第139話:完了検査報告書四千二百項目の全数合格
工期33日目、午後17時00分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』の直下。
鏡のように磨き上げられた床スラブの上で、世界を揺るがす前代未聞の『完了検査受入式典』が執り行われていた。
「これより、発注者連合(人間連合・魔王軍・ドワーフ王国)立ち会いのもと、始祖ダンジョン全域原状回復工事の『完了検査報告』を行う」
黄色いヘルメットの現場最高責任者――アレク・ユグレットが、厚さ10センチに及ぶ金文字装丁のバインダーを開いた。
その前には、床にペタンと座り込んだまま未だ腰が抜けている人間連合総宰相アルベルト、腕組みをしながら圧倒されている魔王軍四天王筆頭ゴルディオス、そして髭を整え直したドワーフ国王ガンドルフが並んでいた。
三首脳を取り囲むのは、扇子を手にしたエレノア、胸を張るエドワード、シエル、ルシア、ガント、そして整然と直立する10万人の職人たちである。
「シエル検査技師、検査総括を読み上げろ」
「はい!」
シエルが青白いホログラムモニターを展開し、凛とした声で読み上げた。
「本工事における完了検査項目、全4200項目!
第1工区から第50工区までの幹線安全通路確保、全幅8メートル・段差ゼロミリ。
第51階層から第80階層までの魔力ヘドロ高圧吸引洗浄、残存率ゼロパーセント。
第85階層古代防災システム、デリュージ弁誤作動回路の正常バイパス復旧。
第90階層点検用アブソリュート・ゴーレム100台、全数ベアリング注油および定期車検完了。
第98階層高圧魔力蒸気噴出孔、耐熱グラウト材による完全止水。
そして――最深部・地下100階『始祖コア』基底部姿勢復元工事、垂直度公差実測値0.032ミリ! 外殻結晶クラック1842本、超音波探傷試験欠陥ゼロ! 新設ミスリルアンカーボルト8本、ケミカル定着引張耐力各2000万トン確保! 全数除圧沈下量――ゼロミクロン!!」
シエルがバインダーを閉じ、高らかに宣言した。
「全4200項目において、施工不良、寸法公差超過、ならびに残存瑕疵――すべてゼロ! 総合判定――『完全適合(全数合格)』ですわ!!」
「「「おおおおおおおおっ……!!」」」
10万人の職人たちの胸から、誇りに満ちた吐息が漏れた。
「す……素晴らしい……!」
宰相アルベルトが、震える両手で顔を覆い、感涙にむせび泣いた。
「4200項目、すべて合格だと……!? 世界の心臓が……世界の心臓が本当に、1000年前の神話の時代そのままに蘇ったのだ……! 崩壊の危機は去った! 世界は救われたのだ!!」
「うむ! 天晴れじゃ!」
ドワーフ国王ガンドルフが膝を叩いて立ち上がった。
「ドワーフの歴史上、これほどまでに完璧な大土木工事は見たことがない! アレク・ユグレット、お主こそ全大陸最高の技師じゃ!」
「我が好敵手よ、見事だ」
魔王軍四天王ゴルディオスも、分厚い魔導手甲を打ち鳴らして称賛した。
「魔王軍が何100年も恐れおののいたダンジョンの死を、貴様らは知恵と筋肉と道具でねじ伏せてみせた。……これで、世界滅亡の悪夢は完全に消え去ったのだな!」
三首脳が互いの手を取り合い、種族の壁を越えて抱き合って涙を流した。
世界中の人々が待ち望んでいた平和。
破滅からの解放。
人間と魔族とドワーフが手を取り合い、肩を震わせて歓喜の涙を流している。
感動的な大団円の空気が、大空洞を満たそうとしていた。
――だが。
「首脳の皆様、お喜びのところ大変恐縮ですが」
その感動の輪を、冷徹な事務的トーンの声がスパリと切り裂いた。
アレク・ユグレットであった。
「……ん? アレク殿? 何かな?」
アルベルト宰相が涙を拭いながら振り返る。
