第035話:点検用ダクトからの突入
迷宮管理局から外郭換気塔へと続く専用通路を、アレクたちは足早に進んでいた。
頭上のランタンが黄色い光を投げかけ、三人の足音が規則正しく響く。先頭を歩くアレクの背中は、いつもと何一つ変わらない。どれほど計器のアラームが鳴り響こうと、王都崩壊の危機が叫ばれようと、現場へ向かう職人の歩調そのものだった。
「主任、先ほど管理局の資料で確認したのですが」
シエルが図面ケースを抱え直しながら、並んで歩くアレクに声をかける。
「地下5階のあの密閉ドームは、かつて迷宮の最深部として設計されたものの、建設途中で強力な魔力炉心――つまり火炎竜が巣食っていることが判明し、当時の工法では撤去不可能と判断されて丸ごと遮蔽された区画だそうです」
「ああ、ガントの親父の古い日誌にもメモがあった」
アレクは作業用グローブの留め具を締め直しながら答える。
「『触るな危険、蓋して寝かせろ』とだけ書かれてた。要するに、厄介な基礎躯体ごと隔離して、迷宮全体の換気バランスを狂わせないようバイパスを組んだわけだ。300年、そのバランスは保たれていた」
「それを、エドワード様が……扉ごと耐力壁を破壊して台無しにしたのですね」
「過失割合十対ゼロだ。どんな言い訳も通用せん」
アレクの声は冷ややかだったが、その瞳は極めて明晰に先の工程を見据えていた。
やがて、換気塔の最深部、苔むした石壁の行き止まりに辿り着いた。一見するとただの頑丈な壁だが、アレクが壁面を軽くノックすると、コツコツと空洞の音が返ってくる。隠し取っ手を引くと、分厚い苔の裏から重厚な鉄扉が現れた。
把手には十文字の錆止め鋲が打たれ、隅に小さく『施工:ガント』の陰刻があった。
「よし、鍵穴の固着なし。開けるぞ」
アレクが腰のホルダーから魔導インパクトレンチを抜き放ち、先端のビットを点検扉のロックボルトに噛み合わせた。
トリガーを引く。
――ガガガッ! キュルルルン!
甲高い回転音と火花が散り、十数本のボルトが一瞬で弛められていく。最後のラッチを外して扉を手前に引くと、重厚な鉄扉がギギギと軋みを上げて開いた。
途端に、モワッとした猛烈な熱風がシャフトの中から吹き出してきた。焦げた硫黄の臭いと、極限まで乾燥した埃の匂いが鼻腔を突く。
「うっ……! すごい熱気です……!」
シエルが長いエルフ耳を伏せ、手で顔を覆いながら後ずさった。
「現在温度、坑口付近で五十度。奥はさらに上がってるな。全員、耐熱バフと冷却水マスク装着」
「はい!」
「リリアナ特製の冷感湿布マスク、どうぞ主任♡ ミントの香りで呼吸も楽になりますよ」
リリアナが手際よく三枚の特殊布マスクを取り出し、アレクとシエルに配った。水属性の治癒魔力が編み込まれたそれは、肌に触れた瞬間に心地よい冷気を放つ。
「助かる。呼吸器をやられたら現場じゃ動けんからな」
アレク、シエル、リリアナの三人は湿布マスクを着け、黄色い安全帯のフックをシャフトの内壁に張られたガイドワイヤーに掛けた。
「おいおいおい、旦那!」
クロが狭いダクトの底を覗き込み、喉を鳴らした。
「ここを滑り降りる気かい!? 深さはざっと200メートル。傾斜角は四十五度。一歩間違えたら尻の皮が全部摩擦熱で持っていかれるぜ! 黒曜石の俺様でも尻が擦り切れる!」
「そこでポチの出番だ」
「ぷるっ?」
アレクが足元の黄色い現場スライムを見下ろした。
「ポチ、《表面張力最大・スライムスライダーモード》だ」
「ぷるるーっ!」
ポチは元気よく鳴くと、ぷるんと跳ねてダクトの傾斜面へと飛び込んだ。
次の瞬間、ポチの黄色い体がアメーバ状にぐんぐんと平たく広がり、ダクトの内周全体を覆う滑らかなゼリー状の保護膜へと変形した。頭に乗せた手書きの『安全第一』ミニチュアヘルメットだけが、ちょこんと先端で誇らしげに光っている。
「摩擦係数ゼロ、衝撃吸収性特級。よし、突入するぞ! 足から入れ!」
アレクが先陣を切って飛び込んだ。
「きゃっ……!? す、すごいスピードです!」
「うふふ、滑り台なんて何年ぶりかしら♡ ちょっと楽しいですね!」
シエルが悲鳴を上げ、リリアナが楽しげに笑いながら続く。
ツルツルにコーティングされたダクトの中を、三人は猛烈なスピードで滑降していった。ポチの体幹が衝撃を完璧に吸収し、カーブを曲がるたびに「ぷるんぷるん」と小気味よいクッションとなって体を支えてくれる。
下へ下がるにつれて、ダクトの外壁が赤熱し、金属がきしむ不気味な音が大きくなっていった。
――ゴォォォォォォォ……!
