第045話:定時退社と新しい明日
地下5階の巨大ドームの突貫修復工事が完了したのは、太陽が西の空へと傾きかけた頃だった。
耐力アーチは完璧な曲線を描いてドームの荷重を支え、換気ダクトからは新鮮な空気が絶え間なく循環している。天井に張られた耐火クロスは純白に輝き、煤まみれだった床石はポチの吸着清掃によってピカピカに磨き上げられていた。300年眠っていた古代の密閉区画は、いまや王都で最も安全で清潔な空間へと生まれ変わっていた。
ドームの隅では、アフロ頭のクリムゾン・ドレイクが満足そうに腹を膨らませていた。
「ふむ……! この『ボイラー室長』という職務、なかなかにやりがいがあるのう! 程よく体を温める温風を吐くのは、己の魔力制御の良い鍛錬になるわい! 地上から届く牛の丸焼きも格別の味じゃった!」
ドレイクは嬉しそうに太い尻尾をパタパタと振り、頭上の巨大黒焦げアフロを誇らしげに揺らした。すっかりこの現場のマスコット兼暖房設備として定着している。
その足元では、銀の鎧を脱ぎ捨てて作業用のツナギを着せられたエドワードが、黄色い安全ヘルメットを被ったまま、手押し車に手をついて肩で息をしていた。顔中が泥と汗でドロドロである。
「ぜぇ……はぁ……! 終わった……! 今日の分のガラ出し、全部終わったぞ……! 手のひらにマメができた……!」
「エドワードさん、お疲れ様です!」
爽やかな笑顔を浮かべたレオが、冷たい麦茶の入った水筒を差し出した。
「初日にしては良い筋してますよ! 一輪車の重心の取り方も、さっきよりずっと安定してきました! これなら明日の朝礼の土嚢積みもバッチリですね!」
「あ、明日もかよぉぉぉっ……! オレは選ばれし勇者なんだぞ……いつまでこの黄色い帽子をかぶればいいんだぁぁぁっ……!」
「あと1万8000日と少々ですよ♡ 頑張って元気に長生きしてくださいね♡」
リリアナが涼やかな微笑みで追い討ちをかける。
エドワードが膝から崩れ落ちて号泣する声を背に、アレクは愛用のバインダーをパチンと閉じた。
「よし。地下5階、原状回復完了確認。指さし確認いくぞ」
アレクが右手をまっすぐに突き出した。
「躯体強度、ヨシ! 換気設備、ヨシ! ボイラー室長稼働、ヨシ! 現場整理整頓――ヨシ!」
「「「ヨシ!!」」」
シエル、リリアナ、クロ、ポチ、そしてレオたち【若草の風】の威勢の良い合図がドームに響き渡った。
地上へと戻る点検用シャフトを昇り、迷宮管理局の通用口から王都の大通りへと出たとき、街は鮮やかな茜色の夕焼けに包まれていた。
大通りには、仕事を終えた職人や商人たちが行き交い、屋台からは香ばしい串焼き肉や焼きたてパンの匂いが漂ってくる。子供たちが笑いながら路地を駆け抜け、家々の窓には温かなランプが灯り始めていた。
平和で、温かな、いつもの王都の夕暮れだった。
この街の地下深くで、王都を火の海にしかねない古代竜が目覚め、そしてバックドラフトで自爆し、アフロ頭になってボイラー室長に就職したことなど、地上の住人は誰一人として知る由もない。
「ふう……今日も無事に一日が終わりましたね」
シエルがヘルメットを脱ぎ、ふわりと美しい銀髪を風になびかせた。その白い陶器のような頬には、作業でついた一筋の煤がついていたが、その表情はこれまでにない充実感と誇りに満ちていた。
「シエルさん、顔に煤がついていますよ♡」
リリアナが清浄魔法をかけたハンカチを取り出し、優しくシエルの頬を拭ってやる。
「あ、ありがとうございます、リリアナさん……!」
「ぷるっぷるー!」
ポチが足元で楽しそうに跳ね、アレクのツナギの裾を引っ張った。ヘルメットに描かれた『安全第一』の文字が夕陽に照らされて誇らしげに光っている。
「おいおい旦那!」
クロがアレクの肩の上でバタバタと羽ばたいた。
「腹が減って目が回りそうだぜ! 今日は大ボス相手の大仕事だったんだ、ドカンと美味い酒と骨付き肉を奢ってくれよな! 俺様には特製の鉱物油をたっぷり頼むぜ!」
