第031話:地下5階・禁断の密閉ドーム
麦畑の騒動から、一週間が過ぎた。
迷宮管理局の事務所には、連日、書類の山が積み上がっていた。巨人ギガースの雇用契約の写し。迎撃部隊の損耗報告。ギルド連盟への請求書の控え。アレクは、そのすべてに目を通し、必要な箇所に判を押し、余白に短い注意書きを入れていく。
午前8時。
ケトルが、ことこと、湯気を立てている。窓際の棚では、クロが腕を組んで、朝の日差しを浴びていた。ポチは、書類の端に垂れたインクの染みを、せっせと舐め取っている。リリアナは、薬箱の中身を数えながら、小さく鼻歌を歌っていた。
シエルは、新しい図面の束を、机の上に広げた。
「主任。今日の予定は、嘆きの地下迷宮、地下4階の定期点検です」
「ああ」
「その後、地下5階の入口の、封鎖状況の確認を」
「五階か」
アレクは、ペンを止めた。
地下5階。
迷宮の中でも、最も古い区画の一つだった。ギルド連盟の記録では、「立入禁止・構造調査中」とされている。
「あそこは、設計図が、半分しか残っていない」
「はい。管理局の資料室にあった図面は、第四階までです」
「親父の手書きの図面が、あったはずだ」
アレクは、机の引き出しから、古い羊皮紙の束を取り出した。端が茶色く変色し、何度も折り畳まれた跡がある。広げると、細い線で、見慣れた筆跡の書き込みが、びっしりと並んでいた。
図面の隅には、いつもの、あの一文字。
『G』
シエルが、息を呑んだ。
「ガント氏の図面ですね」
「ああ。五階の分もある」
「見せていただいても?」
「構わない」
アレクは、図面を、机の中央に広げた。
シエルとリリアナが、左右から覗き込む。クロが、ひらりと図面の上に降り立った。
図面には、巨大な円が描かれていた。
直径、およそ80メートル。円の外周に、8本の太い線が、等間隔で描き込まれている。線の脇には、小さな文字で、書き込みがあった。
『耐力壁 壁厚8メートル 天井荷重を負担』
「これは、ドームの構造図ですか」
「ああ」
アレクは、指先で、円の外周をなぞった。
「地下5階は、巨大な円形の空間だ。天井は、ドーム状のアーチになっている」
「天井が、丸いのですね」
「丸いから、強い。アーチは、上からの荷重を、外側へ逃がす構造だ。その荷重を、8本の壁で受け止めて、地面へ流してる」
「その壁が、耐力壁……」
「そうだ」
アレクは、図面の一点を、とんとんと叩いた。
円の下端、扉の位置だった。
「ここが、入口の扉だ」
「石の、扉ですか」
「ただの扉じゃない。扉の枠自体が、耐力壁の一部になってる」
シエルの目が、大きく見開かれた。
「つまり、扉の周りを壊すと」
「ドーム全体の荷重バランスが崩れる。崩れ方によっては、天井が落ちる」
「それは、危険ですね」
「危険だ。だから、図面にも、書いてある」
アレクは、扉の脇の、小さな書き込みを、指さした。
『扉枠、破壊厳禁。鍵は別室。無理に開けるな』
流れるような、角張った字だった。
リリアナが、くすりと笑った。
「ガントさんは、几帳面な方ですね」
「口の悪い、几帳面だ」
「まあ」
クロが、図面の上を歩き回りながら、鼻を鳴らした。
「五階のドームなあ。あそこにゃ、あんまり近づきたくねえな」
「なぜだ」
「でけえトカゲが、寝てる」
事務所の空気が、ぴりりと張りつめた。
「トカゲ」
「ああ。俺が、300年前に、現場にいたとき、ちらっと見たんだ。クリムゾン・ドレイクってやつだ。赤い鱗の、火を噴く竜だ」
「竜……」
「あのドームは、竜の寝床だったんだ。1000年前に、古代の連中が、封じ込めた」
クロは、翼を畳んで、声を落とした。
「起こすと、ヤバい。火を噴く。ドームの中は密閉空間だから、火の逃げ場がねえ。下手すりゃ、全部、吹っ飛ぶ」
アレクは、図面を、じっと見つめた。
