第040話:神速の耐力アーチ復旧工事
みしみし、と頭上から不吉な軋み音が降ってきた。
急激なバックドラフトの爆熱から、外気の流入による急冷へ。極端な温度差に晒されたドーム天井の古代花崗岩が、熱収縮に耐えきれず細かな亀裂を走らせていた。パラパラと落ちてくる石粉が、現場の緊迫感をいや増していく。
「主任、天頂部のクラック幅、すでに5ミリを超えています! 熱膨張と冷却による歪みが限界に達しています! 崩落開始まで推定12分です!」
シエルが真鍮のノギスを構え、耳をピンと立てて緊迫した声を張り上げた。
「12分か。10分で終わらせるぞ」
アレクは作業用の上着の袖をまくり、黄色い安全ヘルメットのあご紐をきゅっと締め直した。その瞳には、焦りなど微塵もない。あるのは工程表を秒単位で逆算する職人の冷静な計算だけだった。
「突貫アーチ復旧工事、工程表通りの段取りでいく。――ポチ!」
「ぷるっ!」
「瓦礫のサイズ選別だ! 30センチ角以上の大ガラを崩落口の基礎部に集めろ! 細かい砂利は骨材にするからドラム缶にまとめろ!」
「ぷるるーっ!」
ポチが元気に鳴くと、驚くべき機動力で床を跳ね回った。
黄色いアメーバ状の体を何本もの触手に分裂させ、散乱していた数十個の巨大な石材を一瞬で絡め取る。まるでお手玉のように器用に瓦礫を放り投げ、指定された位置にサイズ別で山積みにしていった。現場作業員の10人分に匹敵する、完璧な資材仕分けだった。
「シエル、混練だ!」
「はい! 《速乾高粘度魔法セメント・急結材配合》!」
シエルが麻袋から取り出した灰色の粉末に、リリアナが聖水水筒から冷却水を勢いよく注ぎ込む。シエルが樫の木のミキシングバーを両手で握り、風と大地の魔力を込めながら高速で攪拌した。
ゴボゴボと音を立てて、銀色の光を帯びた極上のセメントペーストが練り上がる。
「混練完了しました! スランプ値十八、硬化開始まであと3分です!」
「上出来だ。流し込むぞ!」
アレクが右手に握りしめたのは、使い込まれた一枚の左官ゴテ。
かつて師匠ガントから叩き込まれた、躯体補修の極致。
「《神速左官》――発動」
シュバッ!!
アレクの腕が、目にも留まらぬ速さでブレた。
崩落した耐力壁の残骸――エドワードが聖光斬で粉砕した開口部に向けて、アレクは練り上がった魔法セメントをコテですくい取り、弾丸のような速度で塗り重ねていく。
ただ塗るのではない。
石の配置、荷重の分散、天井からの圧縮力学を完全に脳内でシミュレーションしながら、ポチが集めた大ガラを瞬時に組み込み、目地にセメントを完璧な圧力で充填していくのだ。ミリ単位の狂いもなく、石材同士が噛み合っていく。
――カン、カン、シュッ、シュッ!
乾いた金属音と、コテが石を撫でる滑らかな音がドーム内に心地よいリズムを刻む。
崩壊していた壁面に、見る見るうちに美しい半円形のアーチが立ち上がっていく。古代ローマ建築を思わせる、力学的に完璧なカテナリー曲線(懸垂線アーチ)。上からの荷重をすべて左右の地盤へと逃がす、不滅の構造線だった。
「す……すごい……」
瓦礫の影でへたり込んでいたエドワードが、あんぐりと口を開けて見惚れていた。
「な、何なんだあいつは……? あんな速度で石を積んで、壁を直す人間がいるか……!? 一流の土木魔法使いでもあんな芸当はできねえぞ……! あいつ、本当にただの原状回復屋なのか……!?」
「エドワード様、見惚れている暇があるなら、息を吸って肺を浄化してくださいね♡」
リリアナが横から冷たい声で聖水のスプレーをエドワードの顔面に吹きかける。
「ひぎゃっ!? つ、冷たい! 目にしみる!」
「主任の邪魔をしたら、その折れた聖剣で喉を突きますよ♡ 手元が狂ってポチさんの足を踏んだら許しませんからね」
「聖女のセリフじゃねえぇぇぇっ!!」
そんな漫才の背後で、アレクのコテ捌きはさらに加速していった。
アーチの左右の脚部が組み上がり、いよいよ頂点――構造全体の荷重を受け止める最後の一個、『要石』を打ち込む瞬間が訪れた。
「シエル、主要石を上げろ!」
「はい! 重さ120キロ、魔導花崗岩ブロック、行きます!」
シエルが補助魔法《軽重反転》をかけ、巨大なクサビ形の石材をふわりと浮かせた。
アレクが両手でそれを受け止め、アーチの頂上の隙間へと滑り込ませる。
「よし。隙間にセメント注入! インパクトレンチで仮締めボルト固定!」
――ガガガガッ! キュルルルン!
