第022話:ギルド迎撃部隊の全滅危機
王都の北門から、5キロ。
なだらかな麦畑の丘陵に、ギルド連盟の迎撃部隊が、横一列に布陣していた。
迎撃隊長ハーゲンは、馬上から、その陣容を見渡した。
50歳。分厚い胸板に、白髪混じりの短い髪。顔に、古い刀傷が走っている。冒険者として30年、国境の魔物討伐から迷宮の暴走鎮圧まで、数え切れない修羅場をくぐり抜けてきた男だった。
ただ、これほど不気味な報告は、初めてだった。
麦畑の遥か北、夕焼けの空の下に、巨大な影が、ゆっくりと姿を現していた。
最初は、山の一部かと思った。
しかし、その山が、歩いていた。
ずしん。
ずしん。
足音が、地面を伝って、馬の脚を震わせる。馬が、不安そうに鼻を鳴らした。
「隊長」
隣に並んだ副官が、青い顔で呟いた。
「全高、およそ20メートル。報告通りです」
「石の巨人、か」
「古代の防衛兵器。ギルドの文献には、『ギガース』と記されています」
「勝てるか」
「…………」
副官は、答えなかった。
ハーゲンは、小さく息を吐いた。
部隊は、総勢二100人。魔導砲の砲兵が三十。魔法師団が五十。剣士と槍兵が、百二十。王都近郊で動かせる、最大の戦力だった。
「全員に、通達しろ。射程に入った瞬間、一斉射撃だ」
「はっ!」
副官が、伝令を走らせる。
麦畑に、金属の擦れ合う音が走った。魔導砲の砲身が、ゆっくりと角度を上げていく。魔法師団の杖の先に、色とりどりの光が灯り始めた。
巨人が、射程に入った。
距離、500メートル。
夕焼けを背に、黒い影が、はっきりと見える。灰色の石の肌。赤く光る目。胸の宝石が、不気味な赤色に明滅している。一歩ごとに、麦畑が揺れ、土煙が舞い上がった。
「撃てぇぇぇっ!」
ハーゲンの号令が、麦畑に響き渡った。
轟音。
三十門の魔導砲が、一斉に火を噴いた。
閃光が、夕空を白く塗りつぶす。砲弾が、一直線に巨人へ飛んでいく。続いて、魔法師団の火炎、雷撃、氷槍が、雨のように降り注いだ。
ドガァァァァン!
巨人の胸に、砲弾が炸裂した。
爆煙が、巨人の上半身を包んだ。
「やったか!」
「命中です! 全弾命中!」
麦畑の兵士たちが、歓声を上げた。
ハーゲンは、じっと爆煙を睨んでいた。
嫌な予感が、腹の底で、じわじわと広がっていく。
煙が、ゆっくりと、風に流されていった。
そこには、変わらず、巨人が立っていた。
傷一つ、なかった。
灰色の石の肌は、煤で少し汚れただけで、亀裂ひとつ入っていない。赤い目が、ゆっくりと、こちらを向いた。
『――攻撃ヲ確認。威力、計測不能ナレド、損傷、皆無』
平板な声が、風に乗って届いた。
『敵性勢力、ト判定。排除優先度、上昇』
「…………」
麦畑が、静まり返った。
兵士たちの顔から、さっきまでの笑顔が、すっと消えていった。
「ま、まさか、効いていない……?」
「第二斉射! 続けろ!」
ハーゲンが、叫んだ。
魔導砲が、再び咆哮を上げる。魔法師団の杖が、さらに強烈な光を放つ。しかし、結果は、同じだった。砲弾は、巨人の表面で、ぱちぱちと砕けるだけ。火炎は、石肌を撫でるだけ。氷槍は、触れた瞬間に、粉々になった。
巨人は、歩みを止めない。
ずしん。
ずしん。
距離が、400メートルに縮まった。
「隊長! 魔導砲の弾薬が、尽きます!」
「魔法師団、魔力が限界です!」
「前線の剣士隊が、後退を求めています!」
伝令が、次々と、ハーゲンのもとへ駆け込んできた。
ハーゲンは、唇を噛みしめた。
手綱を握る手に、力が入る。
30年の経験が、告げていた。
これは、勝てない。
戦うことが、そもそも、間違っている。
物理攻撃も、魔法攻撃も、通じない。どれほどの火力を叩き込んでも、あの装甲は、びくともしない。このまま続ければ、部隊は、いたずらに消耗して、全滅する。
「…………後退だ」
ハーゲンは、苦々しく言った。
「全軍、北門まで後退。城壁で、防衛線を張る」
「しかし、隊長。あの巨人が、城壁に到達したら」
「分かっている!」
怒鳴り声が、思わず、口から漏れた。
「分かっているが、ここで全滅するわけには、いかん! 一人でも多く、生き残れ!」
副官が、悔しそうに、敬礼した。
その時だった。
ひゅう、と、風を切る音がした。
巨人の右腕が、ゆっくりと、持ち上がった。
巨大な石の拳が、夕焼けの空を覆う。
兵士たちの顔が、恐怖で凍りついた。
「伏せろぉぉぉっ!」
ハーゲンの絶叫と、同時に。
拳が、振り下ろされた。
どおおおおん!
