第021話:中ボス覚醒、古代防衛ゴーレム【ギガース】
エドワードは、台座の上に立ち尽くしていた。
松明の炎が、横倒しになって揺れている。天井から砂が降り、肩当てのない肩に、細かい粒がぱらぱらと当たった。足元の石の床が、低く、規則正しく脈打っている。まるで、巨大な生き物の心臓の上に立っているようだった。
目の前の巨人が、ゆっくりと、腕をほどいていた。
ぎぎ、ぎぎぎ。
石と石が擦れ合う音が、空洞全体に反響する。胸の前で組まれていた両腕が、数100年ぶりの動きに、粉をこぼしながら解けていく。その胸板に嵌まった青白い宝石が、さっきよりもはっきりと明滅していた。
4本の巨大なボルトは、足元に転がったままだ。
「ゆ、勇者様……」
日雇いの冒険者の一人が、かすれた声を出した。
「これ、ヤバいんじゃ」
「黙れ!」
エドワードは、怒鳴った。声が、ひどく裏返っていた。
「ただの、仕掛けだ! 古代の見せかけの罠だ! 恐れるな!」
巨人の目が、完全に開いた。
赤い光が、二つ、空洞の闇の中でぎらりと灯る。光は、ゆっくりと左右に動いて、台座の周りを舐めるように照らした。ツルハシ。滑車。ロープ。松明。そして、人間が、五人。
光が、エドワードの顔の上で、ぴたりと止まった。
『――侵入者、確認』
声が、響いた。
低く、平坦で、人の声ではなかった。金属の板を何枚も重ねて、同時に震わせたような響き。空洞の壁が、びりびりと震えた。
『封印解除ヲ検知。防衛機構、再起動』
「ひっ」
日雇いの冒険者たちが、一斉に後ずさった。
『現在位置ヲ、王国歴一〇〇〇年ノ記録ト照合。……照合不能。外部環境ノ変化ヲ確認。再計算中』
巨人の胸の宝石が、青から、赤へと色を変えた。
エドワードの背中に、冷たい汗が噴き出した。
喉が、からからに渇いていた。唾を飲み込もうとして、舌が上顎に張りついた。鼻をつくのは、数100年分の乾いた埃の匂いと、自分の汗の酸っぱい匂い。足の裏に伝わる脈動は、気のせいではなかった。台座そのものが、ゆっくりと、息をしている。
ふと、聖剣の柄の感触が、掌に蘇った。王から授けられた日のことだ。大聖堂の広い階段、降りそそぐ歓声、紙吹雪。あの日の自分は、何も怖くなかった。この剣を振るえば、世界は思い通りになると、本気で信じていた。
いま、その剣は、刃こぼれしたまま、手の中で小さく震えている。
『判定。侵入者ハ、脅威。排除ヲ開始スル』
「に、逃げろぉぉぉっ!」
日雇いの三人が、悲鳴を上げて、一斉に走り出した。ツルハシも、ロープも、松明も、全部放り出して。廊下の暗がりへ、転がるように飛び込んでいく。足音が、遠ざかっていった。
一人、台座の上に残されたエドワードは、聖剣を握りしめた。
「き、貴様ら! 卑怯者どもが!」
声が、情けなく震えていた。
「オレは、勇者だ。勇者が、石の人形に、怯えるものか」
彼は、聖剣に魔力を込めた。
刃こぼれした剣身が、白く光る。先日の、一万一千の出力には、遠く及ばない。それでも、やるしかなかった。
「うおおおおおっ!」
台座を蹴って、跳んだ。
巨人の足首に向かって、渾身の力で、剣を叩きつける。
ガァァァン!
