第055話:合同現場安全協議会の結成
国境迷宮の第三ゲート。
アレクとバルガン、シエルとルシア、そして麦茶で生き返ったエドワードの突貫作業により、吹き飛ばされていた防壁アーチの再構築工事は、日没を待たずに完了しようとしていた。
玄武岩砕石をブレンドした特注耐酸モルタルは美しく滑らかに目地を埋め、天井を支える油圧ジャッキは正規の高張力鋼ボルトと耐震ダンパーへと完全に置換されていた。頑丈にして優美な半円形アーチが、何100年も前からそこにあったかのように堂々と鎮座している。
「よし。第三ゲート、躯体復旧完了確認」
アレクが真鍮の魔法メジャーを壁面から引き抜き、指さし確認を行った。
「アーチ応力、適正。目地硬化度、九十八%。換気排気流速、毎秒8メートル。……ヨシ!」
「「「「ヨシ!!」」」」
シエル、ルシア、リリアナ、クロ、ポチ、そしてバルガンの唱和が、美しく甦った回廊に心地よく響き渡った。
エドワードも黄色いヘルメットの鍔を押さえながら、小さく「ヨシ……」と呟いた。泥まみれの顔に、わずかな誇らしさが滲んでいた。
「ふう……! 見事なもんじゃな、アレク!」
バルガンが巨大スパナを肩に担ぎ直し、完成したアーチを見上げて唸った。
「人間側の工法と魔王軍の材料が、これほど見事に噛み合うとは夢にも思わんかったわい。新築時より三割増しで頑丈になっとるぞ」
「互いの強みを活かしただけだ。現場に国境も人種もねえからな」
アレクがツナギの埃を払った、そのときだった。
タッタッタッ……。
回廊の人間側から、軽快な革靴の足音が近づいてきた。甘く妖艶な煙草の香りが、ひやりとした風に乗って漂ってくる。
「あらあら。噂には聞いていたけれど、本当に魔王軍の営繕課と仲良く工事を終わらせてしまうなんてね」
暗がりの中から現れたのは、煙管を手にしたエレノアだった。黒髪を揺らし、妖艶な笑みを浮かべて現場を見回している。胸元の開いた濃紺のスーツが、煤けた迷宮の風景の中で鮮やかに映えていた。
「エ、エレノア副ギルドマスター!?」
シエルが背筋を伸ばして一礼した。
「エレノア様、どうして国境まで……!? 王都の本部を離れて大丈夫なのですか?」
「本部の財務室にじっとしていられるわけないでしょう? 現場でどれだけの損害賠償と修繕費が動いているか、この目で確認しに来たのよ。遠隔決済だけじゃ、現場のワクワク感が足りないもの」
エレノアは煙管の吸い口を指先で弄びながら、アレクのツナギの肩についた粉塵をポンポンと払った。
「アレクちゃん、王都のギルド本部でも、あなたのこの出張の成果がすでに話題になっているわよ。『王都の原状回復班が国境の第三ゲートをわずか半日で補強した』ってね。管理局の技術幹部たちも腰を抜かしていたわ」
「当然だ。資材の配合と人員配置を最適化すれば、無駄な残業は発生せん」
「ふふ、相変わらず可愛げのない答えね♡ でも、そこがあなたの最高に頼もしいところよ」
エレノアは紫煙をくゆらせながら、バルガンの前に立った。
「あなたが魔王軍施設営繕課長のバルガンね。話は聞いているわ。……これを受け取りなさい」
エレノアが差し出したのは、一枚の分厚い羊皮紙だった。金の箔押しが施された、極めて公式なギルド連盟の協定書。
「ああん? なんじゃこれは」
バルガンが怪訝そうに眉をひそめる。
「――**【国境メガ迷宮・合同現場安全衛生委員会設立協定書】**よ」
エレノアが艶やかに微笑んだ。
「人間側と魔族側、双方が無軌道に迷宮を破壊し合えば、このバベルの断層迷宮はいずれ大崩落を起こして双方が破滅する。だからこそ、現場の技術者たちによる超党派の『合同安全管理組織』を立ち上げるの。委員長はアレクちゃん。副委員長はバルガン、あなたよ」
「な……なんじゃと……!?」