地面が、爆発した。
麦畑に、巨大なクレーターが穿たれる。土砂が、噴水のように吹き上がった。衝撃波が、兵士たちを紙屑のように吹き飛ばす。馬が、悲鳴を上げて、暴走した。
ハーゲンは、馬から投げ出されて、地面に叩きつけられた。
息が、止まった。
耳が、きいんと鳴っている。
視界が、真っ白だった。
口の中に、土の味が広がる。
遠くで、誰かが叫んでいる声が、水の中から聞こえるように、くぐもって響いた。
「たい……ちょ……!」
ハーゲンは、腕に力を入れて、起き上がろうとした。
しかし、体が、言うことを聞かなかった。
横目で見ると、麦畑のあちこちに、倒れた兵士たちが転がっている。呻き声。助けを呼ぶ声。折れた槍。壊れた魔導砲の残骸。
巨人は、悠然と、前進を続けていた。
ずしん。
ずしん。
距離は、300メートル。
北門まで、あと4キロ。
ハーゲンの胸に、絶望が、重く沈んでいった。
このまま、王都が、踏み潰される。
家族を残して、逃げた者もいるだろう。妻と娘が、今、あの城壁の内側にいる。ハーゲンの頭に、娘の笑顔が浮かんだ。
目頭が、熱くなった。
「…………くそ」
小さく、呟いた。
そのとき、伝令の一人が、ハーゲンの傍らに駆け寄ってきた。
「隊長! 緊急通信です!」
「何だ」
「ギルド副ギルドマスター、エレノア・ブラッドフィールド様から!」
ハーゲンは、目を瞬いた。
伝令が、通信用の小さな水晶を、差し出す。
水晶の中から、甘く、しかし、鋼のように強い声が、響いてきた。
『ハーゲン隊長。聞こえるかしら』
「は、はっ!」
『全軍、後退しなさい。無駄な戦闘は、やめて』
「承知しております。ただ、城壁までの時間稼ぎが」
『その必要は、ないわ』
「は?」
『今から10分後に、現場に到着する人間がいるの』
ハーゲンの眉が、ぴくりと動いた。
「…………誰、ですか」
『アレクちゃんよ』
「アレク……? あの、ツナギの?」
『ええ』
「清掃員の、ですか」
『原状回復士、よ』
エレノアの声が、わずかに、愉快そうに弾んだ。
『あの子なら、何とかするわ。だから、隊長たちは、負傷者を連れて、後方に下がっていなさい』
「し、しかし副ギルドマスター! あの巨人は、魔導砲も魔法も、全く通じなかったのですよ! そこへ、清掃員が一人で何を」
『信じなさい』
通信が、ぷつんと切れた。
ハーゲンは、水晶を握りしめたまま、呆然としていた。
副官が、おそるおそる、尋ねた。
「隊長、どうしますか」
「…………」
ハーゲンは、遠くの巨人を、見つめた。
夕焼けの空に、20メートルの巨体が、黒く浮かんでいる。
勝てる気は、微塵もしなかった。
しかし、エレノアという女は、ギルドの中で、誰よりも冷徹に、勝算を見極める人間だった。
彼女が、「信じなさい」と言った。
「…………全軍、負傷者を収容しつつ、後退する」
「はっ」
「10分、待つ。10分だけだ」
ハーゲンは、ゆっくりと、立ち上がった。
足が、まだ、ふらついている。
そのとき、遠くから、かすかな音が聞こえてきた。
からから、からから。
車輪が、石を叩く音。
麦畑の向こうの街道を、小さな何かが、猛烈な速度で、こちらへ走ってくる。
木製の、荷台のようなもの。魔導石が、青く光っている。その荷台の上に、数人の人影が見えた。
先頭の人影が、黄色いヘルメットを被っている。
その後ろに、ピンク色の何か。
ハーゲンは、目を、疑った。
「…………あれは、何だ」
「軌道車、のようですが」
「なぜ、あんな速度で」
「さあ」
副官も、首を傾げた。
荷台は、瞬く間に、近づいてきた。
風を切る音と、悲鳴のようなものが、聞こえた気がした。
『――しゅにぃぃぃん! 速度がぁぁぁ!』




