第051話:親方登場! ドワーフ営繕課長バルガン
床を震わせる重厚な足音とともに、排気室の入口に仁王立ちしたのは、身の丈よりも横幅の方が広いのではないかと思わせる筋骨隆々のドワーフだった。
その背中には、アレクの身長ほどもある巨大な鋼鉄製のモンキースパナ。もじゃもじゃの白い髭は見事な三つ編みにされ、胸元まで届いている。頭には無数の打痕が刻まれた無骨な鉄兜、油と煤で黒光りする厚革の前掛けを身につけていた。腕の太さは丸太のようで、血管が青く浮き出ている。
「ルシアァァッ! 無事かコラァァッ! どこぞの人間どもの爆薬で天井梁が落ちたと聞いて飛んできたぞォォッ!」
部屋中の空気をビリビリと震わせる野太い怒声。
その怒れる親方――魔王軍施設営繕課長、バルガン(180歳)の血走った眼光が、部屋の中央でジャッキを構えるアレク、そしてシエルとリリアナ、さらにスコップを抱えて震えるエドワードを一瞬で捉えた。
「ぬう……!? 貴様ら、人間側の原状回復士か! さては我が営繕課の可愛い部下に危害を加えようとしたなァッ!」
バルガンが背中の巨大スパナに手をかけ、一触即発の殺気が立ち込めた。
「ち、違います課長!」
ルシアが慌てて両手を広げ、バルガンとアレクの間に割り込んだ。
「危害を加えられたんじゃないんです! 梁が折れて落ちてきたところを、こちらの人間側の主任さんが、油圧ジャッキで受け止めて助けてくれたんです! ほら、見てください!」
「ああん……? 油圧ジャッキだと……?」
バルガンが怪訝そうに眉をひそめ、天井を支える青いピストンに目を凝らした。
次の瞬間、ドワーフのベテラン職人の目がカッと見開かれた。
「な、なんじゃと……!? この荷重受けの据え付け位置……! 梁の重心からコンマ5ミリも狂っておらん! しかも下部アンカーは斜め四十五度の引張クサビ止め……! わずか数秒でこの段取りを組んだというのか!?」
バルガンの視線が、ジャッキからアレクの腰回りへと移った。
ツールホルダーに収まった左官ゴテ。魔導インパクトレンチ。そして――首元から下げられた、鈍い光を放つ真鍮の魔法メジャー。
「おい……小僧」
バルガンの声から殺気が消え去り、震えるような低音へと変わった。
「その真鍮メジャー……ちょっと見せてみろ」
アレクは特に警戒する様子もなく、首元からメジャーを外し、無造作にバルガンへ放り投げた。
「ほらよ」
「ちょ、主任! 大事な道具を敵に投げては……!」
シエルが悲鳴を上げたが、アレクは手で制した。
バルガンはごつごつした太い指で真鍮メジャーを受け止めると、テープをシュルシュルと引き出した。先端の金具、目盛りのフォント、そして裏蓋の真鍮板に刻まれた、微小な打痕を親指で撫でた。
そこには、小さな陰刻があった。
――『施工:G』。
「……やっぱりだ」
バルガンのもじゃもじゃ髭がワナワナと震え、目頭にじんわりと涙が滲んだ。
「この10ミリごとの目盛りの彫りの深さ……摩耗を防ぐ二重焼き入れ……! 間違いねえ、ガント規格だ! ガントのクソ親父が手彫りで作った特注品じゃねえか!」
「……ほう」
アレクの死んだ魚のような瞳が、わずかに細められた。
「ガントの親父を知ってるのか」
「知ってるも何も!」
バルガンがメジャーを胸元で抱きしめ、大声を張り上げた。
「10年前、この国境迷宮の最深部で、主給水管の緊急バルブを徹夜で一緒に締めた戦友だ! あの頑固ジジイ、道具を何よりも大事にしててな、『俺の道具を継ぐ奴は世界で一人しかいねえ』って自慢してやがった! ……そうか、貴様があのジジイの言っていた『バカ弟子』か!」
「誰がバカ弟子だ。親父が勝手に言ってただけだ」
アレクが苦笑交じりに鼻を鳴らす。
「ガントの親父の弟子……!?」
ルシアが目を見開いて叫んだ。
「10年前、魔王城の地下ボイラーが破裂しかけたとき、モンキーレンチ1本で駆けつけて城の爆発を救ったという、あの伝説の放浪技術者ですか!? 魔王軍の社史にも載っている神話の技師ですよ!」
「親父、魔王城まで行ってたのか……。本当にどこにでも首を突っ込むジジイだな」
アレクが呆れたように肩を竦める。
バルガンはメジャーを丁寧に巻き取り、両手でアレクに返却した。その表情には、先ほどの険悪さは微塵もなく、同業者への深い敬意と親愛の情が溢れていた。
「すまねえ、小僧……いや、アレク主任! 部下を救ってもらった恩、そしてガントの弟子に出会えた奇跡に感謝する! ワシは魔王軍施設営繕課長のバルガンだ!」
バルガンが太い右手を差し出した。油と煤にまみれ、無数の豆が潰れた、本物の職人の手だった。
アレクも作業用グローブを外し、素手を差し出した。
――ガシィッ!
