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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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第148話:水深100メートル:古代水門の閉塞とポチの水中形態

エメラルド海溝の中央直上、水深100メートルの海底神殿の真上に布陣した超巨大作業台船『原状回復号』。

 海面は強烈な引き潮によって巨大な渦を巻いていた。

 海底の神殿外壁に空いた大穴(幅30メートル×高さ20メートル)へ向かって、海面から毎秒数100トンもの海水が猛烈な勢いで吸い込まれているのだ。

 海面から覗き込めば、深い紺碧の闇の底へと引きずり込まれるような、恐るべき水流の唸りが船底を激しく叩いていた。


「海面流速、毎秒4・5ノットを記録! 海溝直上の吸い込み水流、危険警戒ラインを突破しています!」

 船橋の観測デッキで、シエルが音波探知機(ソナー)の波形モニターを睨みながら叫んだ。

「このままでは通常の潜水艇は破口に巻き込まれて激突・大破します! 有人による接近は不可能ですわ!」


「ならば、特殊耐圧潜水艇『マリン・原状回復号』で限界深度まで潜航し、破口直前でアンカー固定する」

 アレク・ユグレットは、全身を漆黒の耐圧ダイビングスーツに包み、胸元の酸素・ヘリウム混合気体ボンベのバルブをカチリと開いた。

 頭には、水中専用のガラスシールド付き黄色ヘルメット。額には誇らしげに「安全第一」の蓄光シールが貼られている。

 その隣には、同じく耐圧潜水服を着込み、腰にチタンラチェットと水中溶接トーチを吊るしたエドワード、そして背中に小型マニピュレーターを背負ったルシアが並び立っていた。


「おいアレク……本当にこの鉄の棺桶で海の底まで降りるのかよ……?」

 エドワードが丸い覗き窓の外の暗黒を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「水深100メートルって言やあ、ビルの30階建てを丸ごと海に沈めた深さだぞ! 水圧で船体がペシャンコに潰れたりしねえだろうな!?」

「心配無用だ」

 アレクは潜水艇の隔壁をコンコンと叩いた。

「本艇の船体は、ドワーフ連合王国が鍛造した厚さ80ミリメートルのミスリルチタン二重耐圧殻構造だ。設計耐圧震度は水深300メートル、破壊安全率は3・5倍を確保してある。貴様の頭蓋骨の百倍は頑丈だ」

「オレの頭を引き合いに出すんじゃねえよ!」


「皆様、潜航準備完了ですわ!」

 ルシアが計器盤の魔導レバーを握り、バラストタンクの注水弁を開放した。

 ――ゴボゴボゴボッ!!

 作業台船の中央ウェルデッキから、黄色い潜水艇が泡を巻き上げて紺碧の海中へと滑り降りていった。


 海面からの光が届くのは水深30メートルまでであった。

 水深50メートルを超えると、周囲は完全な漆黒の世界へと変わる。

 潜水艇の強力なサーチライトが前方を照らし出すと、浮遊するプランクトンの群れと、水圧に耐える深海魚の銀色の鱗がキラキラと光条を反射していた。

 船体の外板が、ギチ……ギチ……と微かに悲鳴を上げる。

 水深100メートル。

 艇体にかかる水圧は、1平方センチメートルあたり約10キログラム――大気圧の10倍に達していた。


「水深95メートル……神殿外郭エリアに到達しました!」

 ルシアがスラスターを逆噴射させ、潜水艇を減速させる。

 サーチライトの光の先――暗黒の海底に、息を呑むような巨大構造物がその全貌を現した。


 1000年前の超古代文明がエメラルド海溝の底に築き上げた、海底神殿【ポセイドン・アクアダンジョン】。

 見渡す限りの広大な白亜の巨石回廊と、天を衝く神話の大列柱。

 だが、その威容の南側外壁は――まるで巨人の拳で殴り抜かれたかのように、無残に砕け散っていた。

 幅30メートル、高さ20メートル。

 破断した古代花崗岩の断面からは、1000年前の防護ミスリル鉄筋がへし折れて剥き出しになり、そこへ向かって海溝の濁流が、ゴォォォォォォッ!!と耳を聾する轟音とともに吸い込まれていた。


