第029話:若草の風の恩返し
翌朝の麦畑は、人であふれていた。
夜が明けると、噂を聞きつけた王都の住民たちが、荷車や馬に乗って、続々と集まってきたのだ。倒れた石の巨人を一目見ようという野次馬である。子どもを肩車した父親。弁当の包みを抱えた母親たち。杖をついた老人まで、よたよたと畑の畝を歩いている。屋台まで出ていて、焼き栗の香ばしい匂いが、朝の空気に漂っていた。
アレクは、麦畑の端から、その光景を眺めて、深いため息をついた。
「…………多いな」
「想定以上です」
隣に立つシエルが、点検表を抱えたまま、頬を引きつらせた。三つ編みの髪を団子に結い直し、ヘルメットの顎ひもも、きちんと締めている。昨夜は、ほとんど眠れなかったらしい。眼鏡の下の目元に、薄い隈が浮いていた。
「現場の周囲には、すでに、杭と縄を張ってありますが」
「縄だけじゃ、止まらない」
「子どもたちが、巨人の足元まで、登ろうとしています」
「危険だな」
巨人は、まだ、倒れたままだった。
ギルドの手配した兵士が、杭の外側に何人か立っているが、人手が、まったく足りない。野次馬は、縄の隙間を、すいすいとすり抜けていく。巨人の体の上に、わらわらと登り始めた子どももいた。
「こら! 降りなさい! 危ないぞ!」
兵士の一人が、叫んでいる。しかし、子どもたちは、はしゃぐばかりで、聞こうとしない。
アレクの眉間の皺が、深くなった。
巨人の関節は、昨日、ボルトを抜いた。ロックが外れた状態で、いつ、どこが動くか分からない。小さな衝撃で、腕が落ちるかもしれない。
「リリアナ」
「はい」
「救護の準備を。最悪の場合、怪我人が、出る」
「承知しました」
「クロ、崩落の兆しを、見張れ」
「おう」
「ポチ」
「ぷる」
「子どもたちの足元に、軽く、滑り止めを」
「ぷるっ!」
ポチは、ぴょんと跳ねて、畑に降りた。
そのとき。
「アレクさぁぁぁん!」
遠くから、元気いっぱいの声が、響いてきた。
振り返ると、麦畑の向こうの街道から、三人の若者が、駆けてくるところだった。
黄色いヘルメットを、全員、きっちりと被っている。先頭の剣士は、胸を張って、大きく手を振っていた。その後ろに、黒髪のおさげの少女。そして、盾を背負った大柄な少年。
レオ、ミュウ、ノアだった。
「アレクさん! おはようございます!」
レオが、息を切らしながら、アレクの前で、がばっと敬礼した。
「【若草の風】、現場に、到着しました!」
「…………呼んでない」
「手伝いに来ました!」
レオの目が、きらきらと輝いている。
「昨日の夜、ギルドで、噂を聞いたんです! 巨人が出て、アレクさんが、倒したって! それで、今朝、現場がすごく混んでるって聞いたから、これは、お手伝いするしかないと!」
「危険だぞ」
「分かっています! だから、ヘルメットを被ってきました!」
レオは、ヘルメットのつばを、自慢げに叩いた。
ミュウが、おずおずと前に出た。
「あの、アレクさん。実は、私たち、昨日の夜、会員のみんなと、話し合ったんです」
「会員」
「ヘルメット着用運動の」
「まだ、あったのか」
「はい。今、会員は、三百二10人になりました」
アレクは、ふらり、とよろめいた。
「三百……」
「はい!」
「増えすぎだろ」
「でも、みんな、役に立ちたいって」
ミュウは、はにかんで、後ろを指さした。
街道の向こうから、黄色い点が、ぞろぞろと近づいてきていた。
ヘルメットを被った、若い冒険者たち。数10人はいる。みな、緊張した面持ちで、でも、誇らしげに歩いている。腕には、「ヘルメット着用運動」と書かれた、手作りの腕章。
「…………」
アレクは、額に手を当てた。
しばらく、無言だった。
それから、小さく、息を吐いた。
「…………レオ」
「はい!」
「指揮を、任せる」
「え」
「現場の動線管理だ。野次馬を、縄の外側に、押し戻せ。無理に押さず、声をかけて、誘導しろ」
「は、はい!」
「ミュウ。風の魔法で、子どもたちを、安全な位置へ、そっと移動させられるか」
