第138話:全大陸首脳陣の地下100階視察
工期33日目、午後16時45分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』。
かつて死の間欠泉と崩壊の魔力嵐が吹き荒れていた直径3キロメートルの大空洞は、今や鏡のように磨き上げられた床スラブと、神聖サファイアブルーの光芒に満たされた、息を呑むほど厳かな神殿へと変貌を遂げていた。
ゴオオオオオオオオオッ……!!
大空洞の北壁に設置された超大型魔導リニアシャフトから、白銀の高速エレベーターが静かに滑り降りてきた。
地上から直通で降下してきたその特製ケージの扉が、プシューッという減圧音とともに左右に開く。
降り立ったのは、世界の命運を握る全大陸の最高権力者たちであった。
豪奢なビロードの正装に身を包んだ人間連合総宰相――アルベルト。
全身を重厚な漆黒の魔導鎧で固めた魔王軍四天王筆頭――剛拳のゴルディオス。
そして、白金色の冠を戴くドワーフ族の最高指導者――ガンドルフ国王。
彼ら三首脳を先導するのは、王都冒険者ギルド副ギルドマスターであり、全大陸の物資流通を牛耳る『銀光商会』会頭――エレノアであった。
「さあ、首脳の皆様。こちらが、我が原状回復士ギルドが総力を挙げて改修いたしました、始祖ダンジョン地下100階――世界の心臓『始祖コア』でございますわ」
エレノアが優雅に扇子を広げ、蠱惑的な微笑みを浮かべて一歩脇に下がった。
「ふ、ふん……! たかが一ヶ月足らずの突貫工事で何ができるというのだ」
宰相アルベルトが、鼻を鳴らしながら尊大に足を踏み出した。
「どうせ、壊れかけた水晶の周りに急ごしらえの添え木でも打ち付けて、見た目だけを取り繕ったに過ぎまい。もし少しでも不備があれば、事前に支払った敷金100兆ゴールドはびた一文たりとも返還……ひっ!?」
アルベルトの尊大な言葉が、喉の奥で引きちぎれた。
宰相だけではない。
歴戦の猛者である魔王軍四天王ゴルディオスも、何100年もの間あらゆる名工の技を見てきたドワーフ国王ガンドルフも、まるで雷に打たれたかのようにその場に硬直した。
「な……な、なんじゃ……これは……!?」
ドワーフ国王が王冠を落としそうになりながら、ガタガタと震える手で目を擦った。
「ば、馬鹿な……! あり得ん……! 我らの魔導レーダーでは、始祖コアは南西へ傾斜し、一万箇所もの亀裂からプラズマを撒き散らして自壊寸前だったはず……!」
四天王ゴルディオスの巨躯が、畏怖のあまり小刻みに震えていた。
彼らの視界を埋め尽くしていたのは、あまりにも神々しく、あまりにも圧倒的な『完全なる美』であった。
――全高500メートル。
総重量10000万トン。
見上げる世界の心臓は、寸分の狂いもなく完全な垂直姿勢で直立していた。
表面には、傷ひとつ、曇りひとつ存在しない。
磨き上げられた巨大なサファイアの球面鏡が、大空洞のすべてを澄み切った蒼穹の青へと染め上げ、ドクン、ドクンと規則正しい生命の鼓動を脈打っている。
さらに、彼らの足元に広がる直径3キロメートルの床は、チリひとつ、油一滴落ちておらず、天井の鍾乳石とサファイアの光をまるで静まり返った湖面のように完璧に反射していた。
「床に……床に我が姿が鏡のように映っておる……! 壁面の古代レリーフの埃まで一掃されておるではないか……!」
アルベルト宰相は膝から崩れ落ち、ペタンと鏡面の床に手をついた。
「1000年前の神話の記録ですら……これほどまでに美しく、完璧な姿の始祖コアなど描かれておらんぞ……! お前たち、一体どんな神話級の古代奇跡魔術を使ったのだ……!?」
「神話の奇跡など、一切使っておりません」
静かな、しかし凛とした声が響いた。