ドームの天井には、小さな丸が、四つ描かれている。
「…………給気ダクトが、4本。排気は、1本」
「ダクト、ですか」
「換気の経路だ。竜が眠っている間も、空気は、循環してる。完全な密閉じゃない」
「なるほど」
「ただ、排気が1本しかない。大きな火を噴けば、排気が追いつかない」
「圧力が、溜まるのですね」
「ああ」
アレクは、図面の隅に、小さな印を付けた。
「五階の扉は、鍵が別室にあって、誰も開けられない。だから、封鎖してる。それで、安全だった」
「はい」
「ただ」
彼は、図面から顔を上げた。
「念のため、入口の封鎖状況は、確認しておく」
地下4階の点検は、午前中に終わった。
長い通路の壁を、ひとつずつ、木槌で叩いていく。コンコン、と澄んだ音が返ってくる。ボルトのトルクを確かめ、配管の継ぎ目に手を当て、わずかな漏れも見逃さない。ポチが、通路の隅の埃を吸い込みながら、ちょこちょこと後をついてきた。
午後2時。
五階への階段の前に、全員が揃った。
階段の入口には、アレクの貼った黄色と黒の養生テープが、几帳面に張り渡されている。その脇に、木の看板。
『立入禁止 構造調査中 迷宮管理局 現場責任者 アレク』
テープは、切れていなかった。
看板も、倒れていない。
アレクは、階段の石の縁を、ライトで照らした。
埃が、均一に積もっている。足跡は、ない。
「…………異常なし」
「よかったです」
シエルが、ほっと息をついた。
「では、今日は、この確認で終了ですね」
「ああ」
「定時まで、あと、2時間半ありますが」
「早上がりだ」
「え?」
「報告書を書けば、そのまま、帰れる」
「主任が、早上がりを」
「珍しいか」
「いえ。素晴らしいことです」
シエルは、にっこりと笑った。
そのとき、階段の上から、軽い足音が降りてきた。
ギルドの伝令の少年だった。額に汗を浮かべ、息を切らしている。
「アレクさん! お届けものです!」
「何だ」
「ハーゲン隊長からです!」
少年は、小さな封筒を、差し出した。
アレクは、受け取って、中の紙を開いた。
短い文面が、並んでいる。
『アレク殿。麦畑での復旧作業にて、勇者エドワードが、昨夜から、所在不明となっている。夜間に、馬を一頭、持ち出した形跡あり。念のため、ご連絡する。ハーゲン』
アレクの目が、わずかに細くなった。
「…………逃げたか」
「エドワード様が、ですか」
「ああ。二千万の借金に、耐えられなかったんだろう」
「それは…………」
シエルは、唇を噛んだ。
リリアナが、そっと、封筒を覗き込んだ。
「まあ。ご無事だと、いいのですけれど」
「あいつなら、また、どこかで、何かをやらかす」
アレクは、手紙を畳んで、ポケットに仕舞った。
「ただ、今は、現場の仕事だ」
「はい」
クロが、階段の闇を、じっと見つめていた。
橙色の目が、細められている。
「…………主任」
「何だ」
「なんか、嫌な空気だぜ。この階段」
「気のせいだろ」
「気のせいなら、いいんだがな」
アレクは、懐中時計を、ちらりと見た。
14時15分。
もう一度、階段の闇を見る。
養生テープの黄色と黒が、ライトの光に、静かに浮かび上がっていた。
「…………報告書を書いて、帰るぞ」
「主任、ポチさんが、階段の前から動きません」
シエルの声に振り向くと、黄色いスライムが、安全第一のヘルメットを傾けたまま、じっと闇を見つめていた。
「ぷる…………」
「ポチ、帰るぞ。夕飯はプリンだ」
「ぷるっ!」
ポチは一瞬で機嫌を直し、ぴょんと跳ねて、アレクの肩に飛び乗った。ヘルメットがずれて、目に被さる。
「前が見えません、と言っています」
「見えなくていい。そのまま寝てろ」
「はい、主任」
全員が、階段に背を向けた。
その背後で、階段の奥から、微かな風が、ひゅう、と吹いた。
テープの端が、ひらり、と一度だけ揺れた。




