第133話:破断アンカーの残骸と神話級岩盤の壁
工期29日目、午前8時00分。
地下100階、直径3キロメートルの超巨大空洞。
世界の心臓『始祖コア』は、サファイアの鏡面のような完璧な輝きを取り戻し、全高500メートルの自立式立体トラス足場の中で健やかに脈動していた。
外殻の1842本のクラックはすべて塞がれ、外見上は完璧な神代の美しさを取り戻したように見えた。
足場の外周を巡回する作業員たちからも、安堵の笑みがこぼれていた。
だが――地上50メートルの中央計測デッキに立つ現場最高責任者、アレク・ユグレットの視線は、決して緩んではいなかった。
アレクの足元――始祖コアを支える直径300メートルの巨大円形台座の直下には、本工事における『最後の、そして最大の絶望』が口を開けていたからである。
「状況を報告しろ、シエル」
黄色いヘルメットのアレクが命じた。
「はい……!」
シエルが青白いホログラムモニターに、基礎構造の三次元有限要素断面図を展開した。
「始祖コアを支える基礎アンカーボルト、全12本。そのうち4本は前日の姿勢復元によって辛うじて固定されていますが、残る『8本』は1000年の偏心荷重によって完全にせん断破壊を起こし、根元から爆発的に破断しています」
モニター上に、無残に引きちぎれた極太ボルトの生々しい断面図が映し出された。
「ボルト径、なんと『直径5メートル』。材質は神話級ミスリル鍛造鋼。そして、その破断したボルトの根元が埋まっている地底基礎岩盤は――モース硬度10を誇る、神話級の『オリハルコン花崗岩盤』ですわ!」
「直径5メートルのボルトが8本、折れて岩盤に埋まったままだと……!?」
二本線ヘルメットのエドワードが息を呑んだ。
太さ5メートルといえば、大木どころかちょっとした家屋ほどの太さである。
それが8本も、鋼鉄の数十倍硬い岩盤の底深くに食い込んだまま折れているのだ。
想像を絶する巨大な金属の杭が、岩盤の中に残骸として居座っている状態であった。
「うむ。現在は16基の1000万トン級油圧ジャッキとメカニカルロックピンによって、仮設的に10000万トンの巨体を支えているに過ぎない」
アレクは冷徹に図面バインダーを指差した。
「ジャッキはあくまで仮設設備だ。油圧とピンだけで永久に保持することは工学的に許されない。この破断した旧ボルト8本を基礎岩盤から完全に撤去し、深さ50メートルの新規削孔を行って、新たな直径5メートル・単体重量80トンの新設ミスリルボルトを強固に定着(ケミカルアンカー定着)させなければ、本工事は完了しない」
「新設ボルトを埋め込むために……深さ50メートルの孔を、8本掘るのか……」
エドワードの喉がゴクリと鳴った。
その時、デッキの階段を重い足音とともに登ってきた男がいた。
鍛冶・土木親方のバルガンであった。
バルガンの顔は、泥と油で薄汚れ、その表情はこれまでにないほど険しかった。
バルガンは手にした鋼鉄のドリルビットの破片を、ドカンと作業台の上に叩きつけた。
それは、最先端の工業用ダイヤモンドチップが散り散りに破断した、見るも無残な超硬コアドリルの成れの果てであった。
「アレクの若僧……! テスト削孔の結果が出たぞ!」
「どうだった、親方?」
「お話にならん!」
バルガンが唾を吐き捨てた。
「ウチのドワーフ削岩隊が誇る、ダイヤモンド超硬チップ付きの最新鋭コアドリルを岩盤にぶち込んだがな……1時間回し続けて、削れた深さはたったの『2ミリ』だ! しかも、ダイヤモンドチップが摩擦熱で焼き付いて、ドリルヘッドが真っ二つに砕け散りやがった!」
「1時間に……2ミリ……!?」
ルシアが悲鳴のような声を上げた。
「深さ50メートル(50万ミリ)掘るのに、1本あたり2万5000時間……日数にして『1041日』! 8本掘るのに、20年以上かかってしまいますわ!!」
