第066話:第二の超古代配管とガントのメモ
午後14時。
ルシアの絶品弁当によって英気を養ったアレクは、新設された第一冷凍機室――氷結貴族アルベールが冷房室外機として大人しく冷気を吐き出し続けている機械室の深部へと足を踏み入れていた。
同行しているのは、ヘルメットのヘッドライトを点灯させたシエルとルシア、そして腰に工具袋を下げたスライムのポチである。
「主任、先ほどの昼食の件……大変失礼いたしました。現場で私情を挟むなど、技術者失格です……」
ルシアが角をしおらしく垂らし、消え入りそうな声で謝罪した。
シエルも隣で咳払いをし、ばつの悪そうな表情で俯く。
「わ、私も……先輩の専属補佐官でありながら、幼稚な対抗心を燃やして現場の規律を乱してしまいました……」
二人の殊勝な反省に対し、アレクはライトで暗闇の岩壁を照らしながら、平然と首を振った。
「気にするな。良質な食事は作業効率を三割向上させるというデータがある。実際、午後の計測スピードは予定より早い。問題は――この奥の異常振動だ」
アレクが立ち止まり、分厚い手袋を外して生の手のひらを岩壁に当てた。
ゴオオオオ……という、微かな、しかし地殻の底から直接伝わってくるような重低音が、岩肌を通じて骨を震わせていた。
「この振動……ただの地下水脈や落石の揺れではありませんね」
シエルが懐から音叉を取り出し、壁面に接触させて耳を澄ます。
「振動周期が極めて規則的です。まるで……超巨大なピストンが、一定のリズムで流体を圧縮しているような……」
「ええ。私も魔王軍の営繕部で、迷宮深部の図面を古文書から探したことがありますが、こんな深部機械の記録はありませんでした」
ルシアが青ざめた顔で頷く。
「ここだ。岩壁の崩落跡の隙間を見ろ」
アレクがヘッドライトの光軸を絞り、亀裂の奥を鋭く照射した。
そこは、先日の氷結騒動で配管が破裂した際、衝撃で崩れ落ちた古代の外壁の裏側だった。
崩落した瓦礫の隙間に、異様な異物が顔を覗かせていた。
「……っ!? これは……!」
シエルが息を呑んだ。
瓦礫を慎重に掻き分けると、そこには太さ2メートルを超す、異様な緑青を帯びた金属配管が横たわっていたのだ。
表面には幾何学的な魔法文字が刻まれ、配管の内部を莫大な魔力高圧流体が流れていることを示す、鈍い脈動が脈打っている。
「地下5階の奥深くで発見した『第一の超古代配管』……それと全く同一の規格、同一の材質だ」
アレクが配管の表面を指先でなぞる。
「古代アダマンタイト合金と真鍮の特殊複合材。腐食耐性は永久級。……だが、なぜ国境メガダンジョンの地下13階に、王都の迷宮と同じ規格の配管が存在するんだ?」
「えっ……? 王都の迷宮と同じ、ですって……!?」
ルシアが目を見開いた。
「王都とこの国境メガダンジョンは、直線距離で数100キロも離れていますよ!? そんな距離を跨いで、同じ配管が繋がっているとでも言うのですか!?」
「その可能性は極めて高い」
アレクの声音が低く、重くなる。
「世界各地に点在する迷宮は、自然発生したダンジョンなどではない。地殻の深部で張り巡らされた『超古代の魔力冷却循環インフラ』……その巨大な排熱口やメンテナンスタワーが、地上から迷宮として見えているに過ぎないんだ」
「迷宮そのものが……巨大な冷却プラント……!?」
シエルが手帳を取り落としそうになりながら呟く。
その時、配管の継手部分をペロペロと舐めていたポチが、「ピキュッ!」と短く鳴き声を上げた。
ポチの触手が、配管と配管を繋ぐ巨大な円形フランジの側面を指し示している。
「ポチ、何か見つけたか?」
アレクが近づき、フランジの表面にこびりついた苔と油汚れをスクレーパーで削り落とした。
金属の表面が露出する。
そこには、古代の魔法文字とは明らかに異なる、荒々しく、しかし迷いのない手作業の痕跡があった。