シエルがアレクの隣に並び、夕陽に染まる王都の美しい街並みを見つめながら、ふと真剣な面持ちで尋ねた。
「主任」
「何だ」
「あの地下の巨大な送電管……迷宮が、世界を維持するための機械だとしたら……私たちは、これからどうなるのでしょうか? いつか、この迷宮の最深部まで行って、世界そのものを修理することになるのでしょうか?」
シエルの問いに、アレクは足を止めた。
彼はツナギの胸ポケットから銀の懐中時計を取り出し、カチリと指先で蓋を開いた。
文字盤の上で、長針と短針がちょうど真上と右下を指している。
**16時59分50秒――。**
五十一、五十二、五十三……。
カチ、カチ、と秒針が静かに、正確に時を刻んでいく。
そして、59秒。
――カチリ。
16時59分60秒。針がぴったりと17時を指して重なった。
「17時ジャストだ」
アレクは懐中時計をポケットに仕舞い、ツナギの袖をまくった。
「シエル」
「は、はい!」
「世界が機械だろうが何だろうが、俺たちのやることは一つだ」
アレクは振り返り、淡々とした、しかし職人の魂が宿る揺るぎない眼差しでシエルを見つめた。
「壊れたら直す。それだけだ。どれほど壮大な謎があろうと、目の前の一枚のタイル、1本のボルトを蔑ろにする奴に、世界を修理することなんざできねえ」
「……っ」
シエルは息を呑み、そして、花が綻ぶような満面の笑みを咲かせた。
「はい! その通りですね、主任!」
「よし、本日の現場業務終了! 定時退社だ!」
アレクが右手を高く掲げた。
シエルが懐から手帳を取り出し、熱心にペンを走らせた。
「主任の今のお言葉、しっかり記録しておきます! 『目の前のタイル一枚、ボルト1本を蔑ろにする者に世界は直せない』……まさに、原状回復士の至言ですね!」
「いちいちメモするな。現場の基本だ」
「ふふ、シエルちゃんは本当に勉強熱心ね」
ふいに、後ろから優雅な足音とともに甘い香煙が漂ってきた。
振り返ると、煙管を手にしたエレノアが、ギルド連盟の階段を降りてくるところだった。その手には、一枚の真新しい帳簿が握られている。
「エレノア様!」
「お疲れ様、アレクちゃん、シエルちゃん。地下5階の復旧、完璧だったわ。管理局長も涙を流して感謝していたわよ。……それとね」
エレノアは唇を妖しく歪め、手元の帳簿をパチンと叩いた。
「エドワードちゃんの強制労役契約書、正式に受理されたわ。これから毎日、朝から晩まであなたの現場でこき使ってちょうだい。逃げ出そうとしたら、迎撃部隊が即座に捕獲して現場へ送り返す手はずになっているから」
「手加減なしでこき使ってやるよ」
アレクが苦笑交じりに答えると、エレノアは満足そうに目を細めた。
「ええ、頼んだわよ。今日の酒盛り、わたくしも混ぜてもらうわ。財務の決済権限で、一番いいワインを開けさせてあげる」
「『金の杯亭』へ行くぞ。今回の特急割増と危険手当はエレノアの財務室から全額落ちる。一番高い黒ビールと、特大の骨付き肉を頼め」
「「「おーーーーっ!!!!」」」
クロが歓声を上げ、リリアナが楽しげに拍手し、ポチが空高く飛び跳ねた。
夕暮れの王都を、黄色い安全ヘルメットを抱えた原状回復班の面々が、肩を並べて賑やかに歩いていく。
明日もまた、無謀な冒険者がダンジョンを壊すだろう。
明日もまた、理不尽な現場のトラブルが彼らを待ち受けているだろう。
だが、恐れることは何もない。
彼らには、確かな技術がある。揺るぎない安全規則がある。そして――壊れたものを愛し、元通りに直す誇りがあるのだから。
ダンジョン原状回復士たちの事件簿は、明日も定時とともに、元気に幕を開ける。
ご安全に!
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本日も全員、ご安全に!




