第041話:勇者エドワード、借金1億ゴールド突破
冒険者ギルド連盟本部、二階の第一査定室。
そこは王都中の荒くれ冒険者たちがもっとも恐れ、同時に敬遠する場所だった。部屋の中央には重厚な黒檀の長机が置かれ、壁一面には王都の地図と、過去数10年分の迷宮損害賠償台帳がぎっしりと収められている。ここで副ギルドマスターの尋問を受けて生きて出られた者は、財布の軽さという意味では誰一人としていなかった。
その机の奥に、深紅の絨毯に映える豪奢な革張り椅子に腰掛け、細長い真鍮の煙管から紫煙をくゆらせている美女――エレノアがいた。
艶やかな黒髪を肩に流し、胸元の開いた濃紺のドレスを着こなす彼女は、財務責任者としての冷徹さと、妖艶な大人の色香を全身から漂わせている。
その机の正面には、頭から包帯をぐるぐる巻きにされ、全身煤だらけのままパイプ椅子に座らされたエドワードがいた。手足は細かく震え、顔色は土気色を通り越して青白かった。
その両脇には、作業着の埃を払ったばかりのアレク、図面ケースをしっかりと胸に抱えたシエル、そして救急鞄の器具を消毒しているリリアナが控えている。足元では黄色いスライムのポチが「ぷるっ」と控えめに跳ね、アレクの肩には黒曜石ガーゴイルのクロが楽しそうに爪を磨いていた。
「さて」
エレノアは煙管の灰を真鍮の灰皿にトントンと落とすと、紫の瞳を妖しく細めた。その唇には、獲物を完全に追い詰めた肉食獣のような極上の笑みが浮かんでいる。
「エドワードちゃん。まずは、無事の生還、本当におめでとう。五体満足で帰ってこられて、わたくしも涙が出るほど嬉しいわ」
「エ、エレノア副ギルドマスター……! あ、ありがとうございます! オレは……オレは地下5階にて古代竜と死闘を繰り広げ、王都の危機を未然に防いで生還したのです! この武勇はギルドの歴史に――」
「黙りなさい」
エレノアの声は静かだったが、その一言で部屋の室温が氷点下に落ち込んだ。
「誰が死闘を繰り広げたって? アレクちゃんから上がってきた現場報告書と、迷宮管理局の魔導記録計のログによれば……あなたが無断で立ち入り禁止区画に侵入し、鍵を探すのを横着して耐力壁を吹き飛ばし、自分で退路を塞いで酸欠になり、眠っていた竜を叩き起こして泣き喚いていただけ、とあるけれど?」
「うぐっ……! そ、それは……その……不可抗力というか、作戦上の都合で……」
エドワードの喉が引き攣り、冷や汗が包帯の下から滝のように流れ落ちる。
「さらに言えば、あなたが壊した耐力壁は、地下5階の巨大ドーム全体の荷重を支える重要構造部よ。アレクちゃんの神速復旧がなければ、今頃ドームは崩落し、地上の中央通りまで地盤沈下で大陥没していたわ。王都の商業地区が丸ごと地中に沈んでいたのよ?」
エレノアは机の上に置かれた一枚の分厚い羊皮紙を、細い指先でツーッと滑らせてエドワードの目の前に突き出した。
「ええ。こちらが今回の現場原状回復費用、および緊急出動損害査定書よ」
エドワードは恐る恐る、その書類に視線を落とした。
そこには、アレクの整った几帳面な筆跡で、びっしりと項目が並んでいた。
・地下5階主要耐力アーチ全面再構築費用:4500万ゴールド
・特殊高強度魔導花崗岩ブロック調達費(特急便):1200万ゴールド
・天井耐火クロス全面張替えおよび煤煙高圧温水洗浄:800万ゴールド
・換気シャフト負圧逆流破損に伴う点検補修費:500万ゴールド
・緊急現場出動手当(危険区域加算・時間外労働倍額):600万ゴールド
・現場負傷者救護搬送費および特殊冷却聖水代:400万ゴールド
・古代火炎竜への安全講習実施および慰謝料充当準備金:2000万ゴールド