耳をつんざく金属音が、空洞に響き渡った。
火花が、飛び散った。
剣が、ばきん、と悲鳴を上げた。
エドワードの手のひらに、痺れるような衝撃が走る。聖剣の刃が、さらに大きく欠けて、破片が宙に舞った。巨人の足首には、傷一つ、ついていなかった。
「……な」
エドワードは、目を見開いた。
巨人が、ゆっくりと、片腕を持ち上げた。
腕の影が、エドワードを覆い尽くす。
逃げる暇もなかった。
振り払うような一撃が、横から飛んできた。
世界が、回った。
エドワードの体は、空中に放り出され、空洞の壁に、叩きつけられた。
ごん。
鈍い音がして、息が、胸の奥で詰まった。背中が、ひどく痛い。視界が、白と黒に明滅する。石の壁が、ずるずると崩れて、瓦礫が体の上に降り積もった。
剣は、手を離れて、どこかへ転がっていった。
エドワードは、瓦礫の中で、何とか目を開けた。
空洞の天井が、霞んで見える。
その中央に、巨人が、ゆっくりと立ち上がっていく姿があった。
ずしん。
一歩。
床が、大きく沈み込んだ。
巨人は、全身から、数100年分の粉塵を落としながら、立ち上がった。身の丈は、20メートルを超えていた。灰色の石の体表は、ところどころが苔むして、古い傷がいくつも走っている。しかし、その輪郭には、1分の歪みもなかった。
全身が、一つの兵器として、完璧に設計されている。
エドワードは、瓦礫の隙間から、その巨体を見上げた。
恐怖で、体が動かなかった。
声も出なかった。
巨人は、エドワードのことなど、もう見てもいなかった。
赤い目が、ゆっくりと、上を向く。
天井を、見据える。
『出口ヲ、確認』
平板な声が、響いた。
『最短経路ヲ、算出。天井、厚サ12メートル。貫通可能』
巨人が、右の拳を、振り上げた。
エドワードは、とっさに頭を抱えて、身を丸めた。
次の瞬間。
ごおおおおおおん!
世界が、砕けた。
巨人の拳が、天井を、一撃で打ち抜いた。岩盤が、轟音とともに砕け散る。巨大な岩の塊が、雨のように降り注ぎ、粉塵が、嵐のように渦を巻いた。
エドワードは、必死に腕で顔を覆った。
石の欠片が、背中や腕に、次々と当たって、弾けた。
轟音は、数10秒も、続いた。
やがて、音が収まり、粉塵が、ゆっくりと晴れていった。
エドワードは、恐る恐る、顔を上げた。
天井が、なくなっていた。
ぽっかりと、巨大な円形の穴が、頭上に口を開けている。その穴から、赤い夕焼け空が、のぞいていた。雲が、燃えるように染まっている。冷たい風が、穴の中を吹き降りてきた。
巨人は、穴の縁に、両手をかけていた。
ぎしり、と石の指が岩盤を掴む。そのまま、軽々と、体を引き上げていく。
巨大な足が、穴の縁を越えて、外へ消えていった。
ずしん。
ずしん。
ずしん。
地響きが、少しずつ、遠ざかっていく。
あとには、静寂が残った。
空洞の中には、粉塵と、瓦礫と、折れた松明の煙だけが漂っていた。
どれくらいの時間が、経っただろう。
エドワードは、瓦礫の中から、ようやく這い出した。
全身が、痛い。右腕が、おかしな方向に捻れている。額から、血が流れて、目に入った。手の甲で拭うと、赤い筋が、頬に長く伸びた。
空洞の床に、座り込む。
周囲を見回した。
4本の巨大なボルトが、台座のそばに転がっている。その表面に刻まれた古代文字が、もう光っていなかった。すっかり、ただの鉄の棒に戻っている。
エドワードは、それを、ぼんやりと見つめた。
外の看板に書かれていた、文字が、脳裏に蘇った。
『立入禁止 崩落危険 掘削厳禁』
その下の、小さな署名。
『現場責任者 アレク』
「…………」
転がったボルトの1本に、何かが結びつけられているのが、目に入った。
黄色い厚紙の荷札だった。細い針金で、ボルトの頭にくくりつけてある。さっきまでは、埃をかぶって、まるで見えていなかった。
彼は、それを、そっと拾い上げた。
荷札には、鉛筆で、角ばった小さな文字が並んでいた。
『封印ボルト 撤去厳禁 外すと中身が起きる 現場責任者 アレク』
持つ手が、震えた。
これまで、読んでいなかった。
見る気もなかったから。
「…………書いて、あった」
かすれた声が、空洞に落ちた。
「ちゃんと、書いて、あったんだ」
目の奥が、熱くなった。
悔しいのか。情けないのか。恐ろしいのか。自分でも、分からなかった。
ただ、胸の奥に、冷たい石のようなものが、ごろりと転がっていた。
遠くで、巨人の足音が、まだ、かすかに響いている。
ずしん。
ずしん。
方向は、南。
王都のある方角だった。
「……オレは」
エドワードは、荷札を、強く握りしめた。
「オレは、何をした……」
答える者は、誰もいなかった。
頭上の穴から、夕焼けの赤い光が、静かに降り注いでいた。




