第063話:迷宮アイススケート場のオープン
第十二階層の幹線回廊の空調改修工事が完了してから、2日後のことだった。
主給水本管の周囲は完璧に十五度の常温に保たれ、新設されたバイパスダクトが、アルベールの放つ適度な冷気を隣の第8工区へとスムーズに送り届けていた。
しかし、回廊の中央に広がる数百平方メートルの広場には、厚さ20センチの美しい天然氷が、依然としてピカピカに輝いたまま残されていた。
「主任、この広場の氷……全部砕いて搬出するには、作業員10人体制でも一週間はかかります」
シエルが手帳の工程表を見つめ、困り顔で言った。プラチナブロンドの髪を後ろで束ね、銀縁眼鏡を指先で直す。
「かといって、バーナーで溶かすと大量の排水が出て、下層フロアの排水ポンプに負荷がかかりますし……どうすれば良いでしょうか? 排水スラッジが詰まる恐れもあります」
「砕く必要も溶かす必要もねえ」
アレクは現場の木製手すりに腰掛け、手元の温かい麦茶を啜りながら言った。
「表面の凹凸を削って、完璧な平滑面を出せ。ここは今日から――**【国境迷宮・天然アイススケート場】**だ」
「……は? ス、スケート場ですか!?」
シエルが目を丸くした。長いエルフ耳が驚きでピンと立つ。
「そうだ。安全通路の外側だ。あそこに氷がある限り、魔物も滑って侵入できんし、地元の冒険者や魔族の連中の憩いの場になる。無駄に撤去費用をかけるより、施設として有効活用した方がコストパフォーマンスが高い」
「おおっ! それは名案じゃな!」
奥から現れたバルガンが、髭を撫でて膝を打った。
「ドワーフの子供らも、氷滑りは大好きじゃ! よし、ワシが木工所でスケート靴の刃を百足ぶん削り出してこよう! 古い端材の鉄筋を使えば原価ゼロじゃ!」
「お願いします、課長!」
ルシアも嬉しそうに飛び跳ねた。
「私、氷の表面をピカピカにするための『水撒き整氷車』の図面を引いてきます! 適正な水温は四十度、均一散布スプレーノズルを設計します!」
こうして、職人たちの悪ノリ……ではなく、極めて合理的な「未利用資源の利活用プロジェクト」が電光石火の勢いでスタートした。
ポチが平べったい体で氷の表面を均一に研磨し、ルシアが温水を薄く撒いて急速冷凍させる。わずか半日で、オリンピックリンクも顔負けの極上天然スケートリンクが完成した。
そして――。
「わあ……! すごい! 本当に氷の上を滑れるよ!」
「見て見て! あんなに遠くまで一息で行ける!」
午後になると、広場は信じられないほどの歓声に包まれていた。
リンクの上を滑っていたのは、新人冒険者パーティ【若草の風】のレオ、ミュウ、ノアの三人。さらに、魔王領側の集落からやってきた小さな角を生やした魔族の子供たちだった。
「アレク主任! これ、最高ですね!」
レオが黄色いヘルメットを被ったまま、軽やかにスピンを決めて手を振った。
「迷宮の中にこんな楽しい場所ができるなんて! 人間も魔族も関係なく、みんなで遊べます!」
「レオさん、調子に乗ってスピードを出しすぎないでください! 衝突事故防止のため、周回方向は時計回りに固定ですよ!」
リンクの脇でシエルが笛を首から下げ、ピンクの作業ツナギ姿で交通整理を行っていた。
一方、リンクの入口には、ちゃっかりと受付ブースが設置されていた。
「はい、いらっしゃい♡ 貸し靴代込みで、大人一人銀貨五枚、子供は銀貨三枚よ♡」
煙管を指に挟み、優雅に料金箱へ銀貨をチャリンと落とさせていたのは、エレノアだった。
「エ、エレノア副ギルドマスター……! もう入場料を徴収しているんですか!?」
シエルが呆れて駆け寄ると、エレノアは艶やかにウインクした。
