第030話:第2巻クライマックス、残業代倍額請求
昼過ぎ。
麦畑に、場違いなほど優雅な馬車が、ゆっくりと入ってきた。
黒塗りの車体に、ギルド連盟の金の紋章。車輪は磨き上げられ、泥ひとつ付いていない。引く馬は、栗毛の四頭立て。御者は、白手袋をはめた初老の男だった。
野次馬たちが、さざ波のように道を開けた。
馬車が、巨人の足元近くで止まる。
扉が、ゆっくりと開いた。
まず、細い黒いヒールが、地面に降りた。続いて、すらりと伸びた脚。黒いスリットの入ったスカート。それから、豊かな黒髪を波打たせた、艶やかな女性が、降り立った。
エレノア・ブラッドフィールドだった。
日傘を片手に、煙管を指に挟み、ゆったりと、麦畑を見渡している。紅い唇が、満足げな弧を描いていた。
「あらあら。壮観ね」
風に、紫煙が、細くたなびいた。
「アレクちゃん、どこかしら」
彼女は、小さな足取りで、畝の間を歩き出した。泥が、ヒールにはねる。それでも、まるで気にしていない。舞台に上がる女優のような足取りだった。
巨人の足元まで来たとき、ようやく、目当ての人物を見つけた。
アレクは、倒れた巨人の足首のそばに、座り込んでいた。
ヘルメットを脱いで、膝の上に置いている。ツナギの袖は肘まで捲り上げられ、手には、昼食の乾パンを握っていた。肩にはクロ、頭にはポチが載っている。隣には、同じように乾パンを齧るシエルと、ハーブティーを注いでいるリリアナ。
昼休憩、そのものの光景だった。
「…………」
エレノアは、ぷっと吹き出した。
「ふ、ふふっ。巨人の足元で、ピクニックなんて」
「現場の昼食です」
アレクは、乾パンを飲み込みながら、淡々と答えた。
「エレノアさん。どうして、ここに」
「お礼と、お仕事の話よ」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
アレクは、乾パンを、ゆっくりと置いた。
巨人の再起動は、午後1時から、始まった。
動力炉の点検口から、アレクが慎重に、魔力の流量を調整していく。足首のボルトは、まだ抜けたままだが、再起動後に自力で動かないよう、関節のロックを、別の方法で固定する計画だった。
巨人の胸の宝石が、青白く、脈打ち始めた。
赤い光は、もう、灯らなかった。
代わりに、柔らかな青い光が、ゆっくりと、瞬いている。
『――起動、確認』
低く、平板な声が、麦畑に響いた。
『現在、安全停止状態。足首関節、機能喪失。全身ノ戦闘機能、制限モードニ移行』
周囲の野次馬が、どよめいた。
兵士たちが、一斉に武器を構える。
「待て。大丈夫だ」
アレクが、手を上げて制した。
「今のこいつは、戦えない」
『認識。当機ハ、現在、戦闘不能』
巨人の声が、返ってきた。
巨大な顔が、ゆっくりと、こちらを向いた。うつ伏せのまま、首だけを、少しだけ持ち上げている。赤い目はなく、淡く青い光が、まぶたの奥で、静かに灯っていた。
『対象ノ、識別ヲ、希望スル』
「アレクだ。原状回復士」
『原状回復士。……記録ニ、ナイ職種』
「だろうな」
『貴殿ガ、当機ノ、足首ノ、主軸ボルトヲ、撤去シタ、ト、判定スル』
「ああ」
『目的ヲ、問ウ』
アレクは、少し考えた。
それから、ゆっくりと、答えた。
「お前が、王都を、踏み潰しそうだったからだ」
『…………』
「あと、足首が、がたがただった。三割しか、締まってなかった」
『…………』
「300年、誰も、点検してなかったんだろ。可哀想に」
巨人の青い光が、一瞬、ちらりと揺れた。
『…………可哀想、トハ』
「痛かったろ。足首」
『…………痛覚ハ、存在シナイ』
「そうか」
アレクは、小さく笑った。
「じゃあ、違和感が、あったろ」
『…………』
巨人は、長い間、黙っていた。
麦畑に、風が吹いた。
『…………確カニ、300年、前カラ、足首ニ、違和感ガ、アッタ』
平板な声が、わずかに、震えたように聞こえた。
『当機ハ、防衛機構。外部ノ脅威ヲ、排除スルノガ、任務。シカシ、足首ノ、異常ヲ、誰ニモ、報告デキナカッタ』
「報告する相手が、いなかったんだな」
『…………肯定』
クロが、アレクの肩の上で、ぼそりと言った。
「寂しい話だぜ、そりゃ」
アレクは、頷いた。
「お前の、任務は、何だった」
『当機ノ任務ハ、迷宮ノ中枢ヲ、外敵カラ、守ルコト』
「外敵」
『王国歴一〇〇〇年ノ、設計仕様ニ、基ヅク』
「1000年前の、外敵ってのは、誰のことだ」
『…………データ、破損。確認、不能』
「そうか」
アレクは、ふうっと、息を吐いた。
「なら、新しい任務を、やる」
『新シイ、任務?』
「ああ」
彼は、立ち上がった。
「王都の、北門の、守衛だ」
周囲が、一瞬、静まり返った。
「…………は?」
ハーゲンが、呆けた声を上げた。
「守衛? この巨人を?」
「ああ」
「しかし、昨日、王都を襲おうとしていた」
「誤作動だ。もう、直した」
アレクは、淡々と言った。
「北門は、人手が足りないと聞いた。こいつなら、20メートルの高さから、周囲を見渡せる。不審者を発見して、報告するだけでいい」
『…………報告、ノミ?』
「攻撃は、しない。迷子は、保護する」
『…………』
「どうだ」
巨人は、再び、沈黙した。
