第012話:勇者エドワードの怒鳴り込み
ギルド連盟本部の一階ホールは、荒れていた。
昇降機の扉が開いた瞬間、アレクの耳に、割れ鐘のような怒声が飛び込んできた。
「出てこい! オレの金を盗んだ泥棒は、どこだ!」
吹き抜けの高い天井に、声が反響する。
ホールの中央に、金色の鎧の男が仁王立ちになっていた。勇者エドワード。白いマントは土埃に汚れ、髪は乱れ、目は血走っている。腰の聖剣の柄に手をかけたまま、周囲の職員や冒険者を睨み回していた。
遠巻きに集まった野次馬が、ざわざわと壁際に退いている。受付カウンターの向こうでは、若い職員たちが青い顔で縮こまっていた。
「あらあら、元気ね」
エレノアは、昇降機から降りて、ホールを見渡した。
紅いルージュの唇が、くすりと笑う。その後ろに、アレクとシエル、そしてポチが続いた。
エドワードの視線が、動いた。
エレノアを捉える。続いて、その後ろの、ツナギ姿の男に。
「…………貴様」
低い唸り声だった。
「そこにいたのか、清掃員」
「原状回復士だ」
「どちらでも同じだ!」
エドワードは、一歩、前に出た。
石の床を、鉄の靴が打つ。がつん、と鈍い音が響いた。
「オレの口座から、500万ゴールドを抜き取ったのは、貴様だな!」
「正式には、ギルドの規約に基づいて徴収した」
「ふざけるな! オレは勇者だぞ! 世界を救う使命を負った、選ばれし者だ! それを、たかが清掃員の分際で、金を取るだと!」
「取るんじゃない。払ってもらった」
「同じことだ!」
エドワードの拳が、ぶるぶると震えている。
ホールの空気が、ぴんと張りつめた。誰もが、息を詰めている。野次馬の中から、小さな囁きが聞こえた。
「あの勇者、本気でキレてるぞ」
「剣を抜いたら、どうなる」
「ギルド内での抜剣は、規約違反だ」
「でも、あの人、止まらなそうだ……」
シエルが、アレクの袖を、そっと引いた。
「主任、危険です。下がって」
「大丈夫だ」
「でも」
「あいつは、抜かない」
アレクは、淡々と答えた。
ポチが、シエルの肩の上で、ぷるぷると小刻みに震えていた。
エドワードが、受付カウンターに拳を叩きつけた。
ばきっ、と乾いた音がして、分厚い樫の天板に、蜘蛛の巣のようなひびが走る。カウンターの上のインク壺が跳ねて倒れ、黒い染みが書類の束にじわじわと広がっていった。天井から下がる水晶のシャンデリアが、ちりちりと細かく鳴る。ホールに満ちていた紅茶と羊皮紙の匂いに、鉄の匂いと、酒場帰りの汗の酸っぱい匂いが混じった。
「聞こえんのか! オレの金を返せと言っている!」
カウンターの内側で、若い職員が悲鳴を飲み込んだ。
シエルが、アレクの耳元に顔を寄せて、小声で囁く。
「主任、衛兵を呼ぶべきです。あの方、本当に何をするか」
「呼べば、あいつは抜く。抜いたら、資格停止だ」
「それが、規約上は正しい対応では」
「正しいが、手間が増える。調書、始末書、事情聴取。全部、定時を食う」
「理由が、そこですか!」
「半分は」
「もう半分は?」
「見ていれば分かる」
アレクの視線の先で、エレノアが、ほんの一瞬だけ、こちらに目配せをした。
紅い唇の端が、小さく持ち上がる。全部分かっている、という顔だった。
ポチが、シエルの肩から、そろそろと頭を引っ込めた。
エドワードの取り巻きの魔法使いたちが、後ろから小声で諫めている。
「エドワード様、ここは一度、お引きになった方が」
「黙れ! お前たちも、あの男に何か言ってやれ!」
魔法使いたちは、顔を見合わせて、そっと半歩ずつ後ろへ下がった。昨夜の酒場の勘定を、アレクのせいにして騒ぎ立てたことを、思い出したのかもしれない。誰も、前に出なかった。
エレノアが、優雅に前へ出た。
「エドワード。ずいぶんと、賑やかな登場ね」
「エレノア殿! あなたなら、分かってくれるはずだ!」
エドワードは、芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「オレは、魔王を倒すために、日夜、命を懸けて戦っている! その功績を、ギルドは、金で評価すべきだ! それが、報奨金が奪われるとは、何事だ! あの無礼な清掃員を、今すぐ、解雇してもらいたい!」
「解雇」
「そうだ!」
「ふうん」
