝手な……! 自分たちの好戦的な野望のために、大陸全体のインフラを人質に取るなんて許せません!」
シエルが憤慨して手帳をペンで激しく叩いた。
「アレク先輩、すぐに冒険者ギルド連盟に報告して、人間側の正規軍を動かして阻止すべきです! 停戦協定違反として告発すれば、軍事制裁が下せます!」
だが、アレクは静かに首を横に振った。
「いや、待てシエル。拙速に軍を動かせば、ボルドゴフは『人間側の奇襲だ』と叫んで開戦の口実にするだろう。追い詰められた奴らがパニックを起こして、未完成の魔導砲の安全弁を力任せに開放したらどうなる? その瞬間にメガダンジョン全域が消し飛ぶぞ」
「そ、それは……確かに……!」
「インフラの危機は、軍隊の暴力では解決できない。解決できるのは、正しい知識と図面を持った現場技術者だけだ」
アレクは毅然と言い放った。
「奴らが地下20階でどんな違法改造をしていようと、迷宮構造物の原状回復規約に基づき、現場監督官として乗り込んで施工を強制停止させる。違法配管を撤去し、バイパスを正規ルートに戻す。それが俺たちの仕事だ」
「主任……! ですが、ボルドゴフ将軍は屈強なオーガの親衛隊を従えた歴戦の武闘派です! 並大抵の手段では地下20階の検問を突破することすらできません!」
ルシアが心配そうに身を乗り出す。
「問題ない。我々には、あいつがいる」
アレクがふっと薄く笑った。
「……あいつ、ですか?」
シエルとルシアが不思議そうに顔を見合わせる。
「つい先ほど、15メートルの高所で抜群の体幹と足場組みの才能を開花させた、元最高位勇者がな。……あいつの身体能力と、うちの現場技術を組み合わせれば、どんな要塞化した違法現場だろうと足場を組んで侵入できる。壁を壊すのではなく、外壁の隙間から足場を渡して裏をかくんだ」
その頃、地上の資材置き場で「ふう、午後の単管パイプ運びも気合入れてくかー!」と張り切ってラチェットレンチを磨いていたエドワードは、突然背筋に走った巨大な悪寒に「……ぶえっくしゅん!?」と盛大なクシャミを放っていた。
「なんだ……? 急に誰かにオレの全筋肉を便利に使われる悪夢を見たような気が……」
一方、機械室のアレクは天井を見上げ、冷ややかな瞳を細めた。
「……だが、嫌な予感がするな。魔王軍側にタカ派の暴走があるのなら、人間側が無傷で済んでいるはずがない」
「えっ? 人間側も、ですか……?」
シエルが瞬きをしたその時だった。
機械室の入口から、コツコツと甲高いハイヒールの足音が響いてきた。
「あらあら、アレク。相変わらず勘が鋭いのねえ。……まさにその嫌な予感の通りよ」
闇の中から現れたのは、タイトスカートに紫のコートを羽織り、妖艶な笑みを浮かべた女性――王都ギルド副ギルドマスター、エレノア・フォックスであった。
その手には、ギルド本部の極秘印が押された分厚い機密文書が握られていた。




