第053話:ルシアの弟子入り志願(チョロイン覚醒)
翌朝、午前7時45分。
国境迷宮の仮設詰所前。朝露に濡れた岩肌に朝日が斜めに差し込む中、アレクは黄色い安全ヘルメットを被り、真鍮の魔法メジャーを首に掛けて立っていた。澄んだ空気の中、遠くの山嶺が白く輝いている。
その隣には、図面ケースを抱えたシエルと、救急鞄を手入れするリリアナ。足元には黄色いスライムのポチが、手書きの「安全第一」ヘルメットをちょこんと乗せて待機している。
「おい、エドワード。ラジオ体操第一の深呼吸だ。腕をしっかり伸ばせ。腰が入ってないぞ」
「い、いち、に、さん、し……! なんでオレはこんな山奥の迷宮の前で、毎朝体操させられてるんだ……! オレはブレイブハート家の誇り高き勇者……!」
「エドワード様、手先が丸まっていますよ♡ しっかり胸を反らさないと、午後の土嚢運びで背中が吊りますよ♡」
リリアナの涼やかな毒舌に励まされ(脅され)ながら、エドワードが涙目で肩を回していると、奥の通路から小走りの足音がパタパタと軽快に響いてきた。
「お、おはようございますぅぅっ!!」
息を切らして駆け寄ってきたのは、サキュバスのルシアだった。
昨日アレクからプレゼントされたチタン板入りインソールを装着した安全靴をピカピカに磨き上げ、ショートパンツ型の作業ツナギの裾をキュッと整えている。紫のツインテールが朝風に揺れ、背中の小さなコウモリ羽がパタパタと忙しなく羽ばたいていた。太ももには予備のチョーク、腰には真新しい皮の釘袋を下げている。
「ルシアさん? おはようございます。朝からどうされたのですか? 魔王軍の詰所はもっと奥のはずですが……」
シエルが不思議そうに首をかしげる。
ルシアは大きく深呼吸をすると、アレクの正面に立ち、直立不動の姿勢を取った。そして――深々と、九十度の角度で頭を下げたのだ。小さな羊角がアレクの腹部スレスレまで下がる。
「ア、アレク主任!! 私を、あなたの弟子にしてください!!」
「……は?」
アレクが眉をひそめた。
「弟子……!? る、ルシアさん、何を言い出すんですか!?」
シエルが悲鳴のような声を上げた。長いエルフ耳がピンと逆立ち、銀縁眼鏡がズレそうになる。
「わ、私……本気なんです!」
ルシアは顔を上げ、紫の大きな瞳を潤ませて訴えかけた。白い頬は林檎のように真っ赤に染まっている。
「昨日、主任さんの油圧ジャッキの据え付け技と、モルタルの骨材計算を目の当たりにして、一晩中眠れませんでした……! 私、サキュバスなのに色仕掛けが苦手で、男の人の手を握るだけで気絶しそうになる落ちこぼれで……魔王軍でもずっと『お前は役立たずの泥上げ係だ』って馬鹿にされてきたんです……!」
ルシアは小さな拳をギュッと握りしめ、胸元に当てた。
「でも、主任さんは違いました! 私が魔族なのに道具をくれて、私の足元を心配してくれて、私の引いた図面のミスを真剣に直してくれました……! 私、あんなに嬉しかったのは生まれて初めてなんです! もっと主任さんの技術を学びたいです! 主任さんのように、現場の誰も怪我をさせない、一流の技術者になりたいんです!」
熱い、純粋すぎる職人としての訴えだった。
「ルシアさん……」
シエルは対抗意識を燃やしていたものの、その真剣な眼差しに気圧され、毒気を抜かれたように言葉を失った。
「ふふ、なんて健気で愛らしい志願でしょう♡」
リリアナがおっとりと微笑んだ。
「主任、こんなに可愛いお弟子さんができるなんて、指導員冥利に尽きますね♡ 手取り足取り、夜の個人指導までしてあげてはいかがですか?♡」
「個人指導はせん。残業になる」
アレクは相変わらず鉄壁の無表情だった。
