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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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第149話:3000万トンの排水大作戦:超大型ドワーフ排水ポンプの据付

海水というものは、陸上の土木技術者にとって最大の天敵の一つである。

 比重はおよそ一・〇二五。真水よりもわずかに重く、無数の塩化ナトリウム、マグネシウム、硫酸塩といった腐食性イオンを抱え込んでいる。

 それが、三千万立方メートル――重量にしておよそ3075万トン。

 一般的なドーム球場に換算すれば、優に二十四杯分を満杯にしてお釣りがくる莫大な質量が、いま、水深100メートルの古代海底神殿【ポセイドン・アクアダンジョン】の主空間をみっしりと占領していた。


「――ポチ! シール圧の維持限界まで、あとどれくらいだ!」

「ピキュ、ピキュキュウゥゥ……ッ!」

 水深100メートルの暗黒の海中。

 魔導潜水艇『マリン・ドルフィン号』の耐圧ガラス越しに、アレクは拡声魔導器へ向かって鋭く叫んだ。

 外側の巨大水門の破口――幅10メートル、高さ15メートルの大穴には、半透明の超巨大なスライムジェルと化したポチが、自らの弾性体をみちみちに詰め込んでいた。

 表面には耐海水性の親水性ポリマー被膜を何層にも形成し、背後から襲いかかる1メガパスカル(大気圧の約十倍)の狂暴な静水圧を、全身のプルプルした張力だけで力づくで受け止めている。

 だが、いくら神話級の生体ナノグラウト弾性体とはいえ、水圧に耐え続けるポチの表面には、微細な波打ちと悲鳴のような歪みが生じていた。


「アレク主任! ポチちゃんの生体粘弾性センサー、徐々にせん断応力限界に近づいています!」

 潜水艇内の魔導計器盤に張り付いたルシアが、レンズを光らせて数値を読み上げた。

「現在、破口からの漏水量は毎分〇・二リットル以下! 奇跡的な止水性能ですが、このまま神殿内部の水圧を下げて内外の差圧を完全に固定しなければ、いずれポチちゃんが水圧で押し潰されるか、内部へスポンと射出されてしまいます!」

「わかっている。ポチの粘りに甘えるのはここまでだ。――浮きドック『ヘラクレス』、応答しろ! 排水プラントの準備状況はどうなっている!」

 アレクが有線魔導通信機を掴む。

 スピーカーの向こうから、波の音と凄まじい蒸気機関の咆哮、そして聞き慣れたドワーフの野太い怒鳴り声が返ってきた。


『おうよ、アレクの坊主! こっちはいつでもブチ込めるぜ!』

 海上に浮かぶ10万トン級巨大浮きドック『ヘラクレス』の甲板上。

 ドワーフの総棟梁、バルガン親方がヘルメットの鍔を押し上げ、巨大なパイプレンチを肩に担いで仁王立ちしていた。

『ウチの工房が総力を挙げて鍛え上げた【ドワーフ式・多段遠心高圧排水ポンプ『ウロボロス壱号〜参号』】だ! 耐海水性ハイクロム鋳鉄製インペラ、口径1200ミリ、全揚程120メートル、毎分排出量三万五千立方メートル! こいつを3基並列でぶん回せば、毎分10万トン以上の海水を海底から海面へ一気にカチ上げられるぜ!』

「ありがとうございます、親方! 動力源の蒸気圧は足りていますか!」

『ハッ、心配すんな! ウチのボイラー室長が、アフロ頭を真っ赤にして気合い入れまくってやがるからな!』


 通信の背後から、作業台船の煙突から黒煙とともに吹き上がる巨大な火柱と、野太い雄叫びが轟いた。

『グルルルルルァァァッ! 我が漆黒の獄炎ボイラーを舐めるなぁぁッ! 蒸気圧、臨界突破の四・5メガパスカル! 安全弁など不要、全出力をタービンへ叩き込めぇぇぇいッ!!』

 アフロヘアーをチリチリに焦がした古代黒竜、ドレイク室長であった。

 作業服の背中を破らんばかりに翼を広げ、神話級のドラゴニック・ブレスを特製高圧貫流ボイラーの燃焼室へ直撃させている。

 普通なら一瞬で爆発炎上する過酷な運転だが、ドワーフの超合金配管と、ドレイクのミリ単位のブレス火力制御によって、蒸気タービンは狂ったような超高周波の唸りを上げていた。