「当たり前でしょう? ギルドと魔王軍の共同出資による『国境地域活性化・厚生福祉事業』として正式認可したわ。売上の三割はリンクの保守管理費、二割は現場の安全積立金、残りはギルド財務の特別利益よ♡」
「さすが財務の女帝……抜け目がなさすぎます……」
エレノアは煙管からふわりと紫煙を吐き出すと、アレクの肩に手を添えた。
「アレクちゃん、王都のギルド本部でも、このスケート場の噂で持ちきりよ。『国境メガ迷宮に奇跡の氷上歓楽街が誕生した』ってね。観光冒険者たちが続々と国境へ押し寄せているわ」
「観光客が来ようがどうでもいい。大事なのは、迷宮のインフラが健全に回り、予定通りに定時退社できるかどうかだ」
「ふふ、相変わらずマイペースね♡ でも、あなたのそういうブレないところが、みんなを惹きつけるのよ」
そんな賑やかなリンクの端で。
アルベールが、新設された『第一冷凍機室』の防護金網の中から、毛布にくるまりながら恨めしそうに広場を見つめていた。
「ぐぬぬ……! 我が崇高なる絶対零度の回廊が……なぜ子供どもの遊技場になっておるのだ……! しかも、あやつらが滑るたびに、我の魔力が冷却用として消費されておる……!」
「アルベール室長、愚痴を言わないでくださいね♡」
リリアナが温かい生姜湯のカップを金網の隙間から差し出した。
「あなたが適度な冷気を出し続けてくださるおかげで、氷が溶けずに子供たちが笑顔で遊べるんですよ♡ ほら、温まってくださいね♡」
「う……うむ……。かたじけない……ズズッ……美味い……」
アルベールはすっかり毒気を抜かれ、生姜湯をすすりながら遠い目をしていた。
ミュウとノアも氷の上を軽やかに滑りながら、エドワードに手を振った。
「エドワード先輩、ありがとうございます! 転ばずに滑れました!」
「お、おう! 怪我すんなよ!」
かつての尊大な勇者は、いまや誰もが頼りにする心優しい現場の兄貴分になりつつあった。
その隣では、エドワードがリンクの手すりの単管パイプをガチガチと点検していた。
「手すりのグラつき、ゼロ! 子供が体重をかけても絶対に外れねえぞ!」
「エド坊、いい締め具合じゃ!」
レオが滑りながらエドワードの元へとやってきて、満面の笑顔で敬礼した。
「エドワード先輩! この手すり、めちゃくちゃ頑丈で滑りやすいです! 初心者用のガイドレールとしても最高ですよ!」
「せ、先輩って呼ぶなよ……! オレはただのバイトだ……」
エドワードは顔を真っ赤にしてそっぽを向いたが、その口元は微かに緩んでいた。
「でも、まあ……転んで怪我する奴がいねえなら、組んだ甲斐があったってもんだ」
バルガンが満足そうに頷く。
かつて破壊と憎悪が渦巻いていた国境の戦場が、職人たちの技術と知恵によって、誰もが笑顔になれる憩いの広場へと生まれ変わった。
アレクは手帳の工程表にペンを走らせ、静かに呟いた。
「壊すのはサルでもできる。直して、人が集まる場所に変えるのが人間の文化だ」
クロがアレクの肩の上で、嬉しそうに羽を広げた。
「ケケッ! 旦那の言う通りだな! 人間と魔族が一緒に氷の上で転んで笑い合ってるぜ! 300年現場を見てきたが、こんなめでたい光景は初めてだ!」
「ぷるるーっ!」
ポチも黄色い体をぽよぽよと揺らし、子供たちの足元を滑るように走って一緒に遊んでいた。
アレクは懐中時計をパチンと閉じた。
「17時ジャスト。スケート場の初日営業、無事故で完了だ。指さし確認、いくぞ」
「「「「「ヨシ!!!!」」」」」
全員の揃った掛け声が、夜の帳が下りる国境迷宮に誇らしく響き渡った。
茜色の夕暮れ時、リンクに響く子供たちの笑い声が、冷たい地下の空気をどこまでも温かく包み込んでいたのだった。