「そうだ」
バルガンが髭をむしり取らんばかりに悔しがった。
「相手は神代のオリハルコン花崗岩だ。ただ硬いだけじゃねえ。魔力を吸収して自己硬化する特性まで持っていやがる。ダイヤモンドの刃ですら、まるで豆腐に爪楊枝を立てるようなもんだ。物理的な削岩機じゃ、100年かかっても孔なんか開かねえぞ!」
「残された工期は――あと7日ですわ……!」
シエルの声が震えた。
外郭クラックの修繕が完了したとはいえ、基礎アンカーの完全定着がなされなければ、10000万トンの世界の心臓をジャッキから解放することはできない。
ジャッキの耐用限界が来る前に、基礎を固めなければ、すべてが水泡に帰す。
10万人の職人たちの間に、再び絶望の暗雲が垂れ込めかけた。
「物理的に硬いなら、物理の法則で壊せばいい」
その重苦しい沈黙を切り裂いたのは、やはりアレク・ユグレットの静かな声であった。
「アレク……? ダイヤモンドでも歯が立たねえんだぞ!? どうやってあの神話の岩盤を掘るんだ!?」
エドワードが詰め寄る。
「岩盤の硬度とは、原子同士の結合力に過ぎない。どんなに硬い鉱物であっても、その物質固有の『共振周波数』に合わせた超音波振動を与えれば、結晶格子の結合は一瞬で緩み、内部に無数の微細クラック(マイクロクラック)が発生する」
アレクは白手袋の手で、黒板に流麗な波動力学の数式を書き殴った。
「物体には必ず固有振動数がある。橋が特定の風速で共振して崩落するように、岩盤もまた、共振点に一致した周波数を受ければ、分子間結合エネルギーが急激に低下するのだ」
アレクのチョークが、黒板に鮮やかな模式図を描き出す。
「超音波発振器によって岩盤分子を励起させ、そこへ点検ゴーレム100台による500トンの押し付け荷重と低速高トルク回転ドリルを叩き込む。――名付けて『超音波共振ハイブリッドマイクロクラック削孔工法』だ」
「超音波共振……!?」
バルガンが目を丸くした。
「けっ、言うようになったじゃねえか、バカ弟子」
その時、後ろで腕組みをしていた師匠ガントが、不敵に煙管を燻らせて前に進み出た。
「儂が10年間、この地下100階で一人で計算し続けていた『神話岩盤の共振周波数データ』……すべて頭に入ってるんだろうな?」
「勿論です、師匠」
アレクは師匠と視線を交わし、力強く頷いた。
「師匠が残された手記のデータと、シエルの最新魔導周波数解析を統合しました。オリハルコン花崗岩の固有共振周波数は――『毎秒28万4000ヘルツ』。この周波数の超音波を照射すれば、神話の岩盤は熟したチーズのように柔らかく削れます。削孔速度は、毎分50センチまで跳ね上がります」
「毎分50センチ……!? 1時間で30メートルだとォ!?」
バルガンの顎が外れんばかりに落ちた。
「20年かかる計算が、たったの数時間に短縮されるってのか!?」
「理論上はな」
ガントが不敵に笑った。
「だが、500トンの押し付け荷重を垂直に保つには、ゴーレムたちの完璧な位置決めと、職人どもの命綱が要る。おめえら、ビビッて腰を抜かすんじゃねえぞ!」
「へっ! ビビるわけねえだろ!」
エドワードがチタンラチェットを抜き放ち、眩い銀の光を反射させて破顔した。
「熟したチーズなら、オレたちの胃袋に全部収めてやるよ! 100台の点検ゴーレムを総動員して、その超音波ドリルを叩き込んでやろうぜ!」
「よし。全削岩小隊、ならびにゴーレム重機部隊に通達!」
アレクの凛とした号令が、大空洞に響き渡った。
「これより本工事の最終関門――『地下100階基底部・直径5メートル巨大アンカー削孔工事』を開始する! 工期は残り7日! 硬度10の神話岩盤を、物理工学と職人の魂で貫通せよ!」
「「「アイアイサーッ!!!!」」」
世界の心臓の足元で、真の最終決戦の削岩機の唸りが、轟音とともに地底を揺るがし始めたのであった。




