第013話:完全論破と約款の重み
羊皮紙が、ホールの光の下で、ひらりと揺れた。
紙の端には、薄く茶色い染みが広がっている。何年も、金庫の奥で眠っていた書類の色だった。中央には、整った活字の条文が、ぎっしりと並んでいる。そして、その最下段に、勇者エドワード自身の、大きく見栄えのする署名があった。
流れるような、自己主張の強い筆跡。
エドワードは、その紙を、凝視した。
「……そんなものが、何だと」
「読め」
アレクは、淡々と促した。
「第12条。声に出して」
「な、何故、オレが」
「読めないのか」
「読めるに決まっているだろう!」
エドワードは、ひったくるように羊皮紙を受け取った。
眉間にしわを寄せ、目を細めて、条文を辿る。唇が、ゆっくり、ぶつぶつと動いた。
「だ、第12条……共用設備の損壊について……」
声が、ホールに響いた。
「『冒険者が、故意または重大な過失により、迷宮その他ギルド連盟の共用設備を損壊した場合、その復旧に要する費用は、全額を当該冒険者が実費で弁済するものとする』……」
読み終えた瞬間、エドワードの声が、尻すぼみに消えた。
沈黙。
野次馬の中から、誰かが、ぼそりと呟いた。
「……書いてあるな」
「しっかり、書いてある」
「しかも、本人の署名つき」
エドワードの耳が、みるみる赤くなっていく。
「こ、こんな条文、読んだ覚えが」
「署名したんだろ」
「登録のときに、受付の者が、署名だけすればいいと言ったのだ!」
「署名は、内容に同意した証だ。読まなかったのは、お前の責任だ」
「く……っ」
エドワードは、羊皮紙を握りしめた。紙が、くしゃりと音を立てる。
アレクは、小さくため息をついて、手を差し出した。
「破るなよ。原本だ。写しは三部あるが」
エドワードは、悔しげに唇を噛みながら、羊皮紙を投げ返した。
アレクは、それを丁寧に受け取って、バインダーに挟み直した。
「それに、故意または重大な過失、という点だが」
アレクは、バインダーから、別の紙束を取り出した。
今度は、新しい、白い紙だった。何枚かには、細かい図表と、曲線のグラフが印刷されている。
「これは、現場の調査記録だ」
「調査、記録……?」
「爆発の痕跡から、使われた魔法の出力と、着弾点を割り出した」
アレクは、一枚目を、エドワードの目の前に差し出した。
紙の上には、王の間の平面図が描かれていた。12本の柱が、丸い印で並んでいる。そのうち9本には、赤い星印がついていた。
「着弾点は、ここと、ここと、ここ。すべて、柱の根元だ」
「そ、それは」
「ボスの骸骨騎士は、広間の中央にいた。柱の根元じゃない。つまり、お前の魔法は、ボスを狙っていなかった」
「ち、違う! ボスを倒すために、周囲の柱ごと」
「必要なかった」
アレクは、きっぱりと言った。
「骸骨騎士の耐久値は、ギルドの魔物図鑑に載っている。討伐推奨の魔法出力は、三千。お前の爆裂魔法の、実際の出力は」
彼は、二枚目の紙を示した。
曲線のグラフが、山のように高く盛り上がっている。山の頂上に、赤いペンで、大きく数字が書き込まれていた。
「一万一千」
ホールが、ざわめいた。
「三千のところを、一万一千?」
「三倍以上じゃないか」
「過剰にも、程があるだろう」
野次馬の声が、さざ波のように広がる。
エドワードの顔が、紙のように白くなっていく。
「そ、それは、念のためだ! 万が一にも、失敗しないように」
「ボスは、一撃で倒れた」
「…………」
「つまり、三千で足りた。残りの八千は、何のために使った?」
「…………」
「柱の根元を、狙うためだ」
アレクは、バインダーを閉じた。
「なぜ、柱を狙った? 答えは、お前自身が、一番知ってる」
エドワードの喉が、ごくりと鳴った。
アレクの声は、静かだった。怒りも、嘲りも、含まれていない。ただ、淡々と、事実を並べていく。
「派手に崩れた方が、見栄えがいいからだ。取り巻きの前で、凱旋する演出として」
「ち、違う……!」
「だが、現場の石の飛び方を見れば、分かる。ボスの死亡後に、追加で撃ってる。三発。全部、柱だ」
