第047話:バベルの断層迷宮と違法解体の嵐
王都を出発して3日。
大型馬車と、その後ろを必死の形相で二輪荷車を引くエドワードの隊列は、大陸中央を東西に分断する巨大山脈の麓へと辿り着いた。
見上げる視線の先、険しい岩山の裂け目に、まるで天を突く巨塔が地中に埋没したかのような、途方もないスケールの石造建造物が聳え立っていた。
「あれが……【バベルの断層迷宮】……!」
馬車の御者台から身を乗り出したシエルが、圧倒されたように息を呑んだ。
王都の「嘆きの地下迷宮」が精々地下十数階層、直径数100メートル規模だったのに対し、目の前の構造物は桁が違っていた。地上に露出している外殻だけでも要塞都市一つが丸ごと収まるほどの巨大さであり、地下には全百階層、東西数10キロメートルに及ぶ広大な迷宮都市が広がっているという。
「うへえ……! デカいなんてもんじゃねえな、旦那!」
アレクの肩の上で、クロが翼を震わせて見上げた。
「あんなデカ物を管理するなんて、いったい何0万人の作業員が必要なんだ? 想像しただけで嘴がパサパサしてくるぜ!」
「ぷるるーっ……」
ポチもヘルメットを傾け、巨大な入口を見上げて小さく身震いした。
「規模はデカいが、構造の基本は同じだ。基礎躯体、耐力壁、換気竪坑、そして魔力配管。建物の基本を押さえていれば、どんなデカ物だろうと臆することはない」
アレクは淡々とした声で言い、馬車から飛び降りた。足元の安全靴が、乾いた砂利を踏みしめる。
その後ろで、どさりと崩れ落ちる音がした。
「ぜぇ……はぁ……! つ、着いた……! 死ぬ……! オレの足が棒のようだ……! 3日、重い資材車を引き続けさせられる勇者なんて、前代未聞だぞぉぉぉっ!」
エドワードが地面に突っ伏し、黄色いヘルメットを土まみれにしながら涙を流していた。
「エドワード様、見苦しいですよ♡」
リリアナが救急鞄を抱えて降りてくると、冷たい視線を浴びせた。
「あなたが引いていたのは、ただの予備セメント袋十袋と、鉄筋の束だけではありませんか。勇者を名乗るなら、これくらいの筋トレで音を上げないでくださいね♡ ほら、筋肉痛に効く激辛ポーションです」
「飲ませるな! 絶対に毒が入ってる!」
エドワードが転がるように後ずさる。
そんな一行を出迎えたのは、現地の出張ギルド支部から慌てて駆け寄ってきた、小太りの支部長だった。
「お、お待ちしておりました! あなたが王都から派遣されてきたという、特級原状回復士のアレク殿ですね!?」
「ああ。現場責任者のアレクだ。被害状況の報告を頼む」
「は、はい! 実は、もう目も当てられない大惨事なのです!」
支部長はアレクのツナギ姿と、シエルのピンクのツナギ、そして荷車を押すエドワードを交互に見回して、困惑したように目を瞬かせた。
「あ、あの……アレク殿、護衛の武装部隊はどちらに……? ここは国境の最前線、いつ魔族の奇襲があってもおかしくない危険地帯なのですが……」
「護衛などいらん。現場に必要なのは武器を持った兵士ではなく、スコップを持った職人だ。兵士がウロウロすると足場が揺れて事故のもとになる」
「は、はあ……職人の世界とは、恐ろしいものですな……」
リリアナが涼やかに微笑みながら補足した。
「安心してください、支部長様♡ 万が一魔物が襲ってきても、主任がインパクトレンチで関節のボルトを緩めて解体するか、ポチさんが吸着して床磨きモップにしてしまいますから♡」
「も、モップ……!?」
支部長の顔が引き攣った。
支部長が汗をハンカチで拭きながら、迷宮の巨大な第一ゲートへと案内した。
一歩足を踏み入れた瞬間、アレクの眉がピクリと跳ねた。
ゴホッ、ゴホッ!