「感謝の言葉ならいくらでも言おう! そなたには人間連合最高の勲章と、王都の一等地にある大貴族の屋敷を……」
「そのようなものは不要です」
アレクは首を静かに横に振った。
そして、黒革バインダーの最深部から、一枚の『真紅の太枠で囲まれた書類』を、スッと引き抜いた。
その書類の表題には、血のように赤い極太文字で、こう記されていた。
『始祖ダンジョン全域原状回復工事――敷金精算通知書ならびに追加修繕費用確定請求書』
「な、なんじゃ……その赤い紙は……?」
ドワーフ国王が嫌な予感を察知し、ピクリと眉を跳ね上げた。
「完了検査が合格したということは、契約上、次の段階へ移行することを意味します」
アレクは眼鏡のブリッジを押し上げるシエルと、扇子で口元を隠してクスクスと笑うエレノアを一瞥した。
そして、冷徹な損害鑑定士の視線を、三首脳へと真っ直ぐに向けた。
「これより――事前預託敷金の確定精算、ならびに追加工事費用の請求手続きを開始する」
アレクの言葉に、首脳陣の背筋に冷たいものが走った。
「し、敷金の確定精算……? おい、アレク殿、何を言っているのだ?」
アルベルト宰相が愛想笑いを浮かべながら言った。
「敷金とは、工事が完了した暁には、手付金を除いて返還されるのが商取引の常識であろう? 我らは着工前に、人間連合、魔王軍、ドワーフ王国で国庫の底を叩いて、合計『100兆ゴールド』もの莫大な敷金を納めたのだぞ! 当然、無事に工事が終わったのだから、全額……いや、大半は返還されるはず……」
「返還?」
アレクの瞳が、侮蔑すら含まない純粋な「事務的絶対零度」の光を放った。
「何を仰っているのですか。賃貸借契約および工事請負契約における敷金とは、『入居者および管理責任者の故意・過失による汚損・破損、ならびに契約違反に対する担保金』です」
アレクは赤い書類の第1条を指先で叩いた。
「1000年にわたる無計画なダンジョン放置、勇者パーティーによる度重なる破壊行為、ならびに定期保全点検義務の完全放棄――これらによって生じた損害額の査定が、完了いたしました」
アレクは息を吸い込み、地下100階の大空洞全体に響き渡る明瞭な声で、宣告を下した。
「契約書第8条第3項に基づき――事前預託敷金100兆ゴールドは、『全額没収(控除)』といたします」
「「「ぜ……全額没収ッッッ!?!?!?!?」」」
世界最高権力者3名の、魂の底からの絶叫が、大空洞の天井を激震させた。
「ば、馬鹿なッ! 100兆ゴールドだぞ!? 全大陸の国家予算3年分に匹敵する天文学的巨額だぞ!? 少しも戻らんのか!?」
アルベルト宰相が泡を吹いて胸倉を掴みかかろうとするが、エドワードのチタンラチェットがその間をピシリと遮った。
「触んじゃねえよ、宰相の旦那。アレクは契約書通りの話をしてんだ。暴れるなら、オレの時給1500ゴールドの腕力で摘まみ出すぞ」
エドワードが冷徹に睨みつける。
「だ、だが100兆ゴールド全額没収など……! ドワーフの国庫が空っぽになってしまうわい!」
ドワーフ国王が悲鳴を上げる。
「当然の帰結です」
アレクは眉ひとつ動かさず、赤い書類の次なるページをペラリと捲った。
「そして――首脳の皆様。100兆ゴールドの敷金没収は、あくまで『契約締結時の既知の損害』に対する補填に過ぎません」
「な……何だと……!?」
三首脳の顔から、完全に血の気が引いた。
アレクの口元に、冷徹にして完璧なビジネスマンの笑みが浮かんだ。
「これより――地下50階以降の未知の深部において新たに発見された損害に対する、『追加修繕費用確定請求書』の明細を読み上げます。耳をかっぽじって、よくお聞きください」
世界を破滅から救った原状回復士による、真の経済的制裁――理詰めと数字による追加請求の火蓋が、ついに切って落とされたのであった。