エレノアは、煙管の吸い口を唇に当てて、ゆっくりと煙を吐いた。
紫煙が、白い天井に向かって、細く立ちのぼっていく。
「エドワード。ひとつ、質問してもいいかしら」
「な、何だ」
「あなたの口座から引き落とされた、500万ゴールド。その使い道を、ご存じ?」
「知るか! どうせ、そいつの懐に入ったのだろう!」
「違うわ」
エレノアは、にっこりと微笑んだ。
そして、片手を、ひょいと挙げた。
後ろに控えていた職員が、すかさず、大判の書類を差し出した。
エレノアは、それを、エドワードの鼻先に、ばさりと突きつけた。
「あなたよ、エドワード」
「……は?」
「嘆きの地下迷宮、第3層、古の王の間。国定重要文化財、登録番号第01号。柱の全損、天井アーチの崩落、壁画の粉砕。それを引き起こしたのは、あなたの爆裂魔法」
「そ、それは、ボスを倒すために」
「過失割合、十対ゼロ」
エレノアの声が、冷たく響いた。
「規約違反による、迷宮全損事故。あなたの責任」
ホールが、しんと静まった。
エドワードの顔が、真っ赤に染まった。
「な、何を言っている! あれは、魔王討伐のための、正当な破壊だ!」
「正当、ですって?」
「そうだ! 魔王を倒すためなら、多少の犠牲は、仕方がない! 迷宮の壁の一つや二つ、壊したところで、世界が救われるなら、安いものだろう!」
「あの迷宮に、魔王は、いたかしら」
「…………」
「あなたが倒したのは、骸骨の騎士。ただの、中ボスよ」
エドワードの口が、ぱくぱくと動いた。
しかし、言葉が出てこない。
周囲の野次馬の中から、小さな笑い声が漏れた。
「確かに、骸骨だったな」
「魔王じゃねえよな」
「世界を救うって、骸骨でか?」
その囁きが、エドワードの耳に届いたらしい。彼の首筋が、さらに赤く染まった。
「き、貴様ら……!」
聖剣の柄を握る手に、力がこもった。
ホールの空気が、一気に張りつめる。
野次馬が、悲鳴を上げて後ずさった。
エドワードの瞳が、怒りで煮えたぎっている。肩が上下し、荒い息が漏れた。
「オレは……オレは、勇者だ……! オレの功績を、誰も、認めようとしない……!」
聖剣が、鞘から、ほんの数センチ、抜けた。
鋼の刃が、ホールの光を受けて、ぎらりと光る。
エレノアの目が、冷ややかに細まった。
「エドワード」
低い、静かな声だった。
「ギルド連盟本部の内部で、抜剣をした場合、規約第7条により、冒険者資格は即時停止。さらに、治安維持法違反で、王都の衛兵が呼ばれるわ」
「…………」
「その覚悟は、あって?」
エドワードの手が、ぴたりと止まった。
聖剣が、数センチだけ抜かれたまま、微動だにしない。
額に、汗が浮かんでいる。
張りつめた沈黙が、数秒、続いた。
誰かが、唾を飲む音が聞こえた。
「……っ」
エドワードは、歯を食いしばった。
そして、ゆっくり、ゆっくりと、剣を鞘に戻した。
カチン、と、鍔が鳴った。
野次馬から、小さく、安堵の息が漏れた。
エドワードは、顔を上げた。
その視線が、まっすぐに、アレクを射抜いた。
「清掃員」
「…………」
「貴様に、決闘を申し込む」
「断る」
「なっ」
「俺は、戦闘職じゃない。それに、決闘は、器物破損の損害賠償と関係ない」
「逃げる気か!」
「逃げてない。論点が違う」
アレクは、背負っていたバインダーを、ゆっくりと手に取った。
「損害賠償の根拠を、説明しようか」
「何だと」
「聞きたかったんだろ。何で、金を取られたのか」
エドワードは、虚を突かれたように、目を瞬いた。
エレノアが、横で、愉しそうに口の端を持ち上げた。
「いい機会ね。皆さんの前で、はっきりさせましょう」
彼女は、ひらりと手を振った。
「アレクちゃん、お願い」
「ああ」
アレクは、バインダーの留め金を外した。
ホールの全員の視線が、彼に集まった。
シエルが、息を呑んで、見守っている。
ポチが、肩の上で、そっと、ヘルメットのカップを押さえた。
「勇者エドワード」
アレクは、バインダーから、一枚の紙を取り出した。
薄く黄ばんだ、古い羊皮紙だった。
「これが、何か、分かるか」
「……何だ、それは」
「ギルド加盟規約誓約書の、原本だ」
エドワードの顔から、すうっと血の気が引いた。
「お前が、冒険者登録をした日に、自分の手で署名した書類だ」