「やってみます!」
「ノア。盾で、縄の隙間を塞げ。壁になれ」
「分かりました!」
「みっつ」
アレクは、指を3本立てた。
「ヘルメットを、全員、被らせろ。被らない者は、中に入れるな」
「は、はいっ!」
「怪我人が出たら、リリアナのところへ」
「承知しました!」
三人は、声を揃えて、敬礼した。
そして、一目散に、走り出した。
10分後。
麦畑の様子は、一変していた。
巨人の周囲に、新しい縄が、きれいな四角形に張り直されている。縄の内側には、黄色いヘルメットを被った若者が、等間隔に立っていた。縄の外側では、野次馬たちが、おとなしく、列を作っている。
レオが、拡声の魔道具を片手に、声を張り上げていた。
「ここから先は、立入禁止です! 巨人の関節は、非常に不安定です! 近づくと、危険です! ヘルメットのない方は、入場できません!」
「ヘルメットをお貸しします! 一人、50ゴールドで、貸出可能です!」
ミュウが、籠に入れた予備のヘルメットを、野次馬に配っていた。
いつの間に、そんな商売を、始めたのか。
ノアが、大きな盾を構えて、縄の前に、どっしりと立っている。子どもたちが、おそるおそる縄をくぐろうとするたびに、盾を、とん、と地面に突いた。その音に、子どもたちは、ぴたりと止まった。
「こ、怖いよ、お兄ちゃん」
「危ないからね、ごめんね。あっちで、見てね」
ノアは、優しく微笑んだ。大柄な体から、不思議な安心感が漂っていた。
子どもたちは、素直に、縄の外へ戻っていく。
アレクは、遠くから、それを見ていた。
「…………うまいな」
「ええ」
シエルが、微笑んだ。
「主任の教えが、ちゃんと、広がっていますね」
「そうか」
「はい」
シエルは、胸を張って、言った。
「あの子たちは、主任が、助けた子たちです。助けられた命が、今度は、誰かの命を守っています」
「…………」
「素敵なことだと、思います」
アレクは、返事をしなかった。
ただ、ヘルメットのつばを、少しだけ、下げた。
耳の先が、わずかに赤くなっているのを、シエルは、見逃さなかった。
昼前。
巨人の足元で、土嚢を運ぶ人影が、見えた。
見覚えのある、金色の鎧だった。
エドワードが、黄色いヘルメットを被って、重い土嚢を、よたよたと抱えていた。昨夜、アレクに渡されたヘルメットを、そのまま、被り続けているらしい。折れた右腕は、リリアナではなく、ギルドの衛生兵に、添え木で固定されていた。左腕だけで、必死に土嚢を引きずっている。
その前に、小柄な少年が、腕を組んで立っていた。
「そこ、遅いです! もっと早く!」
「くっ……」
「勇者様は、体力あるはずでしょう! さっきから、五個しか運んでません!」
「う、うるさい! オレは、片腕が折れているのだ!」
「だったら、片腕で、頑張ってください!」
レオが、容赦なく叱咤した。
エドワードは、顔を真っ赤にして、土嚢を担ぎ直した。
ほんの二週間前まで、レオは、勇者を、遠くから仰ぎ見るだけの、駆け出しだった。それが、今や、現場の動線管理者として、勇者に、土嚢運びを指示している。
世の中は、わからないものだ。
シエルが、小さく吹き出した。
「ふ、ふふっ」
「笑うな」
「だって、主任。あの勇者が」
「あいつは、自分で選んだ」
「ええ」
「…………まあ、悪くない顔だ」
アレクの声は、ぼそりと、低かった。
「顔、ですか?」
「あいつ。必死な顔をしてる」
シエルは、しばらく、エドワードの横顔を見つめていた。
汗だくで、泥だらけで、悔しそうに唇を噛みながら、それでも、土嚢を落とさない顔。
かつての、傲慢な笑みは、そこには、なかった。
「…………そうですね」
彼女は、小さく、頷いた。
朝の風が、麦畑を、さわさわと撫でていく。
巨人の石の背中に、陽の光が、斜めに差していた。
作業の声と、金槌の音と、笑い声が、麦畑のあちこちから聞こえてくる。
昨日の悪夢が、嘘のような、穏やかな朝だった。