彼は腕を組み、ルシアの紫の瞳をじっと見つめた。
「ルシア」
「は、はいっ!」
「俺の現場は厳しいぞ。朝礼の1分前の集合は絶対だ。安全帯のフックを掛け忘れたら怒鳴り飛ばすし、手抜き工事をやったらその場で道具を取り上げてクビだ。それでも付いてくるか」
「は、はい!! どんな厳しい訓練にも耐えてみせます!! 主任さんのためなら、泥水だって飲めます!!」
「泥水は飲むな。腹を壊す。煮沸しろ」
「はいっ!!」
ルシアは感極まったように満面の笑みを咲かせた。
「よし。承認する。今日からお前は、原状回復班の『臨時技術実習生』だ」
「や、やったぁぁぁっ!!」
ルシアは飛び跳ねて喜び、思わずアレクの首元に抱きつこうとした。
「きゃっ、主任さん大好き――」
「ちょっと待ちなさい!!」
シエルが電光石火の勢いで間に割り込み、ルシアの肩をガッチリとホールドした。
「実習生としての参加は認めますが、パーソナルスペースの侵害は規約違反です! 主任の隣は、首席監査官である私の定位置なんですからね!」
「え〜? でも、実習生は指導員のすぐ後ろを歩くのが基本ですよね〜?」
ルシアが小悪魔的に舌をペロッと出した。
「ふふ、シエル先輩、これからよろしくお願いしますね♡」
「先輩呼びで誤魔化さないでください!!」
ツインテールのサキュバスと、プラチナブロンドのエルフが、朝の清々しい空気の中でぎゃあぎゃあと火花を散らす。
その横で、エドワードが深いため息を吐いた。
「いいなあ……実習生……オレなんて『見習いバイト』だぞ……時給800ゴールドの……」
「エドワード様、愚痴を言っている暇があるなら、朝礼の資材点検をしてくださいね♡ 1分遅れたら日当200ゴールド引きますよ♡」
「厳しすぎるだろぉぉぉっ!!」
クロがアレクの肩の上でケケケと笑った。
「ケケッ! 賑やかになってきたじゃねえか旦那! エルフの相棒にサキュバスの弟子、元聖女の衛生兵に借金勇者のバイト小僧! 王都の原状回復班も、いよいよ大所帯だな!」
「ぷるっぷるー!」
ポチが元気よく跳ね、ルシアの足元に駆け寄ってヘルメットを擦り付けた。
「わあ……! ポチさん、可愛い……!」
ルシアがしゃがみ込んでポチを撫でると、ポチは嬉しそうにハート型にぷるんと揺れた。
そこへ、通路の奥からバルガンが巨大なスパナを担いで現れた。
「ガハハ! ルシア、首尾よく弟子入りできたようじゃな! アレク、こいつは手先は器用じゃが、ちょっと押しに弱いところがある。しっかりシゴいてやってくれい!」
「任せろ。現場の基本から叩き込む」
ルシアは嬉しそうに作業用アームカバーをグッと引き上げ、腰の小型左官ゴテを握り直した。
「シエル先輩、私、モルタル練りは力仕事ですが、絶対に負けませんから!」
「望むところです! 私の補助魔法《軽重反転》による骨材投入スピードを見せてあげます!」
二人の美少女がバチバチと視線を交わし、リリアナが楽しそうに拍手する。
「ふふ、現場が華やかで何よりですね♡ 怪我をしたら特製の聖水湿布を貼ってあげますから、お二人とも仲良く競い合ってくださいね♡」
アレクは二人のやる気を見て、小さく頷いた。
「張り合うのは勝手だが、品質基準を落としたら減給だぞ。道具の清掃までが仕事だ」
「「はい、主任!」」
二人の声が気持ちよく揃った。
アレクは懐中時計をパチンと閉じた。
「7時55分。朝礼5分前だ。全員、ヘルメットのあご紐を締めろ。今日の現場は第三ゲートの崩落アーチ再構築だ。指さし確認、いくぞ!」
「「「「「オーッ!!!!」」」」」
種族の壁を越えた凸凹チームの威勢の良い声が、朝の国境山脈に響き渡ったのだった。




