第054話:エドワードの初現場バイト:国境編
国境迷宮、第三ゲートの本格復旧工事が開始された。
昨晩アレクとバルガンが酒場で決着をつけた「玄武岩砕石三割ブレンド」の特注耐酸モルタルがドラム缶で次々と練り上げられ、現場には心地よい作業音が響き渡っていた。
そんな中。
「お、重い……! なんでオレは……こんな重い石ばっかり運ばなきゃならねえんだ……!」
額から滝のような汗を流し、黄色い安全ヘルメットを傾けたエドワードが、鉄スコップで瓦礫を掬い、ガラ袋へと放り込んでいた。
かつては金髪をなびかせ、純白のマントを羽織って「悪しき魔物を滅ぼす!」と叫んでいた勇者エドワード・フォン・ブレイブハート。
今の彼の姿は、泥にまみれた作業用ツナギに、背中には【見習い】と大書されたゼッケン。手には擦り切れた軍手。足元には安全靴。どこからどう見ても、現場の最下層に位置する「日雇い手元」そのものだった。
「エドワードさん! スコップの使い方がまるでなっていません!」
鋭い指摘が飛んできた。
声の主は、実習生として張り切っているサキュバスのルシアだった。ショートパンツ型のツナギを着た彼女は、腰に手を当ててエドワードの足元を指差した。
「腕の力だけで石を持ち上げようとするから、すぐに息が切れるんです! 膝を曲げて、太ももの筋肉を使ってスコップをテコのように押し出すんです! ほら、こうです!」
ルシアがお手本を見せるように、小さな体でスコップを構え、軽やかに砂利を掬い上げてみせた。無駄のない滑らかなフォームだった。
「うぐっ……! 魔族の……サキュバスの小娘に、現場の指導をされるなんて……!」
エドワードが屈辱に唇を噛みしめる。
「小娘じゃありません、施設営繕課の主任です! それに、エドワードさん、土嚢袋の口の縛り方が甘いです! これじゃ持ち上げた瞬間に底から石がこぼれて、下を歩く人の足の甲に直撃します! 結び目は二重八の字巻きにしてください!」
「くそっ……! うるさい、うるさい……!」
エドワードはブツブツと文句を言いながらも、言われた通りに膝を曲げてスコップを構え直した。
すると――。
「……あれ?」
エドワードの動きが、ふと止まった。
腰を落とし、太ももに重心を乗せてスコップを突き出すと、驚くほど軽々と瓦礫が持ち上がったのだ。
「か、軽い……!? さっきまでの半分くらいの力で石が掬える……!?」
「当たり前です! 現場の動作はすべて力学に基づいているんですから!」
ルシアが得意げに胸を張る。
「ふん、まあ……ちょっとは役に立つアドバイスだったな」
エドワードがそっぽを向くと、ルシアはクスリと笑った。
「ふふ、エドワードさん、素直じゃないですね。でも、さっきよりずっとスコップの軌道が綺麗ですよ」
「べ、別に嬉しくねえよ!」
エドワードは顔を赤くして再びスコップを動かし始めた。
その様子を、一段高い足場の上からアレクが見下ろしていた。
「……ほう」
アレクがバインダーにペンを走らせる。
「エドワードのガラ出し速度、1分あたり十八袋から二十八袋へ向上。作業効率五十五%アップだな」
「主任、エドワード様、意外と筋が良いですね」
隣で墨出しの糸を持っていたシエルが微笑んだ。
「もともと勇者としての基礎体力と瞬発力は抜群ですから、正しい身体の使い方さえ覚えれば、一人前の作業員になるのも早いかもしれません」
「体力だけは無駄にあるからな。壊す方向に使えば大災害だが、片付ける方向に使えば優秀な重機代わりになる」
アレクは相変わらず容赦ない評価を下す。
そこへ、リリアナが冷たい麦茶の入ったヤカンを抱えてやってきた。
「はーい、10時の休憩(一服)ですよ♡ 冷たい麦茶と、塩分補給の干し肉をどうぞ♡」
