第137話:足場解体と完璧なる五エス活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)
工期33日目、午後15時00分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』。
前々日に成し遂げられた「10000万トン完全自立除圧」の歴史的成功から2日。現場では、信じられないほどの猛スピードと整然たる規律のもとで、巨大な工事の幕引きが進められていた。
――カカカカカンッ! ガチンッ!!
――カカカカカンッ! ガチンッ!!
「下階への部材受け渡し、二点支持を徹底しろ! パイプを絶対に放り投げるな! 手渡しで1本ずつケージへ収めろ!」
高度100メートルの足場外周部で、二本線ヘルメットのエドワードがチタンラチェットを手に鋭い号令を下していた。
全高500メートル、外径600メートル。
総使用ミスリル単管パイプ18万4000本、クランプ金具52万6000組を誇った、人類史上最大の『超高層自立式立体トラス足場』の解体工事である。
通常、建設現場における足場解体は、架設時よりも重大な墜落・部材落下事故が多発する最も危険極まりない工程だ。工事が終わりかけて気が緩み、焦って部材を投げ落としたり、安全帯のフックを外してしまう者が後を絶たないからである。
だが、エドワード率いる8000名の鳶職人と100台の点検ゴーレム隊は、アレクの定めた『解体安全施工手順書』を寸分の狂いもなく遵守していた。
上層から下層へ、リングビームを解体しながら順次ステップダウンしていく逆再生の芸術。
親綱の二丁掛けフックは常に鉄骨を掴み、玉掛けワイヤーの点検は1本ごとに指さし呼称で行われた。
さらに、地下90階から直通の高速魔導リフトとホイストクレーンが、解体された部材を整然と地上へと運び出していく。
その徹底した安全管理により、わずか2日で500メートルの銀色の巨塔は完全に姿を消し、大空洞の中央には、誰の手も触れていないかのような清冽な神聖サファイアの巨体だけが、天空に向かって悠然と聳え立っていた。
「足場部材、全18万4000本の地上搬出完了! 員数確認、1本の欠品もなし! 解体工程における墜落災害ゼロ、部材落下ゼロ、完全無災害を達成しましたわ!」
シエルが青白いホログラムモニターを閉じ、満面の笑みで報告した。
「よくやった。だが、足場が消えただけでは工事は終わらない」
黄色いヘルメットのアレク・ユグレットは、作業手袋をはめ直し、大空洞の床面を見渡した。
「原状回復工事の最後の鉄則――『直した現場は、来た時よりも美しく』だ。工事によって生じた痕跡を完全に消し去り、発注者が一歩足を踏み入れた瞬間に息を呑む状態に仕上げてこそ、一流の原状回復士だ。これより、地下100階全域における『完璧なる5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』を開始する!」
「「「アイアイサーッ!!」」」
10万人の大軍勢が、今度は工具を『ホウキ』と『ウエス』と『ポリッシャー』へと持ち替えた。
直径3キロメートル、総床面積700万平方メートルに及ぶ大空洞の床スラブ。
そこには、一ヶ月に及ぶ大工事で生じた鉄粉、コンクリート破片、作動油の飛沫、そして無数の作業員の足跡が残されていた。
これらを、チリひとつ、油一滴残さず磨き上げるのだ。
現場を汚したまま引き渡すなど、原状回復士の矜持が絶対に許さない。
「ルシア課長、特殊床面洗浄部隊、スタンバイ!」
ルシアがサキュバスの清掃部隊を率いて前に出た。
「魔王軍特製・界面活性バイオ洗浄液『ピュア・クリスタル・フォーム』を満載した高圧散水車、前進ですわ!」
ブシュウウウウウウッ!!
床面に純白の濃密な泡が一斉に散布された。
頑固な作動油や焦げ付いたスラグが、魔導泡の力によって瞬時に分解され、浮き上がってくる。
「そして――ポチ、最大吸引モードだ!」
アレクが合図を送ると、水色のスライム・ポチが「ピキュウウウッ!」と気合の声を上げた。
ポチの身体が、大空洞の床一面を覆い尽くすほどの超巨大な半透明の吸着膜へと広がり、床スラブの上をズズズズ……と滑らかにスライドしていった。
ジュルルルルルッ……!