バルガンが目を丸くした。ルシアも息を呑む。
「魔王軍とギルドが……共同で安全委員会を……!? 上の軍部が黙っちゃおらんぞ!」
「上の連中には内緒に決まっているでしょう」
エレノアは妖しく片目をウインクした。
「形式上は『現地作業員の資材融通に関する業務連絡』として処理するわ。予算決済はわたくしの財務室が全額裏で通す。現場が崩壊するのを防ぐためなら、どんな抜け道だって使ってあげるわよ」
「……話のわかる女狐じゃな」
バルガンがニヤリと笑った。
「いいだろう! 現場の安全を守るためなら、悪魔とでも手を組むのが職人じゃ! 乗ったぞ、その話!」
バルガンが太い親指で朱肉を押し、協定書に力強い血判を押した。
「よし、契約成立ね♡」
エレノアが満足そうに書類を回収すると、アレクに向き直った。
「アレクちゃん。これであなたの現場権限は、魔王領側の一部にまで拡大されたわ。好きなだけ現場の安全を叩き込んでおやりなさい」
「言われなくてもそうする。定時までに終わらせるための段取りが増えるだけだ」
アレクは相変わらずそっけないが、その瞳には静かな覚悟が宿っていた。
ルシアが嬉しそうに飛び跳ねた。
「や、やったぁぁぁっ! これで私、堂々とアレク主任さんの現場に通えます!」
「ちょっとルシアさん、調子に乗らないでください! 書記の業務分担は私が決めますからね!」
シエルが頬を膨らませて牽制する。
「ふふ、書記が二人もいて頼もしいですね♡ 衛生班長としての薬品管理も、魔王領の生薬が手に入るなら助かります♡」
シエルが手帳を開き、真剣な表情でペンを走らせた。
「合同安全衛生委員会の初動方針、記録します! 第一目標は、国境迷宮における無許可発破の全面禁止、および危険区域への黄色い養生テープの徹底設置です!」
「うむ! 魔王軍側にも周知徹底させるぞ! 守らん奴はワシの特大スパナでお仕置きじゃ!」
バルガンが髭を震わせて笑い、ルシアも元気よく「私も図面チェック頑張ります!」と拳を握りしめた。
アレクは懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開いた。
「16時58分。本日の安全協議会設立総会、これにて終了。17時ジャスト、定時退社だ」
「「「お疲れ様でした!!」」」
ポチが足元で「ぷるるーっ!」と鳴き、エレノアの靴の上に飛び乗って挨拶をした。
「まあ、ポチちゃん、相変わらず愛嬌があるわね♡」
エレノアが優しく頭を撫でてやると、ポチはハート型にぽよんと弾んだ。
リリアナがおっとりと微笑む。
「おい、エドワード」
アレクが後ろでぼんやり立っていたエドワードを呼んだ。
「お前も委員会の一員だ」
「えっ……!? オ、オレも……!?」
「そうだ。役職は『専属資材運搬兼仮設足場鳶見習い』だ。サボったらバルガンにスパナで叩き落とされるぞ」
「ひぎゃあっ! 命懸けの役職ぅぅっ!」
エドワードが悲鳴を上げ、現場は大爆笑に包まれた。
クロがアレクの肩の上で羽ばたいた。
「ケケッ! これにて第4巻の大団円だな! 東西合同の原状回復チームの誕生だァッ!」
「ぷるっぷるー!」
ポチが誇らしげにヘルメットを光らせる。
夕陽が国境の山嶺を赤く染め上げ、第三ゲートの美しいアーチを暖かく照らし出していた。
人間と魔族。敵対する二つの世界の境界線で、ヘルメットをかぶった職人たちが、固い絆で結ばれた。
だが。
このときの彼らは、まだ知る由もなかった。
この国境メガ迷宮のさらに深い階層で、想像を絶する「極低温の天災」と、中二病全開の冷酷な幹部が、彼らを待ち受けていることを――。
ダンジョン原状回復士たちの事件簿、第2シーズン。
現場の熱い戦いは、ここからさらに激しさを増していく!




