第057話:中二病幹部・氷結貴族アルベール降臨
第十二階層の主回廊へと通じる巨大なアーチ門をくぐった瞬間、世界は完全に「冷凍庫の奥底」へと切り替わっていた。
ヒュオオオオオオ……!
吹き荒れるのは、肌を切り裂くような極寒のブリザード。
壁という壁、床という床が、厚さ数10センチの青白い氷の層に覆われ、天井からは無数の氷柱が鋭利な剣のように垂れ下がっていた。足元の石畳は完全なアイスバーンと化し、一歩踏み出すだけでツルリと滑って転倒しかねない。吐いた息は一瞬で白い結晶となってパラパラと落ち、立っているだけで足元から体温が根こそぎ奪われていく。
「ひ、ひええええっ……! 寒いいいいっ! 足の指の感覚がねえええっ! 鼻水が垂れた瞬間に凍ったぞぉぉっ!」
エドワードがツナギのポケットに手を突っ込み、がたがたと歯の根を鳴らして飛び跳ねた。
「エドワードさん、跳ね回るとツルツル滑って後頭部を強打しますよ! 靴底の滑り止めスパイクをしっかり効かせて、摺り足で歩いてください!」
ルシアが手際よくアイゼン(氷上滑り止め爪)を装着しながら注意を促す。
「現在気温、マイナス二十二度……! 壁面の氷結進行速度、毎分3センチです! このままではあと15分で給水管が凍結限界を迎えます!」
シエルが真鍮の寒暖計を掲げ、震える声で叫んだ。長いエルフ耳の先端が寒さで真っ赤になっている。
「……おい、見ろ。あそこだ」
アレクが現場用ゴーグルの奥から、回廊の中央を鋭く指差した。
凍りついた広場の中央。
氷の塊で築かれた不気味な玉座の上に、足を組んで優雅に腰掛けている一人の青年がいた。
白銀の長髪を風になびかせ、豪奢な青いマントを羽織った美形の魔族。その手には細身の氷結晶のレイピアが握られ、胸元には魔王軍上級貴族の豪奢な紋章が輝いていた。
彼こそが、魔王軍の若手ホープと持て囃される中二病幹部――【氷結貴族アルベール】だった。
「フハハハハ……! 来たか、下等なる人間ども、そして裏切り者の営繕課のネズミどもよ!」
アルベールは芝居がかった仕草でレイピアを天へと掲げ、冷酷な笑みを浮かべた。
「我が絶対零度の魔力によって、このバベルの回廊は永久の氷河期へと閉ざされた! 人間側の愚かな進軍路は絶たれ、我が氷の結界は誰人にも破れぬ! 我が冷気こそは、世界を美しく静止させる究極の芸術なのだァッ!」
陶酔しきった声が、氷の回廊にこだまする。
だが。
その神聖なる(?)名乗りを、容赦ない怒声が一刀両断した。
「おい、テメエ! 何晒してけつかるアルベールの若造がァァァッ!!」
バルガンだった。
巨大な鋼鉄スパナを振り回し、もじゃもじゃの白髭を逆立てて怒鳴り散らした。
「そこの壁の裏に何が埋まっとるか知っとるんかボケが! 迷宮の主給水本管じゃ! 直径1メートルの高圧鋳鉄管じゃぞ! そこを氷点下二十度まで冷やしたら、中の水が凍って破裂するに決まっとろうがァッ!」
「……は?」
アルベールがポカンと口を開け、レイピアを構えたまま固まった。
「な、何だ貴様は……? ドワーフの老いぼれ風情が、我が神聖なる氷の儀式に……すい……きゅうすい……? 何の話だ?」
「水道管の話に決まっとるじゃろうがドアホがァッ!」
バルガンの怒声が氷柱を激しく震わせる。
「そこの管が破裂したら、毎分40トンの泥水が吹き出して、下のフロアが水没するんじゃ! 誰がその後の泥上げとヘドロ掃除をすると思っとるんじゃ! ワシら営繕課が徹夜でスコップ持つんじゃぞ!!」
「フ、フン……知るか、そのような下賎な雑務など!」
アルベールは不快そうに鼻を鳴らし、マントを翻した。