青い光が、ゆっくりと、明滅する。
数10秒の後、低い声が、返ってきた。
『…………雇用条件ヲ、確認シタイ』
「は?」
『勤務時間。休日。待遇。……整備ノ、頻度』
兵士たちが、ぽかんと口を開けた。
アレクは、にやりと笑った。
「いい質問だ。勤務時間は、朝6時から、夕方5時まで。休憩は、昼に1時間。週休は、2日」
『週休、2日』
「整備は、年に二回、俺が、点検に来る」
『年2回』
「足首のボルトは、新しい規格品に、交換する。防錆グリスも、塗り直す」
『…………』
巨人の目の奥の光が、ほんの少し、強くなった。
『…………受諾スル』
「よし」
アレクは、バインダーを開いた。
一枚の書類に、さらさらと、条件を書き込む。
「エレノアさん。雇用契約書を、お願いできますか」
「ええ、もちろん」
エレノアが、にこやかに、日傘をくるりと回した。
ギルドの職員が、慌てて羊皮紙を差し出す。巨人は、巨大な指先で、羊皮紙の端に、ぽん、と小さな青い印を押した。
契約、成立。
麦畑に、歓声と、笑い声が、湧き上がった。
「巨人が、守衛に就職した!」
「世界初だぞ!」
「ありがとう、アレクさん!」
ハーゲンが、涙を拭いながら、笑っていた。
騒ぎが、少し落ち着いた頃。
エレノアが、ゆっくりと、ある方向へ、歩き出した。
麦畑の端。土嚢の山の前。
そこで、汗だくになって、片腕で土嚢を積んでいた男が、顔を上げた。
黄色いヘルメットの下で、金色の髪が、汗で貼りついている。
エドワードだった。
「あら、エドワード。お疲れさま」
エレノアは、にっこりと微笑んだ。
紅い唇。艶やかな黒髪。優雅な日傘。
エドワードの背中に、ぞくりと、悪寒が走った。
「…………エレノア殿」
「ちょうど、いいところで会ったわ」
彼女は、懐から、一枚の書類を取り出した。
分厚い、重厚な紙だった。
縁には、金の飾り罫。中央には、几帳面な字で、数字が並んでいる。
「今回の件の、費用の、明細よ」
「…………」
「どうぞ」
エレノアは、書類を、エドワードの目の前に差し出した。
エドワードは、震える手で、それを受け取った。
一行ずつ、目で追う。
『巨人封印遺跡 封印ボルト撤去に伴う遺跡損壊費:800万ゴールド』
『ギルド迎撃部隊緊急出動費:450万ゴールド』
『魔導砲、その他装備損耗費:300万ゴールド』
『負傷者治療費:250万ゴールド』
『巨人再起動・安全化工事費:200万ゴールド』
そして、最後の行。
『合計:2000万ゴールド』
エドワードの手が、わなわなと震え出した。
「…………に、にせん、まん」
「ええ」
「オレの、口座は、ゼロ」
「ええ。ですから、マイナスよ」
エレノアは、にこやかに言った。
「口座残高、マイナス二千万。おめでとう、エドワード。破産の第一歩ね」
「な、な、な……」
「ああ、そうそう」
彼女は、まるで、今思い出したかのように、付け加えた。
「それと、アレクちゃんの、残業代の請求も、含まれているわ」
「ざ、残業……?」
「現場に到着した時間が、17時14分。巨人の安全停止が、17時40分。夜間の点検作業、9時間。すべて、割増料金。倍額よ」
「…………倍」
「ええ」
エレノアは、満面の笑顔で、頷いた。
エドワードの顔から、さあっと、血の気が引いた。
目が、ゆっくりと、裏返っていく。
白目だ。
完璧な、白目だった。
口が、ぱかっと開く。
「…………に、にせん、まん……」
かすれた声を最後に、エドワードの体が、ぐらりと傾いた。
ばたん。
背中から、土嚢の山に倒れ込んだ。
黄色いヘルメットが、ころころと転がった。
周囲の若者たちが、一斉に、ぷっと吹き出した。
「勇者様、また、気絶した!」
「二千万だって!」
「俺なら、一生かかっても、返せねえ!」
レオが、腹を抱えて、笑っていた。
リリアナが、やれやれと首を振りながら、気絶したエドワードに、薄い毛布をそっと掛けた。
「もう、しょうがない人」
そう呟いた声は、ほんの少しだけ、優しかった。
夕暮れの麦畑に、金色の光が、差していた。
兵士たちが、倒れた巨人の周りで、片付けを進めている。昼間の喧噪が、少しずつ、静けさに変わっていく。
アレクは、ヘルメットを被り直して、脚立を肩に担いだ。
隣には、シエルとリリアナ。肩には、クロとポチ。
「帰るか」
「はい、主任」
「お疲れさまでした、アレク主任♡」
「ぷる!」
「おう、帰るぜ」
五つの影が、長く、麦畑に伸びた。
エレノアが、少し離れたところから、手を振っていた。
「アレクちゃーん! ビールは、ギルドの奢りよー!」
「…………残業代込みで、いただきます」
アレクは、小さく、そう呟いた。
肩の上のクロが、にやりと笑った。
「いいねえ。残業代込みの酒は、格別だ」
「だろ」
アレクの口元が、わずかに、緩んだ。
懐中時計を取り出し、蓋を開ける。
17時、ジャスト。
そう。
ちょうど、昨日の、定時と、同じ時刻だった。
「…………よし」
彼は、時計を、ポケットに戻した。
夕焼けの空の下、麦畑に立つ巨人の、青い光が、ゆっくりと、明滅していた。
その胸の奥で、ひとつの管が、静かに、地下へと魔力を流し続けている。
そのことに、まだ誰も、気づいていなかった。




