第038話:警告無視と大爆発の自爆
古代竜クリムゾン・ドレイクのプライドは、百丈の城壁よりも高く、0万年氷河よりも頑なだった。
300年もの間、この地の底で誰にも邪魔されず、太古の神話に謳われるがごとき絶対の猛威を誇ってきたのだ。迷宮を訪れた歴戦の英雄たちですら、その姿を見ただけで震え上がり、祈りを捧げて逃げ帰ったという。それを今さら、頭に黄色い茶碗のような安全帽を乗せた小蝿のような人間に「火を噴くな」「自爆するぞ」などと指図されて、引き下がれるはずがなかった。竜の血が、誇りが、それを許すはずがなかった。
「矮小なる人間風情が、神聖なる竜の焔を講釈するなど……万死に値するわァァァァッ!!」
ドレイクの咆哮が、密閉ドームの空気を耳を劈く勢いで引き裂いた。
胸元の火炎核が、完全に限界突破の臨界点に達する。眩い白熱光がドーム内を真昼のように照らし出し、岩壁がドロドロと融解して溶岩の滴となってボタボタと床へ滴り落ちた。すでに空間全体の温度は四百度を超え、普通の人間であれば呼吸器が炭化して即死する熱波である。
竜は太い首を大きく後ろへ反らせ――そして、天地を揺るがす勢いで顎門を解き放った。
――超極大火炎息!!
ドォォォォォォォォォォン!!!!
ドーム全体が砕け散るかのような凄まじい衝撃音とともに、太さ10メートルにも達する純粋な白熱の火炎放射が、竜の口から上方――キャットウォーク目がけて一直線に吐き出された。
光の奔流。山をも焼き払い、鋼鉄の城門すら一瞬で蒸発させる絶対の熱線。
直下に蹲っていたエドワードは、その光の余波だけで「ぎゃああっ!」と叫んで頭を抱え、完全に白目を剥いて失神した。
しかし。
アレクが宣告した現場の物理法則は、神話の魔獣に対しても、いささかの情け容赦も忖度もなかった。
ボッ……! ボフッ……!
発射からわずかコンマ2秒後。
吐き出された火炎の先端が、ドームの中央空間に達した瞬間、奇妙な異音を立てて急速に勢いを失った。
火が、伸びないのだ。
ドーム内の酸素は、すでに先ほどの深呼吸と熱気で十%を切っていた。そこへ、膨大な酸素を消費する超極大の魔導火炎が放たれたのである。火炎の根元が燃え盛るのと引き換えに、ドーム内に残されていたわずかな酸素分子は、文字通り一瞬で根こそぎ食い尽くされた。火を燃やすための燃料(酸素)が、空間から完全に消滅したのだ。
「ぬ……!? な、何事だ……!? なぜ焔が前に進まん!?」
ドレイクが目を見開いた。
吐き出したはずのメガ・フレアが、白熱の閃光からドス黒い赤色へと急激に濁り、ボコボコと不気味な黒煙を吐き出しながら空中で失速していく。
不完全燃焼。
酸素のない空間では、どれほど膨大な神代の魔力を込めようと、物理的な「燃焼の三要素」が揃わない以上、燃え広がることはできない。吐き出された魔導火炎は、未燃の超高熱可燃性ガスへと変わり、重苦しい黒煙の塊となってドームの上層部に滞留した。
そして――。
アレクが予言した『負圧』の瞬間が訪れた。
火炎の一瞬の急激な熱膨張によって押し出された大気が、酸素枯渇による急冷と体積収縮を起こし、密閉ドームの内圧が真空近くまで一気に落ち込んだのだ。
外気圧との気圧差、実に50キロパスカル以上。
その巨大な圧力差が向かった先は、ただ一つ。
天井の真ん中――アレクたちが滑り降りてきた、地上へと直通している『点検用換気シャフト』だった。
――ヒュウゥゥゥゥゥゥッ!!
