第034話:管理室の警告灯と出動要請
迷宮管理局、三階の監視室。
そこは本来、王都でもっとも退屈な場所の一つであるはずだった。
壁一面に並ぶ魔導計器。地下から張り巡らされた魔力伝導管を通じて、各フロアの温度、湿度、気圧、そして魔素濃度を針が淡々と記録し続ける。羊皮紙の記録紙がカタカタと音を立てて送られ、当直の局員が欠伸を噛み殺しながらインクを補充する。それが、いつもの風景だった。
しかし、その日の15時を回った頃。
ジジッ、と計器盤の奥で小さな火花が散った。
「……ん? 五層の気圧計か?」
眼鏡をかけた若い局員が、羽ペンを止めて盤面に目を凝らした。
地下5階を示す真鍮のメーター。その赤い指針が、小刻みに震えていた。普段は緑色の安全圏――1気圧を指してぴたりと止まっているはずの針が、じりじりと右へ傾き始めている。
カチリ。
小さなラッチが外れる音がした。
次の瞬間、天井に設置された大型の魔導警報灯が、けたたましい回転音とともに深紅の光を放ち始めた。
――ビィィィィィィィン! ビィィィィィィィン!
部屋全体を揺るがすような甲高い金属音が鳴り響く。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
「地下5階! 密閉ドーム区画の気圧および温度が急上昇! 酸素濃度、急速低下中!」
「酸素濃度が落ちてるだと!? あそこは完全封鎖中だぞ! 誰か入ったのか!?」
「わかりません! 入室記録はありません! ですが熱源反応が……巨大です! 通常の魔獣の反応じゃありません、これは――」
局員たちの悲鳴が飛び交う監視室の扉が、勢いよく蹴破られるように開いた。
「騒々しいわね。何事かしら」
現れたのは、黒髪を波打たせた女性――ギルド連盟副ギルドマスター兼財務責任者、エレノアだった。細長い煙管を指に挟み、紫の瞳を険しく細めている。その背後には、書類の束を抱えた管理局長が青い顔をして張り付いていた。
「エ、エレノア副ギルドマスター! 地下5階の古代ドームです! 計器の数値がレッドゾーンを突破しました!」
エレノアは歩み寄り、計器盤のガラスを煙管の先端でコンコンと叩いた。
針は振り切れていた。温度計の目盛りはすでに百五十度を指し、さらに上昇を続けている。そして、ドーム内の空気循環を示す風量計は――完全にゼロを指していた。
「……換気シャフトの自然給気が止まっている? まさか」
エレノアの顔から、いつもの不敵な笑みが完全に消え去った。
「まさか、あの扉を……壊した奴がいるの?」
「扉……? 正規の入室許可は誰も出していませんが……」
「馬鹿者! あのドームの入り口は、外殻ドームの荷重を支える『要石』を兼ねた耐力アーチなのよ! 無理にこじ開ければ壁ごと崩落して退路が埋まる! そして中にいるのは――」
エレノアは煙管をきつく握りしめた。紫煙が激しく乱れる。
「古代火炎竜、クリムゾン・ドレイク。300年前の大開拓期に、どうしても討伐できず、当時の最高技師が『眠らせて隔離する』ことで封印した生ける天災よ。もしドームが内圧で吹き飛べば……熱波と炎が通気坑を逆流して、この地上の王都中央区まで丸焼けになるわ!」
「なっ……!?」
監視室の局員たちが息を呑み、総立ちになった。王都が火の海。その一言の重みに、部屋中の空気が凍りつく。
「す、すぐに迎撃部隊を! 騎士団とSランク冒険者を総動員して――」
「間に合わないわよ!」
エレノアが一喝した。
「入り口が崩落で埋まってるのよ!? 瓦礫をどかして大部隊を突入させるのに何時間かかると思ってんの!? その前にドームの天頂部が熱で膨張して大爆発を起こすわ!」
絶望的な沈黙が監視室を支配した。局長が膝から崩れ落ち、頭を抱える。
そのときだった。
コン、コン。
開け放たれた扉の枠を、乾いた金属音で軽く叩く音がした。
「騒ぐな。埃が舞う」
低く、ひどく落ち着いた声だった。
部屋中の視線が一斉に入り口へと集まる。そこに立っていたのは、くたびれた作業着に身を包み、頭に黄色い安全ヘルメットをかぶった青年――アレクだった。