「麦茶だぁぁぁっ!」
エドワードがスコップを放り投げて駆け寄ろうとした。
「コラァッ! エド坊!」
背後から怒声が飛んできた。
ドワーフのバルガンが、巨大なスパナを地面に突き立てて目を剥いている。
「道具を放り投げて休む奴があるか! スコップは柄を壁に立てかけて、刃を下に向けて置け! 道具への感謝を忘れとる奴には麦茶の一滴もやらんぞ!」
「ひぎゃあっ! す、すいませんでしたぁぁっ!」
エドワードが慌ててスコップを拾い上げ、丁寧に壁に立てかけた。
「よし! 挨拶はどうした!」
「ご、ご安全にっ!!」
「うむ、よろしい! 麦茶を呑め!」
バルガンが満足そうに頷き、エドワードに大きな木製カップを渡した。
エドワードは喉を鳴らしながら麦茶を一気に飲み干した。
「ぷはぁっ……! う、美味い……! 王都の高級ワインより……何倍も美味い……!」
額の汗を拭いながら、エドワードは自分の手のひらを見つめた。
かつては白く滑らかだった手肌に、いくつもの硬いマメができ、泥と鉄錆が爪の隙間に染み込んでいた。
しかし、不思議と嫌な気はしなかった。
自分の手で瓦礫を運び出し、片付いた通路がピカピカに掃き清められていくのを見るたびに、胸の奥に小さな、確かな達成感が芽生えていたのだ。
「オレ……今日だけで、3トンの石を運んだのか……」
「ええ、立派な戦果ですよ、エドワードさん」
シエルが優しく声をかけた。
「あなたが瓦礫を片付けてくれたおかげで、主任がアーチの基礎を打つことができました。現場は、誰か一人の力ではなく、全員のバトンタッチで進むんです」
「バトンタッチ……」
エドワードはその言葉を噛み締めた。
かつて自分が「オレ一人の力で世界を救う」と豪語していた頃には、決して知り得なかった感覚だった。
ポチが足元で「ぷるるーっ!」と鳴き、エドワードの安全靴の泥を触手で器用に拭き取ってくれた。
「ポチ……お前も、オレを仲間として認めてくれてるのか……?」
「ぷるっ!」
ポチがヘルメットを傾けて誇らしげに胸(?)を張った。
クロがアレクの肩の上でケケケと笑った。
「ケケッ! エド坊の目つきが、少しずつ現場のアンちゃんの目になってきたな! あと10年も泥を運べば、立派な作業主任者になれるぜ!」
「10年は長すぎるだろぉぉぉっ!!」
アレクが足場からひらりと飛び降り、エドワードの肩をポンと軽く叩いた。
「エドワード、午後は足場の組み立てだ。単管パイプとクランプを運べ。高所恐怖症はないな?」
「え……? 足場……? オレ、高いところは平気ですけど……山登りも得意ですし……」
「よし、ならちょうどいい。足場の親綱を張る手伝いをやらせる。地上20メートルだ」
「に、20メートル……!? 落ちたら死ぬじゃねえか!」
「安全帯を二重に掛けろと言ってるだろ。ルールを守れば絶対に落ちん。ビビるなら泥運びのままでもいいぞ」
「ビビってねえ! オレは勇者だ! やってやるよ!」
エドワードの負けん気に火がついた。少しずつ、しかし確実に、かつての愚かなプライドが職人の意地へと昇華され始めていた。
ルシアが嬉しそうにエドワードの肩を叩いた。
「エドワードさん、高所の資材渡しなら、私のコウモリ羽で下からサポートしますからね!」
「サキュバスに命綱を握られるのかよ……! でも、頼むぜ!」
敵味方の垣根を越えた現場の連帯が、また一つ固く結ばれたのだった。
エドワードの悲鳴が上がり、国境の現場は温かな笑いに包まれたのだった。
リリアナは空になった麦茶のヤカンを振って、満足そうに微笑んだ。
「水分補給完了ですね。午後の足場作業も熱中症ゼロ、墜落災害ゼロでいきましょう♡」




