第014話:黄色い養生テープの怪奇
翌朝。
嘆きの地下迷宮、第3層。古の王の間の入口に、黄色と黒の縞模様のテープが、きっちりと張り渡されていた。
アレクが、数日前に自分で貼ったものだ。
補修を終えた直後は、まだ石の養生が完全に乾いていない。人が立ち入ると、継ぎ目が歪む。だから、強度が出るまでの間は、現場に立入禁止の線を引いておく。それは、アレクの現場では、当たり前のことだった。
彼はテープの端を指でつまみ、貼り具合を確かめた。
「糊は、まだ生きてるな。剥がれてない」
「主任、これ、もう剥がしても、よろしいのでは?」
シエルが、手元の点検表を見ながら尋ねた。ヘルメットの顎ひもを締め直し、ピンクのツナギの袖を、きちんと折り返している。肩の上のポチが、テープの端に興味津々で、ぷるぷると触手を伸ばしていた。
「石の硬化には、4日かかる。今日で、ちょうど4日目だ。念のため、強度を叩いて確かめてから、剥がす」
「承知しました」
アレクは、腰から、小さな木槌を抜いた。
柱の根元をコンコンと軽く叩く。澄んだ高い音が、ホールに響いた。続いて、床の継ぎ目。壁の下端。
「……よし。完全に固まってる」
「では、剥がしますね」
シエルが、テープに手を伸ばそうとした、その時だった。
ポチが、ぴたりと動きを止めた。
頭のカップが、ぷるぷると小刻みに震える。体を平たく伸ばし、通路の方へ向き直った。
「どうした、ポチ」
「ぷる、ぷるる」
アレクは、耳を澄ました。
遠くから、重い足音が近づいてくる。
どすん、どすん、どすん。
地面が、ごく僅かに揺れた。壁の燭台の炎が、ゆらりと傾く。
シエルが、顔をこわばらせた。
「主任。大きな魔物が、近づいてきています」
「ああ。足音の間隔から見て、二足歩行。体重は、およそ800キロ」
「八百」
「ミノタウロスだな」
淡々と告げて、アレクは、木槌を腰に戻した。
通路の暗がりから、巨大な影が、のっそりと姿を現した。
身の丈は、3メートル近い。盛り上がった筋肉。灰褐色の毛皮に覆われた体。頭には、鋭く曲がった2本の角。鼻先から白い息が吹き出し、赤い目が、ぎらぎらと光っている。右手には、人の胴体ほどもある、巨大な石の戦斧。
ミノタウロスだった。
迷宮の中層に棲む、凶暴な魔物。普段は第5層以降にしか現れないが、勇者の爆発の振動で、巣が荒らされて、ここまで彷徨い出てきたのかもしれない。
「グルルルル……」
低い唸り声が、ホールに響いた。
赤い目が、アレクたちを捉える。
ミノタウロスは、斧を持ち上げた。
シエルが、杖を構えた。
「主任、下がってください! 私が、風で——」
「待て」
アレクは、シエルの杖に、そっと手を置いた。
「さっきの話、覚えてるか」
「はい?」
「テープだ」
「テープ……?」
アレクは、顎で、ホールの入口を示した。
そこには、黄色と黒の縞模様のテープが、きっちりと張られている。ミノタウロスは、ちょうど、そのテープの手前で足を止めようとしているところだった。
「グルルル……」
巨大な斧が、振り上げられたまま、止まった。
ミノタウロスの赤い目が、足元の、細いテープに向けられる。
ぴたり、と動かなくなった。
「……え」
シエルが、目を瞬いた。
ミノタウロスの巨体が、ぶるぶると震え始めた。
斧を握る手が、がくがくと揺れる。鼻から吹き出す息が、みるみる乱れていった。額に、大粒の汗が浮かぶ。
「グ、グルル……ググ……」
そして。
ガシャン。
巨大な戦斧が、床に落ちた。
続いて、どすん、と巨体が膝をついた。
ミノタウロスは、両手を床につき、額を石畳に押しつけた。
完璧な、土下座だった。
「…………」
アレクも、シエルも、ポチも、無言で、その光景を見つめた。
ミノタウロスは、床に額をつけたまま、ぶるぶると震えている。
「グ、ググ……グモォォ……」
低い、情けない鳴き声が、石の壁に反響した。
シエルが、おそるおそる、口を開いた。
「あの、主任。これは、一体……」
「俺にも、分からん」
「分からない、のですか!?」
「毎回、こうなる」
アレクは、肩をすくめた。
「立入禁止のテープを貼った場所には、魔物が入ってこない。前から、そうだった」
「そ、そんなことが……」
「理由は、知らない。ただ、現場の経験則として、使ってる」
シエルは、テープに視線を落とした。
黄色と黒の、斜めの縞模様。
彼女の目が、ふと、細くなった。
シエルは、しゃがみ込んで、テープに顔を近づけた。