地の底から響く、重々しい地鳴り。
「減速! 出口だ!」
アレクが叫ぶと同時に、ポチが先端でボヨンと巨大なクッションへと膨らんだ。
――ボヨヨ〜〜ン!
三人は見事に衝撃を殺され、ふわりとキャットウォーク(高所点検歩道)の上に放り出された。
「とうっ! ふう、ナイス着地だな!」
クロが羽ばたきながらアレクの肩に戻る。
「ぷるっぷる……!」
ポチもすばやく元のまん丸な形に戻り、ずれた安全ヘルメットを前足(触手)で直した。
「全員、怪我はないか」
「は、はい……! 無事です、主任!」
「わたしも大丈夫です。……それにしても、ここは……」
三人が立っていたのは、地下5階の巨大密閉ドームの天井直下――地上30メートルの高さに架けられた、鉄格子の点検通路だった。
見下ろした光景に、シエルが息を呑んだ。
「ひどい……」
ドーム全体が、まるで巨大なオーブンの内部のようになっていた。
大気は赤く霞み、揺らめく陽炎が視界を歪めている。気温はすでに二百度近い。もし事前の耐熱防護マスクがなければ、数呼吸で肺が焼かれていただろう。
そして、ドームの広大な石畳の中央には。
とぐろを巻いた、超巨大な真紅のトカゲ――クリムゾン・ドレイクが、不機嫌そうに身じろぎをしていた。全長30メートルを優に超える威容。その皮膚の一枚一枚が、燃えさかる溶岩のように赤く脈打っている。
「あれが……古代火炎竜……!」
シエルが震える声で呟いた。
「おい、見ろ。あそこの隅だ」
アレクが指差したのは、崩落した正規扉の瓦礫の脇だった。
そこには、全身を煤と汗でまみれさせ、白目を剥いて倒れている男の姿があった。
「エ、エドワード様……!?」
シエルが叫んだ。
エドワードの銀の鎧は熱を帯びて変色し、手足はピクピクと痙攣している。完全に熱中症と酸素欠乏で昏倒寸前だった。周りには破壊された石扉の破片と、無残に折れ曲がった聖剣が転がっている。
「まだ息はあるな。だが、この空気の薄さじゃ長くない」
アレクは携帯型の魔導酸素濃度計を取り出した。針は危険限界の『一二%』を指している。
「気圧は上昇してるが、酸素が猛烈な勢いで消費されてる。トカゲの体温維持と呼吸のせいだな。不完全燃焼の一歩手前だ」
「主任、急いで救出しないと、あの男の人、脳がやられてしまいます!」
シエルが焦りを露わにする。
そのときだった。
下層で、ズズズ……と巨大な地響きが走った。
丸まっていたクリムゾン・ドレイクが、のっそりと巨大な頭部をもたげたのだ。
「…………ぬう」
ドレイクは鬱陶しそうに瞼を持ち上げ、黄色い巨眼で倒れているエドワードを見下ろした。
「息苦しいのう……。空気が重い。煙くさい。……先ほどから、喉の奥がイガイガして敵わん」
ドレイクは苛立ちを露わにして、太い尾を床に叩きつけた。
――ドォォォン!!
衝撃波がドームを揺るがし、天井のボルトがパラパラと落ちてくる。
「ええい、鬱陶しい! いっそ、この不快なゴミどもごと、すべて焼き尽くして換気してくれるわ!!」
ドレイクが立ち上がった。
その胸元の鱗が、カッと眩い白熱光を放ち始める。
「なっ……!? 主任、あれは……!」
シエルが叫んだ。
「火炎ブレスの充填姿勢です! あの規模の竜が本気でブレスを放てば、このドームの外殻ごと溶かされます!」
「あんなもの喰らったら、エドワードさんは消し炭どころか蒸発しますよ!?」
リリアナも緊迫した声を上げる。
しかし、アレクは慌てるどころか、懐から拡声用の現場メガホンを取り出し、さらにバインダーの数値を冷静に指先で追っていた。
「外気圧との差圧、2キロパスカル。給気ダクトのダンパーは固着解放状態。密閉容積、およそ八万立方メートル。……ふん、条件は完全に揃ったな」
「えっ? 主任……?」
シエルが目を丸くする中、アレクは点検通路の手すりに足をかけ、ドームの底にいる超巨大な古代竜に向かって、腹の底からの怒声を叩きつけた。
「おい、そこの赤いトカゲ!! ちょ、待てバカ!! そこで火を噴くな!!」