天井の吸気口から、地鳴りのような凄まじい風切り音が鳴り響いた。
地上の冷たく、新鮮で、酸素をたっぷり含んだ外気が、巨大な真空ポンプに吸い寄せられるかのように、超音速の突風となってドームの天井から垂直に叩きつけられたのだ。
超高熱の可燃性ガスが充満した、無酸素の部屋。
そこへ、勢いよく注ぎ込まれた純度100パーセントの新鮮な酸素。
条件は、完璧に満たされた。
アレクがストップウォッチのボタンを強く押し込む。
「ゼロだ。全員、伏せろ!!」
瞬間。
ズガァァァァァァァァァァァァァァン!!!!
天地がひっくり返るような、途方もない大爆発が炸裂した。
バックドラフト――爆発的逆流火災。
注ぎ込まれた外気と混ざり合った瞬間、ドーム上層に溜まっていた数千立方メートルもの可燃性ガスが一挙に連鎖爆轟を起こしたのだ。
だが、その爆発の向きは、天井でも壁でもなかった。
天井は強固な古代ドームの外殻。壁は厚さ3メートルの魔導花崗岩。逃げ場を失った数10トンもの爆圧と火炎の嵐は、大気の対流の法則に従い、もっとも気圧が低く、もっとも空気を吸い込んでいた「発生源」――すなわち、ポカンと口を開けていたクリムゾン・ドレイクの顔面へと、超巨大な火炎の竜巻となって逆流した!
ゴオオオオオオオオオッ!!
「ぐ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ドレイクの悲鳴が轟音にかき消される。
自らが吐き出した数万度の業火に、バックドラフトの爆圧が上乗せされ、巨大な拳のような火炎弾となって己の鼻面にまともにクリーンヒットしたのだ。
ドガァァァァァァン!
ドレイクの巨体が、己の火炎の衝撃波で後方へ5メートルも吹っ飛んだ。
床石をバリバリと削りながら滑り、背中から壁に激突する。
頭部を包む猛烈な黒煙。火花。そして、焦げた有機物の凄まじい悪臭が立ち込めた。
「きゃああっ!?」
キャットウォークでは、シエルが手すりにしがみつき、リリアナが展開した三重の青い魔法障壁が爆風を綺麗に受け流していた。
「ぷるるーっ!」
ポチはアレクの足元で平べったい座布団のように広がり、吹き上がる熱風からアレクの作業靴を完璧に守り切っている。
「ふう……綺麗に決まったな。計算通りの負圧逆流だ」
アレクはゴーグルを指先で押し上げ、煙が立ち込めるドームの底を見下ろした。
「ほ、本当に……本当に自分に火が返っていきました……!」
シエルが信じられない面持ちで目を丸くする。耳が驚きでピンと立ったままだ。
「あんな……城壁を吹き飛ばすような古代竜のブレスが、換気力学だけで自爆させられるなんて……! 魔法でも剣でもなく、ただの空気の流れで……!」
「言ったろ。現場の物理法則に逆らえる奴なんざ、この世に一人もいねえんだよ。神話の魔獣だろうが、現場に入ればただの可燃性気体発生源だ」
アレクは冷徹に言い放ち、腰のホルダーからバインダーを抜き放った。
「さて。被害状況の検分だ。手すりの安全帯を外すなよ、足場が熱でまだ緩んでる」
クロがアレクの肩の上で、煤の混じった嘴を拭いながら腹を抱えて笑い転げた。
「ケケケッ! 見ろよ旦那、あのトカゲ野郎、自分の火炎をまともに食らって白目剥いてやがるぜ! 300年生きてきて、一番情けない負け方しやがった!」
「笑うな、クロ。粉塵が肺に入るぞ。それに、これで終わりじゃない。問題はここからだ」
アレクはバインダーの用紙をめくり、真鍮のペンを走らせた。
「急激な熱衝撃とバックドラフトの爆圧で、ドームの内壁全体にマイクロクラックが入ってる可能性がある。特に天井の耐力リブと、エドワードがぶち壊した入口アーチの周辺だ。冷え切る前に応急支持を入れないと、ドーム全体が自重で崩落する」
「えっ……! まだ崩落の危険があるんですか!?」
シエルが青ざめて手すりを掴み直した。
「そうだ。戦いは終わったが、原状回復はこれからが本番だ。道具の点検を怠るなよ」
ドーム内に立ち込める黒煙が、天井の換気ダクトからゆっくりと地上へ吸い出されていく中、凄まじい爆発の決着が静かに姿を現そうとしていた。