ポチも、彼女の肩から降りて、一緒に覗き込んでいる。
「主任」
「何だ」
「この模様、少し、見てもよろしいですか」
「ああ」
彼女は、ポーチから、小さな拡大鏡を取り出した。
エルフの学者が使う、古代文字の解読用の道具だ。レンズ越しに、テープの縞模様を、じっと観察する。
数秒。
10秒。
彼女の指が、小刻みに震え始めた。
「……これは」
「どうした」
「これは、縞模様では、ありません」
「縞だろ」
「違います」
シエルは、顔を上げた。
碧い瞳が、驚愕で大きく見開かれている。
「この斜めの線の並び、間隔、角度。古代エルフ語の、最高位神聖文字と、完全に一致しています」
「……最高位、神聖文字?」
「はい。意味は」
彼女は、息を吸って、ゆっくりと言った。
「『神聖不可侵。絶対死の領域』」
沈黙が、落ちた。
ミノタウロスが、床に額をつけたまま、ぶるぶると震え続けている。
「…………」
「…………」
「…………まさか」
アレクは、テープを、じっと見つめた。
「ただの、工事用のテープだぞ」
「で、ですが! これは、古代エルフの大結界に使われた、封印の紋章と、一致しています! 教科書でしか見たことがない、禁忌の文字です!」
「どこで買ったんだったかな、これ」
「覚えてないのですか!?」
「師匠が、昔から使ってた。ずっと、同じメーカーの」
アレクは、頭を掻いた。
「現場の資材屋で、一巻き80ゴールド」
「80ゴールドで、古代の最高位結界を!?」
シエルの声が、裏返った。
「しかも、それを、ミノタウロスが、読めるというのですか!」
「読めるのか、読めないのかは知らない。ただ、こうなる」
アレクは、土下座を続けるミノタウロスを、指さした。
「ぶるぶるしてる」
「……ええと」
シエルは、額を押さえた。
「ええと、ええと……つまり、この黄色いテープには、魔物が本能的に恐れる、古代の神聖な力が、宿っている、と」
「そういうことだな」
「なぜ、そんな、重要なことを、今まで、報告してくださらなかったのですか!」
「報告するほどのことじゃなかった」
「10分、報告事項です!」
アレクは、小さく息を吐いた。
「便利だとは思ってたが」
「便利で済ませないでください!」
ポチが、二人の間で、ぷるぷると右往左往した。
ミノタウロスは、まだ、床に額をつけている。
そろそろ、可哀想になってきた。
アレクは、テープをまたいで、その巨体に近づいた。
「おい」
「グ、グモ……」
「顔、上げろ」
ミノタウロスが、恐る恐る、頭を持ち上げた。
赤い目が、涙で潤んでいる。
「迷子か」
「グモォ」
「第5層まで、道は分かるか」
「グ、グモ……」
ミノタウロスが、首を横に振った。
「分からないのか。仕方ない」
アレクは、腰から、魔法メジャーを引き抜いた。
壁に沿って、メジャーの先端を、ぴしりと走らせる。メジャーが、ひとすじの光の線になって、通路の奥へ伸びていった。
「この線を辿れ。五層の入口まで続いてる」
「グモ!?」
「それと、今後は、黄色いテープの場所には近づくな。わざわざ、怖い思いをしたくないだろ」
「グ、グモォ!」
ミノタウロスは、がばっと頭を下げた。
斧を拾い、立ち上がり、何度も何度も、アレクに向かって頭を下げながら、メジャーの光の線を辿って、通路の奥へ去っていった。
どすん、どすん、という足音が、遠ざかっていく。
静寂が戻った。
シエルは、呆然と、その背中を見送っていた。
「…………主任」
「何だ」
「あの、さっきの、道案内は」
「迷子は、現場の迷惑だ。早く帰ってもらうのが、一番早い」
「優しいのですね」
「効率だ」
「……はい」
シエルは、くすりと笑った。
それから、手元の点検表に、さらさらと何かを書き込んだ。
「あの、一応、記録しておきます。『黄色い養生テープの、古代神聖文字との一致の件。要調査』」
「好きにしろ」
「ええ、好きにします。これは、大発見ですから」
彼女の声は、少し、弾んでいた。
アレクは、黄色いテープの端を、ぴんと指で弾いた。
ぱん、と小さな音が鳴った。
「……師匠は、これ、知ってたのかな」
小さな呟きだった。
誰にも聞こえない、独り言のつもりだった。
しかし、シエルの長い耳が、その声を、拾った。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、点検表の端に、小さく、もうひとつ、メモを足した。
『要確認 ガント氏の経歴』




