第052話:酒場で語るモルタルの配合比
国境迷宮の地下4階、人間領と魔王領の中間に位置する中立地帯。
そこには、古代の空洞を利用した、冒険者も魔族の兵士も滅多に立ち寄らない隠れ家的な酒場――『錆びた歯車亭』があった。壁には古びた配管が剥き出しになり、ランプの薄明かりの中に漂うのは、濃厚な麦汁の匂いと、炭火で焼かれた岩塩ソーセージの香ばしい煙。
その一番奥の重厚な樫の木の丸テーブルで、異様な光景が繰り広げられていた。
――ドォォン!!
分厚い陶器の大型ジョッキが二つ、勢いよくぶつかり合った。
「「乾杯!!」」
黄色い安全ヘルメットを脱いだアレクと、もじゃもじゃ白髭のドワーフ親方バルガンが、一気に琥珀色の液体を喉へと流し込んだ。
ゴクッ、ゴクッ、プハァッ!
「くぅぅぅっ! 五臓六腑に染み渡るぜ! 現場終わりの一杯は、神の雫より効くわい!」
バルガンが髭の泡を袖で豪快に拭った。
「同感だ。埃っぽい現場の後は、炭酸とアルコールで喉の粘膜を洗浄するに限る」
アレクも静かにジョッキを置いた。
その隣では、シエルがピンクの作業ツナギの襟元を正しながら、果実水をストローで吸っている。ルシアは頬をほんのり赤らめ、アレクの小皿にソーセージを取り分けながら嬉しそうに尻尾をパタパタさせていた。
「アレク主任、お肉どうぞ! ここのソーセージ、魔界豚の燻製でとってもジューシーなんです!」
「ありがたい」
「ちょっとルシアさん、主任にお肉ばかり食べさせないでください。栄養バランスが崩れます。主任、こちらの温野菜サラダもどうぞ!」
シエルが負けじと野菜の皿を差し出す。アレクは「どっちも食う」と平然と両方を口に運んだ。
一方、テーブルの端では、エドワードが冷たい麦茶のジョッキを両手で抱え、遠い目をしていた。
「な、なんでオレは……魔王軍の営繕課長とサキュバスと同じテーブルで酒を飲んでるんだ……? オレは勇者……魔王を討伐するはずの英雄だったのに……」
「エドワード様、未成年ならぬ未返済者はお酒禁止ですよ♡ 麦茶一杯、銅貨二枚を給料天引きしておきますね♡」
リリアナが涼やかに微笑み、手元の伝票に書き込んだ。
「麦茶代まで引くのかよぉぉぉっ!!」
そんな漫才を他所に、職人二人の酒盛りは、次第にディープな専門談義へと突入していった。
「なぁ、アレクよ」
バルガンがジョッキを片手に身を乗り出した。
「さっきの第三ゲートの対向壁、お前が見たワシらの黒曜石モルタルじゃが……水セメント比は三十五%、火山灰細骨材を二割ブレンドした特注品なんじゃ。どうじゃ、あの粘りと硬化速度は?」
「悪くねえ。初期強度の立ち上がりは申し分ない」
アレクはツナギのポケットから現場用チョークを取り出すと、酒場の木製テーブルの上にサラサラと配合比のグラフを描き始めた。
「だが、砂利(骨材)の粒度分布が少し荒い。最大粒径が15ミリを超えてる石が混ざってるだろ。そのせいで、クサビの角の隙間にわずかな『す(ジャンカ)』ができてる」
「なにぃっ!? す、じゃと!?」
バルガンが目を見開いてテーブルの図面にかぶりついた。
「バカな! ワシがふるいにかけた最高級の川砂利じゃぞ!」
「川砂利だからダメなんだよ。魔王領の河川砂利は角が丸い。噛み合わせ強度が落ちる。砕石を使え。10ミリアンダーの角張った玄武岩砕石を三割混ぜれば、空隙率が二%下がって、耐酸強度が三割跳ね上がる」
「…………!!」
バルガンは息を呑み、三つ編みの髭を両手で引っ張った。
「げ、玄武岩砕石……! 角張り骨材によるインターロッキング効果か……! ぐぬぬ……! 確かにその通りじゃ……! ワシは作業性ばかり気にして、骨材の噛み合わせを見落としておった……!」