「よし! ドレイク室長、そのまま過熱蒸気を維持! エドワード、吊り荷の海底誘導を開始しろ!」

『了解ッス、師匠!!』

 通信に割り込んできたのは、潜水服を着込んで海底岩盤の上に立っているエドワードの声だった。

 背中には小型の水中推進スクリューを背負い、両手にはレーザー照射器付きのチタンラチェットを構えている。


「吊り荷降下位置、神殿天蓋の排気シャフト直上! 潮流速、ノット二・三、南南西へ流れてるッス! ワイヤー張力均等、巻き下げ速度毎分5メートルで頼むッス!」

 海面上のヘラクレスに備え付けられた巨大ジブクレーンから、極太の鋼鉄製ワイヤーに吊るされた超巨大な鋼鉄の塊が、海底の闇を切り裂いて降下してきた。

 ドワーフの技術の粋を集めた多段遠心高圧排水ポンプユニット。

 一台あたり乾燥重量80トン。三台並ぶと、ちょっとしたビル1棟に匹敵する威容である。

 それが、暗青色の海水を押し分けながら、寸分の狂いもなく海底神殿の屋根に設けられた古代の排気塔スリーブへと吸い込まれていく。


「誘導よし! 台座のロックボルト、位置合致! インパクトレンチ、トルク五千ニュートンで本締め完了ッス!」

 エドワードが水中で親指を立てた。

 海底の泥煙が晴れると、神殿の屋根に3基の巨大ポンプがガッチリと据え付けられ、そこから海面へ向かって、内径一・2メートルの極太耐圧蛇腹ホースが3本、巨大な龍のようにうねりながら立ち上がっていた。


「揚程100メートル、管路総延長120メートル。流体摩擦損失水頭、約8メートルを見込む」

 潜水艇内で、アレクが手元の野帳に素早く数式を走らせる。

「キャビテーション(空洞現象)発生の兆候なし。インペラの吸込水頭は10分に確保されている。――バルガン親方、ポンプ起動!」

『おうよッ! スチームバルブ全開ッ! 回せぇぇぇぇッ!!』


 ドズゥゥゥゥゥゥッ!!

 海底の岩盤が根底から震動した。

 3基の排水ポンプが同時に目を覚まし、インペラが超高速で回転を始める。

 ゴボッ、ゴボボボボボッ、ドォォォォォォォォォッ!!

 神殿内部に満ちていた3000万トンの海水が、猛烈な渦を巻いて吸込口へと吸い寄せられていく。

 海面上では、ヘラクレスの舷側から3本の巨大な水柱が、まるで天を突く白龍のように海面へ向かって猛烈な勢いで噴き出していた。

 毎分10万トン。

 1秒間に1600トン以上の海水が、力づくで汲み上げられていく。


「す、すごい……! 神殿内部の水位センサー、急激に降下を始めました!」

 ルシアが歓声を上げた。

「マイナス5メートル……10メートル……15メートル! 主回廊の天井が現れました!」

「よし、ポチ! 内部の水位低下に伴って、外側からの水圧負荷が均等化される。ゆっくりとグラウト圧を調整しながら、形状を安定させろ!」

「ピキュッ!」

 破口に詰まっていたポチが、弾力を取り戻したように誇らしげに身を震わせる。


 排水が進むにつれて、神殿内部の様子が潜水艇のソナーと魔導カメラに露わになってきた。

 だが、水が引いていくにつれて、画面を見つめるアレクの表情は険しさを増していった。

「……おいおい、これは想像以上に重症だな」

 アレクが眉根を寄せる。

「神殿外壁だけじゃない。内部の主柱、梁、アーチ天井……海水の激流にさらされ、塩分が構造体の奥深くまで浸透している」

「えっ……水が抜ければ、あとは乾かすだけじゃないんですか?」

 ルシアが不安そうに尋ねる。

 アレクは首を横に振った。


「コンクリートや石造建築にとって、本当の地獄は『水が抜けた直後』から始まるんだよ、ルシア。乾燥と空気接触によって、蓄積された塩分が結晶化し、内部の骨組みを内側から破壊する。いわゆる【塩害】と【ポップアウト】だ」

 アレクは作業服の袖を捲り上げ、工具ベルトの打診ハンマーを握り直した。

「時計を見ろ。現在14時15分。排水完了予定は15時30分。……水が完全に切れた瞬間から、俺たちの本番だ。全班、長靴と防じんマスク、それに酸性中和スプレーを忘れるなよ」

『了解ッス!!』


 海溝の底に轟くポンプの重低音。

 3000万トンの海水が引き抜かれたその後に待つ、腐食と破壊の現場へ向け、原状回復士たちの闘志が静かに燃え上がっていた。

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