硬質なタガネで、直接金属板に彫り込まれた『文字』だった。
「……これは……手彫りのメモか……!?」
シエルが息を詰めて覗き込む。
彫られていたのは、人間側の共通語で書かれた短い走り書きだった。
『――東西バイパス正常。だが基幹ポンプの油圧が落ちてる。急げ。 ガント』
「「ガント師匠……!!」」
アレクとシエルの声が重なった。
紛れもない、かつて冒険者ギルドの伝説的原状回復士であり、10年前に行方を眩ましたアレクの師、ガントの筆跡だった。
「師匠は……この場所に来ていたのか。10年前、失踪の直前に……!」
アレクの瞳に、普段の冷静沈着な現場監督とは異なる、熱い感情の火が灯った。
指先が、ガントの刻んだ荒削りな文字の溝を辿る。
「ガント様が……? 10年前といえば、人間と魔王軍の国境紛争が最も激しかった時期です」
ルシアが恐る恐る口を開く。
「当時の魔王軍の記録にも、国境の迷宮に単身で侵入し、警備兵を一切殺傷することなく、ただ迷宮の配管だけを整備して立ち去った『黄色い兜の怪人』の報告書が残っています……! あれは、アレク主任のお師匠様だったのですか……!?」
「間違いなく親父さんだ。あの人は昔から、戦争だろうが何だろうが、配管が詰まっているのを見過ごせない性質だったからな」
アレクは微かに口元を緩めたが、すぐにその表情を引き締めた。
「だが、問題はこのメモの内容だ。『東西バイパス正常。だが基幹ポンプの油圧が落ちてる。急げ』……」
アレクは配管に耳を当て、脈動の周期を聴診器で測るように分析した。
「油圧が落ちている、というのは魔力流体を循環させるメインポンプの出力低下を意味する。もし冷却流体の循環が完全に止まれば……この配管に蓄積された超高圧魔力はどこへ行く?」
「ひ、冷えなくなって……熱暴走、ですか……?」
シエルの顔から血の気が引いていく。
「熱暴走だけならまだいい。最悪の場合、大陸全土の地下に張り巡らされた魔力配管網が、水撃作用――ウォーターハンマー現象を起こして連鎖破裂する。そうなれば、王都も魔王領も関係ない。大陸の中央部が、地下からの巨大魔力爆発で丸ごと陥没する大惨事になる」
「そ、そんな……!?」
ルシアが両手で口を押さえた。
「迷宮が直らないどころの話じゃありません……! 世界そのものが崩壊しちゃうじゃないですか……!」
沈黙が機械室の暗闇を支配した。
周囲の冷気が、急に現実の脅威としての重みを帯びて肌に突き刺さる。
10年前、ガントはたった一人でその破滅を食い止めるために奔走し、そして今もどこかの深部で戦い続けているのだ。
「……ピキュウ」
ポチが心配そうにアレクの安全靴にすり寄る。
アレクはポチの丸い頭を軽く叩き、ヘルメットの顎紐を締め直した。
「怯える必要はない。不具合の原因と箇所が分かれば、やるべきことは一つだ。不良配管を特定し、バイパスを確保し、基幹ポンプを修理して原状回復する。どれほど巨大なインフラだろうと、現場の基本は変わらない」
その声には、一切の迷いも動揺もなかった。
世界の終焉という途方もない危機を前にして、アレクの思考はただ『補修手順の工程表』を組み立てることだけに研ぎ澄まされていた。
その頼もしい横顔を見つめ、シエルとルシアの瞳に再び光が戻る。
「はい、アレク先輩! 記録用羊皮紙と振動測定器、いつでも使えます!」
「私も、魔王軍側の地下図面をもう一度洗い直します! 営繕部の全記録を主任にお渡しします!」
「よし。だが、その前に一つ気になることがある」
アレクはガントのメモの横、配管の継手に残された『真新しい傷跡』を指差した。
「このボルト……最近、無理やり工具でこじ開けようとした痕跡がある。それも、原状回復の知識を持たない素人が、力任せにバルブを開放しようとした傷だ」
その言葉を聞いた瞬間、ルシアの表情が凍りついた。
まるで、心当たりがありすぎる何かに思い当たったかのように――。




