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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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第150話:海水腐食(塩害)の猛威:白華現象と鉄筋爆破解体

3000万トンの海水が吸い出された海底100メートルの巨大空洞は、まるで太古の巨大生物の腹の中に迷い込んだかのような異様な静寂と冷気に包まれていた。

 水たまりが残る床面を、厚底の耐酸ゴム長靴がペタペタと踏みしめて進む。

 頭上のヘルメットライトが、暗黒の空間を鋭く照らし出した。

 そこに広がっていたのは――かつて神話に謳われた絢爛豪華な海底神殿の面影ではなく、塩と腐食に蝕まれた無惨な構造物の死屍累々であった。


「うわぁ……っ。一面真っ白……! 雪が積もっているみたいです……!」

 ルシアが防じんマスク越しに息を呑んだ。

 壁という壁、柱という柱の表面が、まるで霜降りのように白く粉を吹き、奇怪な結晶のヒゲを伸ばしている。

 触れればボロボロと脆く崩れ落ちるその白い粉を見つめ、アレクは冷徹な目で指先を擦り合わせた。


「雪じゃない。――【白華(エフロレッセンス)現象】だ」

 アレクが手袋越しに結晶をつまみ、分析ルーペで観察する。

「海水に含まれる塩化物イオンと炭酸ガスが、古代コンクリート内部の水酸化カルシウムと化合し、炭酸カルシウムとなって表面に析出したものだ。これだけ大量に出ているということは、セメント硬化体内部のアルカリ分が完全に抜け落ち、コンクリートが骨抜き――すなわち【中性化】している証拠だ」

「ちゅうせいか……ですか?」

「通常、コンクリートはpH十二から十三という強いアルカリ性によって、内部の鉄筋の表面に【不動態被膜】という極薄の保護膜を作り、錆びないように守っている。だが、海水が浸透して中性化が進むと、その膜が破壊される。――そうなると何が起きるか」


 カツン、とアレクが腰から引き抜いたテストハンマー(打診棒)で、太さ3メートルの主柱を軽く叩いた。

 澄んだ硬質な金属音が返ってくるはずの神殿の石柱から、信じられない音が響いた。

 ――ボコッ。

 ポコポコ、と腐った木材か段ボールを叩いたような、鈍く湿った空洞音が回廊に反響する。

「ひっ……!? な、なんですか、この音!?」

 ルシアが飛び上がった。

「内部が完全に浮いている音だ。――エドワード、下がってろ」

「うすッ!」


 アレクがハンマーの尖端を、柱の亀裂に差し込み、手首のスナップを利かせてクイと抉った。

 バキバキッ! ボロボロロッ!

 まるでウエハースのように、厚さ10センチ以上の古代石材の表面が音を立てて剥落し、床面へ崩れ落ちた。

 露出した柱の内部を見て、エドワードとルシアは息を呑んだ。

 石柱の芯に入っていたはずの親指ほどの太さの【強化ミスリル鉄筋】が、真っ赤に錆びつき、本来の二倍から三倍もの太さに醜く膨張していたのだ。

 膨らみきった錆が、内側から外側のコンクリートを力づくで押し割り、周囲の石材を粉々に破砕している。


「こ、これは……鉄筋が爆発したみたいになってるッス……!」

「【ポップアウト現象】、あるいは鉄筋腐食による【爆裂】だ」

 アレクは冷静に、だが怒りを込めた声で言った。

「鉄は錆びると、体積が二・五倍に膨張する。その膨張圧は数100メガパスカル――岩盤をも容易にへし折る力だ。大海賊勇者どもの無謀な爆破によって防水結界が破られ、高圧の海水が内部に侵入した。その結果、鉄筋が内側から自らの骨肉を爆破解体してしまったんだ」


 アレクは首から下げた携帯魔導端末を取り出し、海上の浮きドックに待機しているシエルへ通信を繋いだ。

「シエル、聞こえるか。主回廊の三次元超音波探傷データを送る。構造耐力の再計算を頼む」

『――受信しましたわ、アレクさん!』

 即座にシエルの凜とした声が返ってくる。端末の画面上で、神殿の立体ワイヤーフレームが激しく明滅し、赤や黄色の危険信号で埋め尽くされていく。

『……ひどいですわ。主柱12本中、8本で断面欠損率が45パーセントを超過。鉄筋の付着強度はほぼゼロに低下しています。神殿全体の自重を支える圧縮耐力は、設計基準値のわずか32パーセントしか残っていません!』

