第143話:全大陸打ち上げ大宴会とヒロインたちの甘い追撃
工期34日目、午後14時00分。
始祖ダンジョン地上メインゲート前――陽光きらめく見渡す限りの大平原。
給与支給式とエドワードの涙の胴上げが終わった後、大平原はそのまま、人類・魔族・ドワーフ・エルフ連合による『全大陸合同・始祖ダンジョン完工打ち上げ大宴会』の会場へと変貌を遂げていた。
――ジュウウウウウウッ!! ゴオオオオオッ!!
平原のあちこちに設えられた巨大な焚き火の上で、香ばしい煙とともに豪快な肉の焼ける匂いが立ち込めていた。
一頭まるごと豪快に炙られているのは、魔王領特産の神話級『火炎竜』の丸焼き。
特製スパイスと柑橘系ハーブに漬け込まれた竜肉の皮がパリパリと音を立て、滴り落ちる黄金色の脂が炭火を激しく爆ぜさせる。
その隣の特大寸胴鍋では、ルシア率いるサキュバス給食班が腕を振るった、濃厚な魚介と野菜の煮込みスープが湯気を上げていた。
「さあさあ、乾杯ですわよ皆様! エール樽を開けなさいな!」
サキュバスの作業服から、艶やかなエプロン姿へと着替えたルシアが、両手に巨大な木樽を抱えて叫んだ。
「ドワーフ国王秘蔵の超熟成黒エール三千樽、王都名産ハニーワイン五千樽! すべて飲み放題、食べ放題ですわ! 魔王軍と人間連合の共同炊事班、腕によりをかけて焼き上げました!」
「「「うおおおおおおおおっ!! かんぱァァァァいッッッ!!!!」」」
10万人の職人たちと数十万の民衆が一斉にジョッキを天に突き上げ、大地を揺るがす乾杯の音が響き渡った。
ドワーフのバルガン親方が、魔王軍の筋骨隆々のオーク兵と肩を組んでエールを一気に呷り、プハッと泡を飛ばして豪快に大笑いする。
王国兵の若者たちが、サキュバスの給仕隊に囲まれて顔を真っ赤にしながら熱々の肉にかぶりついている。
エルフの楽士たちが奏でる軽快なハープと笛の音色に合わせ、人間と魔族の子供たちが手を取り合って芝生の上で踊り狂っていた。
かつて戦場で殺し合っていた者たちが、今は同じダンジョンを直し、同じ給与袋を手にして、笑顔で盃を交わし合っている。
この宴会の光景こそが、原状回復士たちが命懸けで取り戻した『平和の真の姿』であった。
そんな賑やかな喧騒から少し離れた、平原の小高い丘の上の木陰。
黄色いヘルメットを脱ぎ、作業服の襟元を少し緩めたアレク・ユグレットは、手入れの行き届いた折りたたみ椅子に腰掛け、静かに冷たい麦茶を啜っていた。
傍らには、丸くなって気持ちよさそうにスヤスヤと昼寝をしている水色スライムのポチ。
「ふう……。やはり、静かな場所で飲む茶が一番落ち着くな」
アレクが独り言を呟き、胸ポケットの懐中時計を確認する。
針は、14時15分。
定時退社時刻の17時00分まで、まだ2時間45分もある。
本日の残る業務は、現場の後片付けの最終巡回と、日報の記入のみであった。
青空を渡るそよ風が、作業服の裾を心地よく揺らし、草の香りが鼻腔をくすぐる。
だが――平穏な休息を愛する青年に、最大の『試練』が音もなく迫っていた。
「アレク主任〜〜〜〜っ!!」
パタパタと軽快な足音とともに、木陰へ駆け寄ってきたのは――シエルであった。
いつもの白衣を脱ぎ、フリルのついた清楚なエプロンドレスに身を包んだシエルは、湯気の立つ銀のティーポットと、可憐な磁器のカップをトレイに乗せていた。
白磁のカップからは、柑橘と花のような気品ある香気がふわりと漂っている。
「アレク主任、本当にお疲れ様でした! 主任のために、地上本部から最高級の『神聖ダージリン・ファーストフラッシュ』を取り寄せて淹れましたの! 脳疲労の回復に最適な、テアニンとブドウ糖を黄金比で配合してありますわ! どうぞ、お召し上がりください!」