「……す、すげえ光景だ……」

 エドワードが覗き窓に額を押し当て、息を呑んだ。

「あのデカい大穴から、海が丸ごと神殿の中に落ちていってやがる……! あんな激流の前に立ったら、人間なんて一瞬でバラバラの肉片にされちまうぞ!」


「流速、秒速18メートル。破口通過流量、毎秒約1万トンだ」

 アレクが手元の音波流速計の数値を読み上げ、冷静に頷いた。

「通常の鉄板や土嚢を投げ込んだところで、水流の運動エネルギーによって粉砕され、神殿の内部へ吸い込まれるだけだ。手戻りどころか、配管の閉塞事故を誘発する」


「じゃ、じゃあどうすんだよ!? 穴を塞がなきゃ、神殿の中の水を抜くことすらできねえぞ!」

「あらかじめ準備してある」

 アレクは足元を見下ろした。

 そこには、潜水艇の補助シートの上にちょこんと座り、ガラスシールド付きヘルメットの中で目を丸くしている水色のスライム――ポチがいた。


「ピキュッ?」

 ポチが不思議そうに体を震わせる。

 アレクは手袋越しにポチの丸い頭を優しく撫でた。


「ポチ。お前の体内組織は、高分子量ポリマーと同等の親水性架橋構造を持っている。さらに、始祖コアの超高圧ジェル注入工事を通じて、お前の弾性限界は10メガパスカルまで向上した」

「ピキュウ……?」


「これより、お前に『自律型可変バルーン止水プラグ』の役割を命ずる」

「ピ、ピキュゥゥゥッ!?」

 ポチが目を白黒させて飛び上がった。

 エドワードも目を剥いて叫ぶ。

「おいアレク! ポチをあの激流の大穴に放り込む気かよ!? いくらスライムだからって、毎秒1万トンの濁流に吸い込まれたらミンチになっちまうぞ!!」


「ならん」

 アレクは断言した。

「ポチの体内には、超古代文明の自己修復ナノマシンユニットの始祖コードが眠っている。お前の弾性は、海水の衝撃力を自らの体積膨張エネルギーへと完全変換できるはずだ。……ポチ、私を信じろ。定時までに、必ず安全に回収してやる」


「…………ピキュッ!!」

 アレクの真剣な瞳を見つめ返したポチは、震える体をピシリと静止させ、力強く頷いた。

 黄色いヘルメットの顎紐をキュッと締め直し、覚悟を決めた顔つきでアレクの肩からダイブする。


「減圧注水ハッチ、オープン!」

 ルシアが叫び、潜水艇の特殊放出管のバルブを開放した。

 シュバッ!!

 水深100メートルの暗黒の海中へ、一筋の水色の閃光が飛び出した。


 ゴオオオオオオッ!!

 猛烈な吸い込み水流に捕らえられたポチは、矢のような速度で神殿外壁の巨大な破口へと引きずり込まれていく。

 だが――破口の直前、岩肌に衝突するコンマ数秒前、ポチの全身が眩いエメラルドグリーンの光を放った!


 ――ギチギチギチギチッ!!


 ポチの体積が、周囲の海水を急速に取り込みながら、数十倍、数百倍、数万倍へと超幾何級数的に膨張していく!

 直径30センチメートルの小さなスライムが、わずか3秒のうちに、幅30メートル、高さ20メートル、厚さ15メートルの『超弩級親水性エラストマージェル塊』へと巨大化変態を遂げたのだ!


 ――ドォォォォォォンッッッ!!!!


 巨大なゴムまりと化したポチの巨体が、破壊された神殿外壁の大穴へ、寸分の狂いもなくすっぽりとクサビのように嵌まり込んだ!

 毎秒1万トンの海水が、ポチの背中に直撃する。

 ポチの表面がボヨンッ!と激しく波打ち、水圧の衝撃波を驚異的な弾性変形によって分散・吸収していく。

 水流が、ピタリと止まった。

 破口の縁から漏れ出していた水煙が消え失せ、神殿内部への海水の流入が、完全に遮断されたのだ!


「せ、成功だ……!」

 シエルが通信モニター越しに歓喜の悲鳴を上げた。

「外壁破口からの海水流入量、毎秒1万トンから――『完全ゼロ』を記録! ポチの生体シール膜、水圧1メガパスカルを完璧に受け止めています!」


「ピ……ピキュウウウウウッ……!(す、少し重いけど、耐えられるぞ主任!)」

 巨大な壁となったポチの顔の表面に、キュッと引き締まった笑顔が浮かび上がった。


「見事だ、ポチ」

 アレクは潜水艇の操縦桿を握り、船上本部へ向けて鋭く号令を下した。

「一次仮締め切り、完了! これより工程第2段階へ移行する! 作業台船『原状回復号』、高圧排水ポンプ全3基、起動せよ! 神殿内部の海水30000万トンを、一滴残らず汲み出せ!!」


「「「応ッ!!!!」」」


 暗黒の海底で、小さな相棒が体を張って切り拓いた奇跡の足がかり。

 海を割るが如き前代未聞の排水大作戦が、今、轟音とともに火蓋を切ったのである。

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