・前回までの未払い負債残高(ギガース修繕費他):2000万ゴールド
そして、最下段の二重太枠の中に、赤インクで極太の数字が刻まれていた。
**【差引ご請求総額:1億2000万ゴールド】**
「…………」
エドワードの視線が、その数字に釘付けになった。
一。
二。
零。
零。
零。
零。
零。
零。
零。
零。
「…………い」
エドワードの唇が、小刻みに震え出した。全身の毛穴から汗が噴き出す。
「い……いち……一億……!? にせんまん……ゴールド……!?」
「ええ、その通りよ」
エレノアは優雅に微笑み、紫煙をふわりと吐き出した。
「おめでとう、エドワードちゃん。晴れてあなたの負債総額は、王都の冒険者史上最高額、堂々の一億の大台を突破したわ。ギルド創設以来、前人未到の歴代金字塔よ」
「い、一億二千万なんて……! そんな金、オレに払えるわけねえだろぉぉぉっ!! ブレイブハート家の領地を全部売っ払っても足りねえよ!! 孫の代まで、いや曾孫の代までタダ働きしても返せねえぇぇぇっ!!」
エドワードは椅子から転げ落ち、頭を抱えて床を転げ回った。床の絨毯を涙と鼻水で濡らしながら絶叫する。
「過失割合十対ゼロだ」
横から、アレクが冷徹に告げた。
「現場の安全掲示を無視し、耐力壁を破壊したのはお前だ。工事にかかった資材費と人件費、正当な実費請求だ。値引きの余地は1ゴールドもねえ。職人の汗と資材の対価をまけろと言うなら、今すぐあのドームを自分の手で元に戻してみろ」
「アレク主任のおっしゃる通りです」
シエルも冷ややかにバインダーを抱きしめた。
「もしあのまま放置されていれば、王都全体に数0億ゴールド規模の被害が出ていました。一億二千万で済んだのは、主任が10分で復旧を終わらせたからです。感謝こそすれ、文句を言う筋合いはありません」
「ひいっ……! 鬼だ……! こいつら全員、血も涙もねえ現場の鬼だぁぁぁっ!!」
エドワードは床を叩いて泣き喚いた。
エレノアは机の引き出しを開け、さらに別の書類――金文字で箔押しされたギルド規約を取り出し、机の上にパチンと置いた。
「もちろん、払えないなら払えないなりの方法があるわ」
「え……? ほ、方法……? 免除してくれるのか……!? やっぱりエレノア様は慈悲深い大人の女性……!」
エドワードがすがりつくように顔を上げた。
エレノアの瞳が、妖しく3日月のように細められた。
リリアナが救急鞄から一枚の領収書控えを取り出し、エドワードの目の前にひらひらと見せびらかした。
「エドワード様、ちなみに先ほどわたしが処置した冷却聖水スプレーと冷感湿布の代金、金貨五枚――5万ゴールドも、しっかりこの請求総額に含まれていますからね♡ 利息は日歩五厘、遅延損害金は年率十四・六%です」
「高利貸しかよぉぉぉっ!! 聖女の風上にも置けねえ!」
「あら、わたくしはもう聖女ではなく、迷宮原状回復班専属の救護主任ですから♡ 労働の対価を正確に請求するのは社会人としての基本ですよ?」
クロもアレクの肩の上でケケケと笑った。
「おいエド坊! 一億二千万なんざ、王都の金貨で積み上げたら見上げるほどの山だぜ! お前のちっぽけな聖剣を質屋に入れたところで、刃こぼれだらけで銀貨三枚にもなりゃしねえ!」
「ううっ……オレの聖剣が……銀貨三枚……!」
エドワードは自尊心を粉々に砕かれ、もはや声を上げて泣くことしかできなかった。
「免除なわけないでしょう、馬鹿ね。――【ギルド規約第72条・損害賠償履行不能者に対する強制労役処分】よ」
「き、強制労役……!?」
エドワードの顔から、すべての血の気が引き、完全に白目を剥きかけたのだった。