魔導インパクトレンチが唸りを上げ、補強プレートをガチガチに締め上げる。
そして、アレクはコテの背で、要石の中央を――コォォン! と高く澄んだ音で叩いた。
「《硬化促進・応力定着》」
パァァァァ……!
アーチ全体に淡い青い光が走り、塗り込められた速乾魔法セメントが一瞬で完全硬化を果たした。
みしみしと鳴っていた天井の軋み音が、ピタリと止まる。
ドーム全体の重量が、新しく組まれた美しい耐力アーチへとスムーズに受け流され、構造全体がガッチリと一体化して安定を取り戻したのだ。
「……あ」
シエルが真鍮の測定器を見つめ、息を呑んだ。
「ひび割れの進行が……止まりました! 歪みゲージ、ゼロ復帰! 安全率、基準値の二倍を達成しています!」
「よし」
アレクは額の汗をツナギの袖で拭い、右手を突き出した。
「工期、8分45秒。指さし確認いくぞ」
アーチの基礎、ボルト、目地を順番に指差していく。
「基礎アンカー、ヨシ! 要石定着、ヨシ! 耐力アーチ復旧――ヨシ!」
「「「ヨシ!!」」」
シエル、リリアナ、クロ、そしてポチの元気な合図が、静まり返った地下ドームに小気味よく響き渡った。
完璧な突貫復旧工事。崩壊の危機に瀕していた地下5階は、わずか10分足らずで、新築時以上の強度を取り戻して甦ったのだった。
クロがアレクの肩の上で、満足そうに胸を張った。
「ケケッ! さすがはガントの親方のバカ弟子だぜ! 手際だけは300年前の一流石工連中にも引けを取らねえ! 親方が見たら鼻高々だな!」
シエルがアーチの表面を優しく撫でながら、感嘆のため息を漏らした。
「本当に、惚れ惚れするような美しいアーチです。壊された跡がどこにあったのか、まったく分かりません。……主任、この耐力壁は、元の壁よりも頑丈になっているのではありませんか?」
「当たり前だ。元の壁は300年前の規格だ。今回の復旧には、ドルクの店から仕入れた最新の魔導浸透硬化剤と、高張力ボルトを組み込んである。耐震強度で言えば、以前のざっと一・五倍はある」
「一・五倍……! 原状回復どころか、性能向上改修ですね!」
「ついでに点検用の開口部も正規の位置に設けた。これで二度と、バカが扉を吹き飛ばす必要もなくなる。……おい、起きろエドワード。自分のケツを拭く時間だ」
アレクが足元でうずくまるエドワードの背中を、安全靴の先で小突いた。
「ひいっ……! オ、オレはもう歩けねえ……!」
「安心しろ、担架はないが、ポチの背中に乗せてやる。ただし搬送運賃は別立て請求だ」
「無駄口叩くな。掃除がまだ残ってる。現場は片付けが終わるまでが現場だ」
アレクは相変わらず愛想のない声で言いながら、散らばった工具を工具箱へ戻し始めた。
エドワードは絶望の涙を流しながら、黄色く膨らんだポチの背中に荷物のように積載されたのだった。