「あとどれくらい保つ?」

『このまま放置すれば、余震や上部の水圧変動によって、あと7日以内に一階部分が自重で座屈(ざくつ)崩壊します。神殿全体がガラガラと崩れ落ち、二度と復元不可能になりますわ!』


 7日。

 その非情なタイムリミットに、周囲にいた作業員たちに動揺が走った。

「な、7日……!? こんな巨大な神殿を、たった一週間でどうやって直すってんだ!?」

「表面をセメントで塗り直すだけじゃダメなのか!?」

 作業員たちの不安な声に対し、アレクはヘルメットの顎紐を締め直し、全員を見回して一喝した。


「表面だけ塗って誤魔化すような手抜き工事は、俺たちの現場では絶対に許されない! 内部で錆びた鉄筋をそのまま残せば、中で腐食が進行し、数か月後には確実に大惨事を引き起こす!」

 アレクの凛とした声が、湿った回廊に響き渡る。

「やるべき工法は一つしかない。――【全断面修復工法】だ!」

「ぜ、全断面修復……!?」

「そうだ。腐食したコンクリートと脆くなった石材を、健全な母材が現れるまで徹底的に削り落とす(ハツリ工法)。露出したミスリル鉄筋の錆をサンドブラストで完全にケレン(素地調整)し、防錆プライマーを塗布。その上で、高強度ポリマーセメントモルタルを圧入して断面を復元する!」


 アレクは腰のホルスターから、愛用の真鍮製コンベックス(巻き尺)を引き出し、柱の周囲に目にも留まらぬ速さでチョークのマーキングを走らせた。

「エドワード! 第一小隊を率いてハツリ作業の準備だ。エアチッパーと電動ブレーカーを配備しろ!」

「うすッ! 了解ッス!」

「ルシア! ハツリ作業による粉塵濃度の上昇を防ぐため、集塵機3基を直ちに起動。作業員全員に防じんマスクの密着度テスト(フィットテスト)を実施しろ。隙間がある者は作業場への入場を禁止する!」

「はいっ! 直ちに点検します!」

「ピキュッ!」

 足元では、通常サイズに戻ったポチが、黄色い安全ヘルメットをちょこんと被り、剥落した瓦礫を素早く触手で吸い込んで分別ボックスへと運び始めていた。


「安全第一、作業開始! まずは主柱の仮受けサポートを設置してからハツリに入れ! 柱が落ちてきたら全員ペシャンコだぞ、サポートのジャッキ圧を絶対に緩めるな!」

『オーッ!!』

 作業員たちの腹の底からの掛け声が上がった。

 ダダダダダダダッ!! ドガガガガガガッ!!

 コンプレッサーのエアーの排気音とともに、数10本のエアチッパーが激しい打撃音を立てて錆びたコンクリートを砕き始める。

 火花と粉塵が舞い散る中、アレクの鋭い眼光が、柱の奥深く――数1000年の時を経て露出した古代の構造骨格を冷徹に見据えていた。


「(……ん? この鉄筋の配置パターン……ただの補強筋じゃないな)」

 砕け散る石材の奥から現れたミスリル鉄筋の交差部を見て、アレクの眉がわずかに動いた。

 主筋と帯筋(スターラップ)の結束方法が、現行の帝国建築基準や王国様式とは根本的に異なっている。

 幾何学的な螺旋を描き、中央の一点へ向かって不可思議な応力集中を逃すような、極めて高度な免震トラス構造。

「(この組み方……どこかで見たことがある。そうだ、あの【オメガ計画】の残骸設計図……)」

 アレクの胸のポケットにある、師匠ガントから受け継いだ真鍮の巻き尺が、微かに熱を帯びたような気がした。


 だが、感傷に浸っている暇はない。

「エドワード! ハツリ深さ、鉄筋裏側までプラス20ミリ確保しろ! 裏側に隙間がなければ新しいモルタルが回り込まないぞ!」

「了解ッス師匠! 裏ハツリ、きっちり指1本分空けるッス!!」

 深海の底、7日のタイムリミットを巡る過酷な解体と再生のドラマが、いま猛烈な火花とともに幕を開けたのであった。

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