浮き上がった泥水、油泡、目に見えないミクロの金属粉末までもが、ポチの生体吸着膜の中に一分子残らず吸い込まれていく。
ポチが通過した後の床面は、濡れ色を帯びた後、瞬時に乾燥し――鏡面のようにピッカピカに光り輝いていた。
「す、すげぇ……床に、天井の鍾乳石と始祖コアの青い光が、まるで鏡みたいに映り込んでるぞ……!」
ドワーフのバルガン親方が、床に顔を近づけて目を丸くした。
「自分のヒゲの剃り残しまでバッチリ見えるじゃねえか! こんな綺麗な床、王宮の謁見の間だって見たことねえぞ!」
「整理・整頓も抜かりはないぞ!」
エドワードが率いる部隊が、使わなくなった足場パイプ、高圧ホース、木箱、工具類を、サイズごとに整然と並べ、ミリ単位で白線の枠内へと格納していく。
すべての機材には『点検済』の緑リボンが巻かれ、ボルトひとつ、ワッシャー1枚の脱落もない。
仮設の詰所も完全に解体され、ゴミひとつ落ちていない。
かつて薄暗く、ヘドロと魔力プラズマが吹き荒れ、崩壊寸前の瓦礫の山だった地下100階の最深部は――今や、神々の住まう神殿を遥かに凌駕する、息を呑むほど清潔で、壮麗な『白銀とサファイアの宮殿』へと完全に生まれ変わっていた。
大気中には、清涼なイオンの香りが満ち溢れている。
誰一人として不安全行動を取らず、全員が規定の保護具を着用し、整然と隊列を組んでいる。
人間も魔族もドワーフも、互いに「ご安全に!」と敬礼を交わし合う。
道具への愛着、作業場への敬意、そして仲間への信頼。
これぞまさに、5S活動の最高峰たる『躾』の完全なる結実であった。
「完了……ですわ……」
シエルが感極まった声で呟いた。
「床面反射率98.5パーセント。大気中浮遊粉塵濃度、クリーンルーム規格『クラス100』を達成。すべての仮設材が完全撤去され、始祖ダンジョン地下100階――1000年前の竣工図面を120パーセント上回る完璧な清浄空間となりました! 傷ひとつ、ゴミひとつ、油一滴残っていません! 全10万人の清掃規律、100点満点ですわ!」
「うむ。5S活動、完璧に完了だ」
アレク・ユグレットは満足そうに頷き、懐中時計を取り出した。
時刻は、16時40分。
「アレク主任! 地下99階の最終ゲートより連絡が入りました!」
通信兵が直立不動で叫んだ。
「地上より、超高速直通エレベーターが降下中とのことです! ご搭乗されているのは――人間連合総宰相閣下、魔王軍四天王筆頭ゴルディオス閣下、ならびにドワーフ国王陛下! 全大陸最高首脳陣による『地下100階・完了検査視察団』が、まもなく到着いたします!」
「来たか」
アレクは冷徹に目を光らせ、胸元の黒革バインダーから、金文字で装丁された分厚い書類を取り出した。
それは、4200項目に及ぶ完了検査報告書――そして、その奥に挟まれた、真紅の太枠で囲まれた『確定精算書』であった。
「エドワード、シエル、ルシア、ガント師匠」
アレクが振り返る。
「世界を救った職人たちに相応しい、胸を張った姿で迎えよう。――これより、本工事の最終関門、『全大陸完了検査』ならびに『敷金精算交渉』を開始する!」
「「「アイアイサーッ!!!!」」」
磨き上げられた鏡面の床の上に、整然と並ぶ10万人の職人たち。
いよいよ、世界を揺るがす原状回復士の痛快無比なグランドフィナーレが、その幕を開けようとしていた。