その左手には真鍮の魔法メジャー、右手には年季の入ったバインダー。肩には現場用ゴーグルを掛け、腰の革ベルトには様々な工具が整然と吊り下げられている。
その隣には、図面ケースを抱えた白磁のエルフ、シエル。
さらに後ろには、純白の修道服の上から救護用の腕章を巻いたリリアナが、救急鞄を抱えて静かに控えていた。足元には、黄色い現場スライムのポチが「ぷるっ」と控えめに跳ね、アレクの肩には手のひらサイズの黒曜石ガーゴイル、クロがちょこんと留まっている。
「ア、アレクちゃん……!」
エレノアが息を吐き出した。
「話は廊下で聞いてた」
アレクは迷いのない足取りで計器盤へと歩み寄ると、首から提げたゴーグルをすちゃりと目元に装着した。
「《損害鑑定眼》」
アレクの瞳の奥で、淡い幾何学模様が展開する。彼は計器の針ではなく、計器から伸びる魔力配管の微細な振動をじっと凝視した。
「……地下5階、ドーム入口耐力壁の完全崩落。瓦礫総量はおよそ40トン。正規階段は完全に埋没だな。気圧は通常比プラス〇・4気圧、内部気温は現在百八十度まで上昇中。だが――」
アレクはバインダーをめくり、一枚の黄ばんだ図面を指先で弾いた。
「外殻ドームの主構造自体は、まだ生きてる。崩壊まではおよそ45分の猶予があるな」
「45分……!? そんな短時間で何ができるって言うのよ!」
局員の一人が悲鳴を上げた。
「正規ルートが埋まってたら、誰も中に入れないじゃないか!」
「正規ルートから入るなんて、誰が言った」
アレクは冷徹に言い放った。
「図面をよく見ろ。この迷宮を設計・施工した連中は、万が一の点検用ルートを必ず残してる。地上換気塔の第二排気ダクト――直径一・2メートルの点検用縦坑が、ドーム天井裏のキャットウォークに直結してるはずだ」
シエルが即座に図面を広げ、細い指で特定のラインをなぞった。
「ありました! 『給排気点検口・施工班以外立入禁止』と記載されています! ここからなら、瓦礫を迂回してドーム最上部へ直接降下できます!」
「さすがシエル、段取りがいい」
「あ、ありがとうございます……!」
シエルが嬉しそうに耳をぴこりと揺らす。
アレクはエレノアに向き直り、バインダーの用紙を一枚、ピッと切り離して差し出した。
「現場出動確認書だ。サインしろ。危険手当加算、時間外労働特急料金、資材損耗費別立て。過失責任の所在が確定し次第、全額そいつに請求回す」
エレノアは呆気にとられたあと、ふっと艶やかな笑みを唇に浮かべた。
「ふふ……ええ、もちろんよ。全額、あいつの骨の髄までむしり取って払わせるわ。サインしたわよ」
エレノアが素早く羽ペンを走らせると、アレクは紙片を受け取り、懐へと仕舞い込んだ。
「よし。シエル、リリアナ。現場へ急ぐぞ」
「はい、主任!」
「了解いたしました、主任♡ 熱傷用の特殊冷却軟膏、たっぷり用意してありますよ」
リリアナがふわりと微笑みながら、救急鞄の留め金を鳴らした。その目はまったく笑っていなかったが、腕章を直す仕草には一切の淀みがない。
「おいおいおい、旦那!」
肩の上のクロが、からからと喉を鳴らして笑った。
「火炎竜の旦那が目を覚ましちまったか! あいつは寝起きが最高に悪いトカゲだぜ。300年分の屁をこかれたら王都がお陀仏だ!」
「屁じゃなくて火炎ブレスよ、クロさん!」
シエルが鋭くツッコミを入れながら、工具箱を担ぐ。
「ぷるるっ!」
ポチがヘルメットをきゅっと締め直し、気合いを入れるように体を平たく広げた。
「工期は40分。目標は換気系の正常化と、不法侵入者の確保。指さし確認いくぞ」
アレクが右手をまっすぐに突き出し、通路の奥、地下へと続く点検扉を鋭く指差した。
「安全帯着用、ヨシ! 資材搬送準備、ヨシ! 換気シャフト突入――ヨシ!」
「「ヨシ!!」」
シエルとリリアナ、そしてクロとポチの唱和が、緊迫した監視室に小気味よく響き渡った。
取り残された管理局員たちが唖然と見送る中、黄色いヘルメットの原状回復班は、迷いのない足取りで地下深くの灼熱地獄へと駆け出していった。