ホールが、しんと静まった。
誰もが、息を詰めて、勇者の顔を見つめていた。
エドワードの唇が、小さく震えている。
反論しようとして、口が開き、また閉じる。まるで、水から出された魚のようだった。
「…………それは」
「魔王を倒すためじゃない」
「…………」
「自分が気持ちよくなるために、国定重要文化財を、ぶっ壊した。それが、故意に準ずる、重大な過失だ」
アレクの声が、ホールの空気を静かに切り裂いた。
バインダーが、ぱたん、と閉じられた。
「過失割合は、十対ゼロ。免責事由は、なし」
「……」
「以上だ」
長い、長い沈黙が落ちた。
誰かの靴が、床の上で、きゅっと鳴る音がやけに大きく聞こえた。
エドワードは、立ち尽くしていた。
肩が、がくりと落ちている。握りしめていた拳が、力なく開いた。金色の鎧が、急に、くすんで見えた。
野次馬の中から、小さな拍手が、ぱち、と一つ鳴った。
続いて、また一つ。
ぱち、ぱち、ぱち。
それは、波のように広がり、やがて、ホール全体を包む拍手になった。
「いいぞ!」
「よく言った!」
「あの勇者、前から、壊しすぎだと思ってたんだ!」
歓声が、上がった。
エドワードの顔が、羞恥で歪んだ。
エレノアが、満足げに、煙管をくるりと回した。
「素晴らしいわ、アレクちゃん。完璧な論証ね」
「当然のことを、言っただけです」
「ええ。当然のことを、きちんと、数字で」
シエルが、感動したように、小さく拳を握った。
「主任……格好いいです……」
「何か言ったか」
「い、いえ! あの、管理局として、調査記録の正当性は、私が保証いたします! 確認印も、ここに!」
「ああ、頼む」
シエルは、胸を張って、バインダーの最終頁に、確認印を押した。
ぱん、と小気味よい音が響く。
ポチが、ぷるぷると誇らしげに跳ねた。
エドワードは、まだ、立っていた。
俯いたまま、動かない。
やがて、低く、かすれた声が、床に落ちた。
「……オレは」
「…………」
「オレは、勇者だ」
声が、震えている。
「世界を救うんだ。魔王を倒して、人々を、守るんだ」
「ああ。そうだな」
アレクは、静かに頷いた。
「それは、立派なことだ。魔王が倒れれば、多くの人が救われる」
「…………」
「だが、倒すことと、壊すことは、違う」
彼は、バインダーを胸に抱えた。
「壊すのは、サルでもできる」
ホールが、再び、しん、と静まった。
「直すのが、人間の文化だ」
エドワードの肩が、びくりと跳ねた。
顔を上げる。
目が、アレクと合った。
勇者の瞳に、怒りの色は、もうなかった。代わりに、混乱と、悔しさと、ほんのわずかな、戸惑いが揺れていた。
「……清掃員」
「原状回復士だ」
「……覚えておけ」
エドワードは、聖剣の鞘を、ぎゅっと握りしめた。
「オレは、必ず、挽回する。この借りは、必ず」
「借りじゃない。支払いだ」
「…………!」
エドワードは、顔を真っ赤にして、くるりと背を向けた。
金色のマントが、ひるがえる。
彼は、大股で、ホールの出口へ向かった。取り巻きの魔法使いたちが、慌てて後を追う。野次馬が、道を開ける。静かに、しかし、はっきりと、冷ややかな視線が、その背中に注がれていた。
扉が、荒々しく開かれ、閉じられた。
ガタン、と音が響き、ホールに、再び静寂が戻った。
エレノアが、くすくすと笑いながら、アレクの肩に、ぽんと手を置いた。
「見事だったわ」
「…………」
「でも、あの坊やは、まだ諦めないでしょうね」
「でしょうね」
「また、何か、やらかすかもしれない」
「そのときは、また、直します」
アレクは、肩をすくめた。
「定時までに」
エレノアは、声を上げて笑った。
ホールの隅で、受付嬢たちが、こっそりと手を取り合って喜んでいた。
ポチが、シエルの肩の上で、嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねた。
夕方の光が、ホールの高窓から、斜めに差し込んでいる。
磨かれた大理石の床に、金色の長い影が、いくつも伸びていた。