「主任、すごいです……!」
ルシアが両手を叩いて感嘆の声を上げた。
「バルガン課長は魔王軍で一番頑固な職人で、誰の意見も聞かないのに……一瞬で論破しちゃうなんて……!」
「論破じゃねえ、現場の物理だ。いい材料を適正に組めば、長持ちする。手抜きすりゃ、後で泣くのは自分たちだ」
「ぐうの音も出んわい……!」
バルガンは悔しそうに唸ったあと、ガハハと豪快に笑い飛ばした。
「参った! さすがはガントの弟子じゃ! あのクソ親父もまったく同じことを言っておったわ! 『お前らのモルタルは甘ったるい、玄武岩の角で歯を折るくらい気合いを入れろ』とな!」
「親父らしい下品な言い回しだな」
アレクが苦笑する。
「なあ、バルガン。親父は10年前、ここで何をしていったんだ」
アレクが真剣な眼差しで尋ねると、バルガンはジョッキを置き、神妙な顔つきになった。
「……10年前のあの日、この国境迷宮の地下50階層で、原因不明の魔力地鳴りが起きたんじゃ。迷宮の主配管が破裂しかけて、大地の魔力が逆流して大爆発寸前じゃった。ワシら魔王軍の技師が総出でも止められんかったその時、ボロボロのツナギを着たガントがふらりと現れた」
バルガンは遠い目をして天井を見上げた。
「あいつは巨大なモンキーレンチを配管のフランジに噛ませて、一人で逆流の魔力圧を押し戻したんじゃ。ワシも加勢して、徹夜で緊急バイパスを組んだ。……直りきった後、あいつは言ったよ。『東西のバランスは取った。だが根本の心臓部(始祖コア)の寿命が近い。俺は下へ行く』とな」
「……始祖コア」
アレクが呟いた。
「ああ。それっきり、ガントは行方知れずじゃ。だがな、アレク」
バルガンがアレクの目を真っ直ぐに見つめた。
「上の連中――人間側のギルド上層部も、魔王軍の軍部も、迷宮をただの『領土争いの戦場』としか見とらん。だがワシら職人は知っとる。この迷宮が止まれば、東西の全土が死ぬんじゃ。……お前と会えてよかった。現場を分かっとる奴が、人間側にもおって心底安心したわい」
「……俺もだ」
アレクは静かにジョッキを掲げた。
「上の奴らがどれだけ壊そうと、俺たちが直す。定時までにきっちりな」
「おうよ! 定時退社上等じゃ!」
カチン! と再びジョッキが鳴り響いた。
クロがアレクの肩の上で、特製鉱物油の小皿にクチバシを浸しながら満足げに目を細めた。
「ケケッ! いい酒盛りだなあ旦那! ガントの親方の昔話を聞きながら呑む油は格別だぜ! おいエド坊、お前もいつまでもいじけてねえで、この串焼きのキャベツでも食えよ!」
「いじけてるわけじゃない! オレの人生の常識が全部ひっくり返って混乱してるんだよ……! 魔王軍の幹部と酒を酌み交わすなんて、騎士道物語のどこにも書いてねえ……!」
「騎士道じゃ腹は膨れんからのう♡」
リリアナが楽しげに串焼きを頬張り、シエルも手帳にバルガンの話を熱心に書き留めていた。
「10年前の魔力地鳴り……迷宮が世界を生かすポンプである証拠が、ここでも裏付けられましたね。主任、私たちの進むべき道は、確実にガント師匠の足跡と重なっています!」
「ああ。まずは明日の第三ゲートの補強からだ。二日酔いで足場を踏み外すなよ、バルガン」
「ガハハ! ドワーフがエール如きで二日酔いになるかよ! 明日の朝礼で勝負じゃ!」
ポチがテーブルの上で黄色い体をぷるぷると揺らし、空いた皿を器用に片付けながら「ぷるるーっ!」と一声鳴いた。
「よし、ポチの撤収合図だ。16時50分、定時退店とするぞ」
「まだ酒場なのに定時を気にするんですか、主任!」
シエルのツッコミが小気味よく夜の酒場に響き渡った。
種族の壁を越え、国境の地下深くで、二人の職人の魂が固く結びついた夜だった。