「我が目的は人間どもの侵攻を阻むこと! 迷宮の配管がどうなろうと、我が至高の氷結魔術の美しさの前には些事に過ぎぬ! 消え失せよ、薄汚い土方どもめ!」
「ひ、土方だとぉぉぉっ!? テメエ、職人を愚弄しやがったなァッ!」
バルガンが血管を浮き上がらせて突撃しようとするのを、アレクが片手で静かに制した。
「待て、バルガン。無駄口を叩くな。冷気が喉に入って風邪を引く」
「ぐぬぬ……! じゃがアレク、あいつの言い草が……!」
「怒る必要はねえ。過失割合十対ゼロの器物破損現行犯だ」
アレクは現場用バインダーをパチンと開き、真鍮の万年筆をサラサラと走らせた。
「おい、アルベール」
シエルが手帳を掲げて毅然と言い放った。
「アルベール様、あなたの行為は魔王軍施設管理令第7条違反であると同時に、合同安全協定に基づく重大な器物破損行為です! これ以上の冷気放射を継続した場合、原状回復費用として金貨五千枚以上の損害賠償請求が発生します!」
「金貨五千枚だと……!? フン、金など我が公爵家にとっては端金に過ぎぬわ!」
「あら、公爵家でしたら資産の差し押さえも簡単ですね♡」
リリアナが満面の笑みで手元の請求書をトントンと整えた。
「何だ、頭に黄色い茶碗を乗せた小蝿が。貴様も我が冷気で凍りつきたいのか?」
「迷宮施設管理規約第16条、および合同安全衛生規則第22条違反だ。『所定の防寒・保温措置を講じない無許可の極低温魔法の使用、および共用インフラ配管の毀損行為』。現行犯で即時施工停止命令を発出する」
「は……? せ、施工停止命令……?」
アルベールが意味がわからないという顔をした。
「警告はしたぞ。シエル、ルシア」
「はい、主任!」
「準備できています!」
アレクは冷徹に前を見据えた。
「ただで冷気を出してくれる優秀な室外機がいるんだ。ありがたく熱交換サイクルに組み込んでやる」
リリアナが救急鞄を開きながら、クスリと微笑んだ。
「アルベール様、お肌がとてもお綺麗ですが、マイナス二十度の環境に長時間居座ると、凍傷で鼻の頭が壊死して真っ黒にポロリと取れてしまいますよ♡ 冷え症改善の軟膏、塗ってあげましょうか?♡」
「な、何を不吉なことを言うか、人間のシスター風情が!」
クロがアレクの肩の上で啼いた。
「ケケッ! 寒さ自慢のイキリ貴族の坊っちゃんよ! うちの旦那を本気で怒らせたら、お前のその冷気ごとエアコンの室外機に改造されちまうぜ!」
「ぷるるーっ!」
ポチも背中の不凍液タンクを揺らして気合いを入れる。
アルベールはプライドを傷つけられ、レイピアの先を震わせて激昂した。
エドワードがスコップを杖のようにして、寒さに震えながら叫んだ。
「おい、冷気野郎! オレはかつて勇者として数々の魔法使いと戦ってきたが……お前みたいな現場の迷惑を考えない自己満足の魔法使いが、一番タチが悪いんだよ! 配管を凍らせたら水が出なくなって、風呂にも入れねえだろ!」
「ふ、風呂だと……!? 貴様、この崇高なる魔王軍の軍事作戦に風呂を持ち出すか!」
「風呂は大事だ! 現場の汗を流す唯一の癒やしなんだよ!」
エドワードの魂の叫びに、バルガンが「うむ! エド坊、いいこと言った!」と頷く。
「ええい、戯言をォォッ! ならば貴様ら全員、永久の氷漬けの彫像にしてくれようぞ!!」
中二病貴族の冷気魔法が、さらに一段階ギアを上げて吹き荒れようとしていた。
アレクは静かにストップウォッチを取り出し、カチリと親指で押し込んだ。
「給水本管の凍結破壊まで、あと12分。シエル、ルシア、ポチ、散開しろ。熱交換バイパス設置工法、カウントダウン開始だ」
「「了解!!」」
冷気と職人の魂が、氷点下の回廊で真っ向から激突する!