視察団の正面から歩み出てきたのは、黄色いヘルメットを被り、胸元の黒革バインダーを抱えた青年――アレク・ユグレットであった。
その背後には、二本線ヘルメットのエドワード、メガネを光らせるシエル、作業服のルシア、そして煙管を燻らす師匠ガントが従っていた。
さらにその後方には、整然と隊列を組み、胸を張って直立不動で並ぶ10万人の職人たちが控えていた。
「我々が行ったのは、奇跡ではありません」
アレクは首脳陣を見据え、淡々と告げた。
「物理工学に基づいた立体トラス足場の架設。
200メガパスカルの作動油を用いた16基同期油圧リフティング。
絶対零度吸熱ジェルによる局所急冷消火と、神聖ミスリルエポキシパテの高圧圧入。
そして、共振周波数28万4000ヘルツによるマイクロクラック削孔と、80トンアンカーボルトのケミカル定着。
――すべて、綿密な構造計算と、現場の職人たちの卓越した技術によって成し遂げられた『正規の原状回復工事』です」
「せ、正規の原状回復……!?」
ゴルディオスが呆然と呟いた。
「魔王軍が何100年も恐れおののき、神の領域と諦めていたダンジョンの心臓を……人間の手作業で直したというのか……!?」
「そうですわ、ゴルディオス閣下!」
ルシアが前に進み出て、胸を張った。
「魔王軍施設営繕課の誇りにかけて、配管系統の圧力損失ゼロ、バルブ開閉トルクもすべて規定値内に復元いたしました!」
「エドワード……お前、元勇者のお前が……なぜそのような作業服を着て、職人たちの先頭に立っておるのだ!?」
アルベルト宰相がエドワードを指差して叫んだ。
「へっ、見て分からねえのかよ、宰相の旦那」
エドワードは腰のチタンラチェットを抜き放ち、眩い銀色の光を反射させてニヤリと笑った。
「オレはもう、世界をぶっ壊すだけの『勇者』じゃねえ。壊された世界を元通りに直す――『足場架設総棟梁・時給1500ゴールドのエドワード』だ! オレたち10万人の職人を舐めるんじゃねえぞ!」
「と、総棟梁……!? あの我が儘で破壊の限りを尽くした勇者が……時給で働く職人の棟梁だと……!?」
アルベルトが腰を抜かしたまま泡を吹きかける。
かつて勇者パーティーの暴走を止められず、世界中から非難を浴びていた男が、今や10万人の職人たちの絶対的な信頼を集める大黒柱として、堂々と胸を張っているのだ。
「うむ。エドワードの言う通りじゃ」
ドワーフ国王ガンドルフが、髭を撫でながら感嘆のため息を漏らした。
「この美しさ、この剛性……どれほどの汗と血が流されたか、儂にはよう分かる。ドワーフの鍛冶師たちも、皆誇らしげな顔をしておるわい。……見事じゃ。非の打ち所が一切ない。1000年前の始祖ドワーフが作った時よりも遥かに頑丈に仕上がっておる! 世界最高の職人技じゃ!」
「ええ、本当に素晴らしい仕上がりでございますわね」
エレノアがふふっと優雅に微笑み、アレクの隣に立った。
「さあ、首脳の皆様。お口を開けて驚かれているところ恐縮ですが……お仕事のお時間でございますわ。アレク主任、あれをお出しして」
「承知いたしました」
アレク・ユグレットは頷き、黒革バインダーから厚さ10センチに及ぶ金文字の装丁書類を取り出した。
表題には、厳格なフォントでこう記されていた。
『始祖ダンジョン全域原状回復完了検査報告書――全四千二百項目総合判定書』
「これより、発注者立ち会いのもと、完了検査の受入確認を実施する」
アレクの冷徹な一言とともに、世界を揺るがす最終精算の舞台が、いよいよ整ったのであった。
10万人の職人たちの静かな視線が、床に座り込んだまま震える三首脳へと注がれていた。
世界を救った男たちの誇りが、大空洞を満たしていた。
それは、権力者たちの思惑を完全に凌駕する、労働と工学の崇高なる勝利の瞬間であった。