シエルは頬を桜色に染め、上目遣いでカップを差し出した。
メガネの奥の瞳には、尊敬と、それを遥かに超えた熱い乙女の慕情が宿っている。
「うむ、ありがとうシエル。適度なカフェインと糖分補給は、作業後の集中力回復に工学的にも適……」
「ちょっとお待ちあそばせ、シエルさん!!」
アレクがカップを受け取ろうとした瞬間、つむじ風のように割って入ってきたのは――ルシアであった。
サキュバスの角を誇らしげに揺らし、フリルたっぷりのメイド風エプロン姿のルシアが、銀のトレイをガチャンとアレクの目の前に突き出した。
トレイの上には、黄金色のタルト生地に、艶やかなイチジクと魔界特産のベリーが山盛りに飾られた、極上の焼きたて菓子が乗っていた。
「アレク様! お茶だけなんて味気ないですわ! こちら、ルシア特製の『完熟イチジクと魔導生クリームの焼きたてタルト』でございますわよ! 地下100階の過酷な熱気で消費されたカロリーを一瞬で補給できるよう、魔王軍秘伝の強壮ハチミツをたっぷり染み込ませてありますの! さあさあ、あ〜ん、してくださいまし!」
ルシアがフォークに刺したタルトの小片を、アレクの口元へと迫らせる。
「な、なんですのルシアさん! 私がお茶をお出ししているところへ割り込むなんて、無作法ですわ!」
シエルが眉を釣り上げて抗議する。
「あら、無作法だなんて人聞きが悪いですわね! 紅茶には極上のスイーツが付き物でしょう? それに、アレク様の健康管理は、施設営繕課長たるわたくしの重大な責務ですのよ!」
ルシアが胸を張り、柔らかな体温をアレクの右腕にピタリと押し当てた。
「ひ、卑怯ですわ! サキュバスの魅了特性を業務外で悪用するなんて反則です! アレク主任、私の紅茶の香りを嗅いでください! リラックス効果抜群ですわ!」
シエルも負けじと、アレクの左腕に抱きつき、カップを顔へと近づける。
「ちょ、ちょっと待て、二人とも……」
左右から押し寄せる極上の甘い香りと、柔らかな体温。
10000万トンの始祖コアの傾斜を前にしても眉ひとつ動かさなかったアレク・ユグレットが、生まれて初めて動揺して顔を引き攣らせた。
「パーソナルスペースの侵害だ! 労働安全衛生基準第42条に基づき、他者との離隔距離は最低1メートルを確保せよ!」
「「今は勤務時間外(休憩中)ですわ(ですの)っ!!」」
二人の美少女の完璧なハモリが、アレクの理屈をあっさりと粉砕した。
「がっはっはっは!! 見ろよあのバカ弟子、神話の岩盤よりも硬え顔してやがるぜ!」
木陰の茂みの陰から、エールのジョッキを手にした師匠ガントが、煙管を咥えてゲラゲラと笑っていた。
隣には、丸焼き竜肉の骨付き肉にかぶりつくバルガン親方と、給与袋を肌身離さず抱きしめたエドワードが並んでいる。
「いやあ、モテる男は辛えな! 秀才メガネ美少女と、小悪魔サキュバス令嬢か! おいアレク、男なら両方かっ喰らっちまえ!」
エドワードが囃し立てる。
「黙れ、エドワード。冷やかしは現場規律違反だ。職長の威厳を保て」
アレクが睨みつけるが、両腕をガッチリとロックされた状態では何の説得力もなかった。
「さあ、アレク主任! 紅茶を!」
「アレク様! タルトを!」
「ピキュウ〜?」
目を覚ましたポチまでが、甘い匂いにつられてアレクの頭の上に飛び乗ってきた。
周囲の職人たちからも「ヒューヒュー!」と指笛が鳴り響き、大宴会は更なる笑いと歓声に包まれていく。
世界の心臓を修繕した希代の原状回復士を襲う、史上最大の甘い追撃。
大平原の陽光の下で、平和で、賑やかで、そしてどこまでも温かいラブコメディの時間が、ゆるやかに流れていくのであった。