シエルが咄嗟に袖で口元を覆った。
通路の奥から、凄まじい白煙と粉塵がもうもうと吹き出してきたのだ。空気が濁り、ツンとした硝煙の臭いと、砕かれたコンクリートの灰が視界を遮っている。
通路を進むと、さらに酷い光景が広がっていた。
壁という壁が、無残に砕け散っていたのだ。
本来であれば古代の美しい幾何学レリーフが刻まれていたはずの石壁が、強力な魔導ダイナマイトによって無造作に吹き飛ばされ、あちこちに大穴が空いている。その穴から、次の通路へとショートカットするように、足跡が乱雑に続いていた。
「な、何ですかこれは……!?」
シエルが怒りに声を震わせた。
「壁が……完全にぶち破られています! 迷路の構造を無視して、一直線に穴を開けて進軍した跡です!」
「その通りなのです!」
支部長が嘆きの声を上げた。
「人間側の手柄を焦った強硬派の冒険者たちが、『魔獣のいる通路を迂回するのは時間の無駄だ』と言って、魔導爆薬を壁に仕掛けて最短ルートで掘り進んでいるのです! さらに魔族側も、それを防ぐために天井を落盤させてバリケードを築いており……現在、第一階層から第十階層までの主通路が、完全に瓦礫で塞がれております!」
「……《損害鑑定眼》」
アレクが現場用ゴーグルを下げ、砕かれた壁面をじっと凝視した。
淡い幾何学のラインが視界に展開し、壁の内部応力が赤い警戒色となって浮かび上がる。
「……最悪だな。過失割合十対ゼロだ」
アレクの冷徹な声が、粉塵の舞う通路に響いた。
「この壁は、上の100メートルの岩盤荷重を支える主要耐力壁だ。それを三箇所も連続して爆破しやがった。天井のアーチリブにクラックが走り、歪みが隣の柱へ全部集中してる。このままだと、あと半月も持たずに上層フロア全体が自重で座屈崩壊するぞ」
「ひ、座屈崩壊……!?」
支部長が腰を抜かした。
「そんなことになったら、この国境要塞ごと地下に沈んでしまいます!」
「安心しろ。俺が来たからには、そうはさせん」
アレクはバインダーをパチンと開き、真鍮のペンを走らせた。
「シエル、仮設防護支保工の資材を発注しろ。単管パイプ200本、高張力ジャッキ四十台。リリアナ、粉塵対策の防塵マスクを作業員全員分用意。エドワード!」
「は、はいっ!?」
「スコップを持て。崩れた大ガラの撤去だ。1分にスコップ三十回、休まず動け」
「じ、地獄だぁぁぁっ!!」
エドワードが悲鳴を上げながらも、スコップを構えて瓦礫へと突撃していく。
だが、そのときだった。
クロがアレクの肩の上で、首を傾げてクチバシを鳴らした。
「おい旦那、聞こえるか? カン、カン、ってよ……この乾いた音、ただの魔物が暴れてる音じゃねえぞ」
「ああ。クサビを打ち込む音だ。それも、相当腕の立つ職人が、クラックの進行を止めるために正確な位置へピンポイントで打ち込んでる」
「えっ……!? 職人ですか?」
シエルが驚いて目を丸くした。
「でも、この奥は完全に魔王領の支配地域ですよ? 人間側の作業班が入れるはずがありません!」
「魔族にも、建物を直す奴くらいいるだろ。生き物である以上、雨風を凌ぎ、頭の上の岩が降ってこないように祈るのは同じだ」
アレクは相変わらず動じることなく、粉塵マスクのゴムを耳に掛けた。
「ポチ、先行して足元の粉塵を吸着しろ。シエル、測定器を持って付いてこい。音の主を拝みに行くぞ」
「ぷるるーっ!」
「は、はい、主任!」
アレクの真鍮メジャーが、破壊された壁の奥――魔王領側へと続く暗がりの中で、奇妙な魔力の波長を捉えた。
「……ん?」
アレクが足を止め、目を細めた。
粉塵が立ち込める崩落口の向こう側。
破壊の嵐が吹き荒れるその場所で、何者かが、極めて几帳面な手つきで壁を叩く――リズミカルな金属音が響いてきたのだ。