二人の手が、排気室の真ん中で固く握り合わされた。
「おいおいおい、旦那!」
肩の上のクロが手を叩いて大笑いした。
「ケケケッ! 一触即発の戦争勃発かと思ったら、まさかの親方同盟じゃねえか! ガントのジジイの顔パスは魔王軍にも通用するのかよ!」
「ぷるっぷるー!」
ポチも嬉しそうに飛び跳ねた。
エドワードが後ろから恐る恐る顔を出した。
「あ、あの……ドワーフの親方さん……オレたち、敵同士なんじゃ……」
「ああん!? 誰が敵同士じゃボケが!」
バルガンがカッと目を剥いてエドワードを一喝した。
「現場に入ったら人間も魔族も関係ねえ! あるのは作業手順と安全第一だけじゃ! ……ん? 貴様、ヘルメットに【見習い】と書いてあるな。道具の置き方がなってねえぞ! スコップの刃を上に向けて置くな、踏んだら足の甲を切るじゃろうが!」
「ひぎゃあっ! 敵の親方にまで怒鳴られたぁぁっ!」
エドワードが涙目でスコップを伏せて置き直す。
リリアナが微笑みながら頷いた。
「ふふ、バルガン課長様、素晴らしい安全指導ですね♡ この見習いバイト、まだまだ指導が必要ですので、存分に鍛えてやってくださいね♡」
「おう、任せとけ嬢ちゃん! 根性叩き直してやるわ!」
バルガンは豪快に笑い、アレクの肩をバシバシと力強く叩いた。
「おい、アレク! この迷宮の第三ゲート、上が無茶な爆破をしやがって、お互い現場は大迷惑だったろ? どうだ、この先の中立地帯にある地下酒場へ行かねえか? ドワーフ特製の黒ビールを奢るぜ。モルタルの砂利の配合比について、朝まで語り合おうじゃねえか!」
「いいな。上のバカどもの悪口を肴に呑むビールは最高だ」
「話が早くて助かるぜ! 行くぞ!」
ルシアが嬉しそうに小走りでアレクの隣に並んだ。
「あ、私も行きます! アレク主任の隣で、現場の美味しいおつまみの作り方、教わりたいです!」
「ちょっとルシアさん! どさくさに紛れて主任の隣をキープしないでください!」
シエルも負けじと反対側の腕を抱え込もうとし、エルフとサキュバスの仁義なき現場代理人争いが再燃した。
アレクは両脇から引っ張られる腕を無感情に振りほどいた。
「邪魔だ。歩きにくい。二人とも現場から酒場までの動線に障害物を置くな」
「「障害物扱い!?」」
シエルとルシアの悲鳴のようなツッコミがハモった。
「やれやれ……モテる親方は辛いねえ、旦那」
クロが呆れ返り、ポチが「ぷるぷる」と笑いながら一行を追いかけるのだった。
「えええっ!? 敵の課長さんと飲みに行くんですか!?」
シエルが目を白黒させる中、日米ならぬ東西の職人二人は、意気揚々と肩を並べて暗がりへと歩き出したのだった。




